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絵の具の血統主義

 絵の具は、同じ量のチューブでも色によって、顔料によって値段がぜんぜん違う。
 極端な例では、人工ウルトラマリンは、オランダのメーカー「ターレンス」のものでも数百円。天然ウルトラマリンだと、同じ量だと数十万になる(天然ウルトラマリンがチューブで売ってるとこなんて見たことないけど)。

 そんなかんじで、絵の具は値段が細かくグレードに別れている。国内メーカーは安いものからA、だんだんFへとランクアップし、値段を上げている。六号チューブだとAなら500円くらい、Fだと3000円くらいかな。ちなみに人工ウルトラマリンはAである。安い。かつて金と同じ値段と言わしめたウルトラマリンがほぼ同じかより高い質でこの価格。というか、アフガニスタンの山奥でしか産出しないという天然マリンちゃんがちょっとおかしいんだけど。

 そういうわけで、人工マリンちゃんは姉の天然に自分を安く売り過ぎだと怒られるのだけど、みてくれは遜色ないことから分かるように、絵の具の値段は単純にコストと希少価値から決まってくるもので、美しさに全てが決定されるわけではない。
 (そりゃ、中世では天然ウルトラマリンは絶世の美女で、彼女に敵う彩度を持つ者はいなかった。金のあるパトロンはだれもが使用を命じ、パートナーの金箔すら背景で、引き立て役で、マリア様の衣はきまって彼女が演じてたのだ。そんな時代があった。だが科学が時代を変え、妹が爆誕してコストを劇的に下げてしまった。しかしそういうことをあまり言うと、ただでさえ市場から消えてる天然さんが発狂するのでここまでにする)
 
 青色顔料というのは面白い世界で、どういう絵の具を選ぶか考えさせられる部分がある。というのも、青、赤、黄、という三原色で見ると、青は絵の具の種類が少ないのである。

 繰り返す! 青は絵の具の種類が少ないのです!

 はい。ちょっと考えてみましょう。
 この世は基本的に、赤っぽかったり、黄色っぽかったりするものが多いのです。
 土とか。
 それで、歴史的にも、赤いのとか黄色いのとかを作る方が、どうやら簡単なようなんですよ。
 赤は、朱とか辰砂とかベンガラとか、昔からあるしね。
 土色の顔料なんて原始から利用されてるし。
 緑もまあ、テールベルトと緑青まではすぐ発見できた。
 けど、青は難しい。どこからか、超キレイな石を拾ってこなきゃいけない。それこそウルトラマリン、つまりラピスラズリか、あるいはマラカイトとかヘタマイトとか。藍染めの発見を待ってもいいけど。
 とにかく……今に至っても、青色顔料、ひいては寒色の顔料は、暖色に引けを取っている。
 その詳しい理由は、理系の問題になっちゃうので私には知れないが、とにかく青というのは限られた選択肢だ。

 市場に流通している、主な青色の絵の具を述べてみよう。
・ウルトラマリン 言わずと知れた代表的青。透明色。安く、鮮やかで、使いやすい。油絵セットを買うと入っているレベル。古典技法に不可欠。
・コバルトブルー ウルトラマリンに匹敵するメジャーな青。コバルト色とはこれのこと。やや不透明なので、がつがつした書き方をするのならウルトラマリンと代替することもできる。器用に使えるので、青を一本に整理するのならこれを選ぶのもよし。
・インディゴ 藍。やや沈んだ青。黒とあらかじめ混色されていることが多い。染める感じがするので使い方にやや気を使う。黒の代わりに、色みのある暗色として使ってもいいのかもしれない。
・セルリアンブルー 青界に現れた新星。硫酸コバルト。国産メーカーでは体質が多めでややくすんだ水色だが外国のものはギュッとした深い青色。青色に珍しいガチ不透明色なので、持ってるとすごく楽しい……もとい、表現の幅が広がる。
・プルシャンブルー 精神病院から退院して復学してきた狂人。隣り合った子、誰彼構わず食う。通称、狼。ルノワールから「お前は危険だ!」と言われ、パレットから出禁をくらう。
・フタロシアニンブルー プルシャンブルーのサイボーグ形態。とにかく凶暴。ひと雫でも混ぜたら真っ青になる。こいつの有効な使い方が未だに分からない。筆もダメになる。
・ターコイズブルー 響きはメジャーだが、絵の具として選択されることはあまりない子。現在出回っているものはコバルトクロム青と思われるか、コンポーゼ(混色)である。よくわからん。画材屋いけばちょっとは確認できるんだけど、今日は雨ふってるから。(マツダ・スーパーのものはPB29の模様)
・バジターブルー いわゆる「水色」。コンポーゼである。マツダ・スーパーに関してはPB28,PW4(コバルトブルーとジンクホワイト)。基本的に積極的に選ばれることはない。が、同じ水色系のセルリアンブルーに勝手に親近感とあこがれを抱いたりもしてる。
 バジター「あっ、セルリアンさん、おはよう! 今日も奇麗ですね!」
 セルリアン「……うざい(死ね)」
 バジター「えっ」
 セルリアン「触るな! 服が絵の具で汚れる! グレードCの貴様がEのこの私に気安く話しかけるな!」
 バジター「そ、そんな……おなじ水色系どうし、仲良くしたかっただけなのに……(慟哭)」
 セルリアン「一緒にするな! 私が水色に見えるのは、国内産の粗悪な絵の具が、白亜をいっぱい混ぜたせいで白っぽくなって水色になったせいなんだ! 私が高価なせいでみんな安くするためにそうしてるんだ! お前みたいに製品コンセプトの時点で水色の奴と一緒にするなアナーキーインザUK!!」
 バジター「びえー」

 ……とまあ、絵の具には混色による差別が横行しているが、これはいわれのないこととは言い切れない。
 なぜなら、混色された絵の具というのは、パレット上で作れるからである。
 だから、必然的に、そうではない絵の具がスクールカーストの上位に来る。つまり真っ白、真っ赤、真っ青、真っ黄っ黄、である。これらは作ることができず、むしろいじると濁る。
 逆にオレンジ、紫、茶、緑などは相対的に価値は落ちる。グレー系などはなおさらである。そんなものはいくらでも後から作れる。
 もちろんオレンジ、紫、茶、緑にも、代替不可能な貴重な顔料はある。ビリジャンは数少ない緑色顔料だし、褐色顔料は絵画制作には欠かせない。紫、オレンジも、混色で作ると彩度が落ちるので、ありのままで存在するその手の色相の顔料はありがたかったりする。
 一方で、商品のラインナップを増やすためにコンポーゼされている絵の具が多くあるのも事実。それは使いやすさを目指してはいるが、隠れたデメリットもある。
 絵の具には、混色に限界がある。数色以上(3色と言われている)を混ぜると、色が濁り、発色が極端に落ちるのである。
 これが、コンポーゼの絵の具を使った場合、あらかじめ制限されてしまっている。2色の混色絵の具ならまだいい。しかし、中には3色使っている絵の具もあるのである。最初からリミットなのだ。
 
 油絵の具の顔料の中に、カドミウム化合物を使用しているのがある。これはスクールカーストで言うと、なんだろう、新興のブルジョア一族で、ハイソな感じ。みんな鮮やかでちょっと毒々しいが、実は毒性とかそんなに気にしなくてもいいみたいな、社交のできてる子たちだ。
 カドミウムレッドはバーミリオンに代わる高彩度で不透明な赤、しかも比較的安価という立ち位置を得ており、カドミウムイエローに至ってはそれまで黄色顔料になかった高彩度・不透明・高性能の三拍子、空白の場所を取って独壇場を築いた。カドミウム一族の登場で、油絵シーンの表現の幅はかなり変わったと言っても過言ではない。
 そんな一族の中で、ちょっと遠慮しているのが、カドミウムグリーンである。
 カドミウム化合物は、赤、黄は作れるが、寒色は作れない。
 なので、カドミウム緑はカドミウム黄に、色を足して作られているのである。フタロシアニングリーンとか。
 画材屋では一見、「カドミウム」の名を冠して、赤や黄と並んで、鮮やかな緑を見せてくれる彼女だけど、裏では、「一族の面汚しめ……」みたいに言われてるのね。
 だからときどきトイレでひとりで泣いたりしてるの。
 「しくしく……いっそ、生まれる余地すらなかった青になりたかったよう」みたいなこと言って。
 でもそんな彼女は、だれとでも仲良くなれるし、堅牢なので、けなげである。

 そういう絵の具の進化や、牽制のしあいとある種無縁なのが、土色なのだった。
 イエローオーカー(絵の具最強)「カドミウムグリーンがやられたようね……」
 バーントシェンナ(コロイド)「フフフ……奴はカドミウムの中でも最弱」
 バーントアンバー(絵の具の形をした乾燥剤)「植物ごときにグレーズするとは不透明色の面汚しよ……」
 




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「花のズボラ飯」三巻が出てた 或は 耳たぶ縁起白い粉

 終わったと思ってた「花のズボラ飯」の続刊が出た。

 まあ物語的には二巻で終わってるので、三巻は花さんが飯食うだけの話なんだけど、影響されてしばらく一人鍋して、湯豆腐にはまりました。
 で、読んでると花ちゃんはお燗を作り出して、いつものように独り言いいながら「人肌のぬる燗」とかいう日本の味の表現に感嘆しだし、「耳たぶくらいの柔らかさ」というのにも言及する。が……
 私が「耳たぶくらいの柔らかさ」で真っ先に連想するのは、食べ物でなく胡粉団子である。

 遥か昔、大学で日本画の実習を受けたとき、まず岩絵の具の作り方から習った。
 (日本画は油画や水彩と違って、描く直前に絵の具を自分で練る)
 普通の顔料は、絵皿の上で膠水と合わせて、中指で優しく愛するようにこちょこちょこねてやると、やがて全体に湿り渡って絵の具になる。中には朱(バーミリオン。スケ番)のように扱いにくいものもあって、彼女は簡単に膠になじんでくれない。なので、あるていどこねたら、絵皿に広げて火で炙り、焼き付ける。ヤキを入れて、もういちど湿らせてこねることでちゃんと絵の具になる。
 それで胡粉だが、これは貝おもに牡蠣の裏側を削って取る白色顔料で、何を隠そう白亜ちゃんである。
 (厳密には違うが、どちらも炭酸カルシウムであり、相互に代用しても組成的な問題はない。ものによって粒度がまずいとか不都合あるだろうけど)
 白亜ちゃんは油絵の世界では体質顔料扱いされて白とすら思われておらず、「色が濁る」「安価絵の具向けの増量剤」「実は乾燥を遅くする」「耐久性も耐光性も下がる」「死ね」などといわれもないいじめを受けておりスクールカースト最下層なのだが、日本画では伝統、使用率ともに他を圧倒しており、唯一の白とまではいかないが、他の白色顔料の頂点に立っているのである。むしろ、群青、朱と並んで、日本画に絶対になくてはならない顔料の一つと言っていい。いうなれば、クラスではいじめられてるけど、部活ではエースでみんなを全国に引っ張ってくような、そういう子。
 で、彼女を絵の具にする際、「百叩き」という独特の作業を行う。
 胡粉と膠水とで練ってお団子状にしたのち、絵皿に百回ほど叩き付けるのである。これは顔料と膠をなじませるため。
 これが完了する目安を、「耳たぶくらいの柔らかさになるまで」と言われた。
 最初にこれを聞いたとき、内心失笑した。なんだその表現は。雅なつもりかと。なにが耳たぶだ。これだから日本画の連中は好かんよ、などと思いつつ、ぺったんぺったん叩き付けて、もういいかな、と、薄くなった胡粉団子をそっとつまんでみた。
 
 「あっ! 耳たぶだ!」

 これは、学生生活で何度かあった感動的な瞬間の一つだった。マジで耳たぶなのである。日本画の奥の深さを見くびっていた。絵の具が耳たぶになるような世界があるなんて、知らなかった。当時、まだ未成年だった。少女ですらあったのかもしれない。今となっては分からない。
 胡粉の絵の具としての使い方は、それから適宜ちぎって、膠水や水に溶かして、ゆるくして使う。

 胡粉の使い心地としては、といっても、十年以上前にその実習で使っただけなのでうろ覚えなのだけど……、透明度が高いが、しかし濁るようなこともなく、塗り重ねして厚くすることもできるので、非常に器用な白だと思った。一枚しか描いてないので、これ以上偉そうに語ることはできない。私は日本画に関してはド素人だ。
 でも、普段不遇の白亜ちゃんが輝いているのが見れた希有な機会ではあった。
 ちなみに油絵スクール最下層では、支持体や部活(日本画)で活躍の余地がある白亜ちゃんはまだ救いがある方で、同じ体質顔料だけどレーキの体質くらいにしか使われないブランフィクスや、白色顔料なのに存在感ゼロのリトポンとかになると悲惨で、いじめられるどころか存在を認識してもらってない。教室に入ると自分の机に誰かが座ってお喋りしてて、何も言えずに黙ってまた教室を出て行く、みたいな感じ。私も、リトポンちゃんには声をかけたことがない。ごめんね……だって、何に使えばいいかよく分かんないんだよ、きみ……。
 本来白色顔料は油絵において、地位は一番高い方だと言ってもいい。基本的には、パレットの上で一番量が多いのは白だし、また排除しづらいのも白だ。というのも、油絵というのは、暗い絵の具だから。油の屈折率の問題で、水性の絵の具より色が沈む。水性の絵の具は水に濡れるとむしろ明るくなる(一時的にね)し、蒸発するので顔料本来の明るさが見えてくるが、油はそうでない。明るさが足りなくなるのである。
 なのでスクールカースト最上層には白色顔料、同じ白い粉なのに白亜ちゃんと天と地の差の扱いを受けている子たちが我が物顔で振る舞っているのであった。シルバーホワイト、チタニウムホワイト、ジンクホワイトらがそうである。また、チタニウムホワイトと科学的には同じでやや扱いやすくなった妹「パーマネントホワイト」や、最近転校してきたすっごい白い子「セラミックホワイト」なども加わってる様子。
 シルバーホワイトは、アメリカで例えると、チア部のリーダーである。歴史の長さ、油絵にとっての価値、表現力、耐久性などのスペック、どれをとってもぶっちぎりで、まさに華。テンペラが主流だったゴシック時代には金箔と共に我が世を謳歌していた天然ウルトラマリンだったが、油絵の時代になって初期フランドルに突入するとマリンちゃんとシルバーホワイト嬢は壮絶な覇権争いを起こし、絵の具を絵の具で洗う闘争が続いたが、やがてキャンバスが板を駆逐しだすとシルバーホワイトが勝利宣言、自分こそが油彩表現に絶対不可欠なものだとし覇権を確立。ウルトラマリンちゃんの地位は普通の高価な絵の具の一つに転がり落ちた。その因縁もあって、未だにウルトラマリンちゃんはシルバーホワイト嬢に近づくと顔色が黒くなることがある。
 とまあ、そういういきさつで、長いことシルバーホワイトは西洋美術で天下を取っていた。いわゆる「美術館で見る、西洋の印象派以前の古典的な絵」で、シルバーホワイトを使ってない絵はまずない。バーミリオンを使ってない、ウルトラマリンを使ってない絵はあるだろうけど、シルバーホワイトを全く使ってない絵というのは探すのは難しいと思う。チタニウムホワイト(酸化チタン)が使われ始めたのはここ100年以内、ジンクホワイト(酸化亜鉛)も19世紀になってやっと使用例がでてくる程度だ。白色顔料とは、シルバーホワイトがずっと唯一で、かつ、十分だったのである。
 
 でも、そんなスーパースターのシルバーホワイト嬢だが、毒っけのある性格が災いして、最近停学を食らう例が出てきている(販売を見合わせられている)。彼女は鉛化合物なので、下手に扱ったり、長期に触り続けたりすると、鉛中毒を起こす可能性があるのだ。これが唯一の短所である。正直、混色での事故(ウルトラマリンやバーミリオンとの不仲)は、現代では絵の具の精製技術が上がってるのでもう仲直りしているも同然である。嘘かほんとか、シルバーホワイトを使ってたばかりに鉛中毒になって死んだ画家の話とかも聞かされたことがあるので、まさに「命を吸う絵の具」「画家の命を吸った絵」になる。
 チタニウムホワイトは、そういった危険を回避するためにも生まれた絵の具でもある。
 物質的にすごく安定しており、何とも混ぜられて、無害で、堅牢で、スペックだけ見たらひょっとするとシルバーホワイトに匹敵するか、上なんじゃないか……と思われる、が、いかんせん色が強すぎる。
 まあ、これは好みの問題かもしれないが。
 とにかく色が強いので、混色に気を使う。無神経に使うとすぐ白っちゃけるし、リカバリーしようとすると色を戻すために大量の絵の具が必要。すると不必要にかさが増えたりするので、無駄なやりとりが生まれたりし、扱いなれるまではストレスフルだったりする。
 が、その強い白さを生かして、地塗り(キャンバスの白を塗ること)に使うことがある。これは主に白亜ちゃんに添加する形で使う。だから二人はわりと仲はいい。その他、白亜ちゃんはイエローオーカーとか、土色ともいっしょになることもある。イエローオーカーは庶民出身の気さくな子なので、地塗りとかも嫌がらない。意外と友達いる白亜。
 最後の白ジンクホワイトは、ユトリロが愛用したことで有名。着色力の弱い、やさしい白だ。繊細な混色や、柔らかい表現に向いている。白グループに所属していながら、物腰の優しい、おっとりした子。ただし病弱であり、耐久性に乏しい。下層から使用すると亀裂など事故が発生することがある。また表現的に繊細という点から、あまり強いオイルとは相性が悪く、ポピーオイルとかを欲しがるようである。基本的には最上層部、仕上げに使ってあげるといい、と言われている。私は大学一年くらいを最後にほとんど使ってない。というか、シルバーホワイト嬢がいればべつになにも必要に思わないのである。
 「パーマネントホワイト」を使ったのはもはや中学生の頃、「セラミックホワイト」は使ったことすらないので、何も書けない。

 白い子たちはそういう感じである。白色顔料として認められるか、体質顔料になるかは、油と混じったときに白でいられるかどうかである。体質顔料になる子は、油と屈折率が同じなので、混ぜると透明になってしまう。白亜ちゃんやブランフィクスはそういった「あなたの色に染まります」的な健気さもあるのだ……
 ちなみに、このクラスでは体質扱いされている特異な存在に石膏がいる。石膏はテンペラの支持体にはなるが、ここではあまり存在感はない。しかしさすがに、石膏をいじめるというほど度胸のある子はいないようである。
 
 



 

抽象画の価値

 サイ・トゥオンブリーの絵「黒板」がオークションで約86億円で競り落とされた件について。
 美術に無関心な人にとっては、こんな落書きみたいな絵にこれほど高値がつくことは信じがたく、またばからしいことだと思えるようだが、まあ……値段に関しては、高名な美術家の作品は投機の対象になるのでいたずらに値が上がることがあるとは言える。だから実際の芸術的な価値と金銭的価格としての評価が釣り合ってるとは限らない(というか、そうでない場合も多い)。芸術作品の価格を決めるのは、まずはサイズ、そして作家の名前、クオリティはそれからで、さらに投機的価値が大きく関わってくる。
 それで「黒板」という作品自体はどう評価するべきかというと……これは、実物を見ないことには分からんのですな。
 みんな、絵画というものを習慣的に二次元表現だと思ってるかもしれないけれど、絵はブツなんですよ。立体物なんです。図版や画像で分かるのはその印象だけで、最も大切なものは得られない。
 それは何か。欠けてるものを述べてみよう。まず図版でほぼ必ず損なわれるのは、サイズだ。当然だがサイズには必然性があり、それは見るものの体験に深く関わってくる。「黒板」の実サイズは、書籍やウェブサイトにはとても掲載できない大きさだ。その時点で図版は参考程度の意味合いしか持たない。特にこういった抽象性の強い作品に関しては。
 もう一つ、図版でできなくて、実物を前にしてできることというのは、近寄ってみて部分を注視したり、離れてみて全体を見たりという、そういった作品との対話的な見方だ。絵というのは、実は特権的なビジョンは持ってなくて、見るものが近づいたり離れたりしながら体験を通じて総合的に判断していくものなのだ。筆遣い、息づかいまで拾える至近距離に近づけること、そしてその絵のサイズを受け止めきれる距離をとって見ることができること、それが実物でこそ可能だ。
 そして最後に、いわずもがな図版が致命的に損なうもの……マチエール。つまり、絵肌のでこぼこ感とか物質感だね。
 まとめると。「サイズ」「材」「距離と空間」それを把握するための「体験」が図版・画像では欠落する。絵画を見るということは体験なのです。だからバーネット・ニューマンとか、あんなばかでかいキャンバスに縦線引いてたんじゃない?
 ……なので、図版だけ見て、大騒ぎすることはないと思われます。値段だって適当なんだから。
 みんなもっと美術館いけ!!




 
 

マジかい

 「美術手帳」などを出版してた株式会社美術出版社が民事再生法適用を申請。

 そういや俺も美術雑誌いつのまにか読まなくなったな。と思ってたらこれかよ。美大受験界隈ももうズタボロらしいし(東京芸大油画専攻の倍率が14くらい。私が受けてた時の半分以下である)、この国の美術に明日はあるのか。
 なんとかしてよピケティさん。

暗黒空間

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 ひたすら制作。アトリエ部屋が段々カオスな事になりつつある。

 数日前に塗った、ランプブラックを混ぜた色がまだ乾かない。かなりシッカチーフを奮発して入れたつもりだったが……。何がどうなったら、マンガン塩のブーストを食い止める事ができるのか……。

 黒は永遠に乾かない色だと言う事を忘れてはいかん、と強く思った。これ間に合うのか。

どっひょおおおおおおおおおん

 マツダスーパーのシルバーホワイト1kg、缶入りの絵の具だとばっかり思ってたら、箱開けてみると粉だった。えーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!! こ…………これ練るの!? 勘弁してくれえええええ!!!

みずとあぶら

 横浜にいる間は水彩でも描こうかな、と思って、数億年ぶりに水張りをしたら超へたくそになってた。あと水張りテープが腐ってた。ワトソン紙様をつらせてしまった。ここが予備校だったらぶっ飛ばされてる。やっぱりこういう基礎的なことは時々やらないと駄目ですね。

びびびび美

 大学3、4年から院まで同じゼミであった、佐藤恵美里氏の個展に行ってきた。

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 最終的に単なる肉のかたまりになってしまった私とちがって瑞々しい油絵を描いていて、とても同じゼミ生にみえないのだが、とにかく同門なのである。

 色感やイメージのセンスは昔からとてもいいものを持っている人なのだが、油絵描きなのに油が使えていない節がちょっとあった。
 指摘できるところは指摘してほしい、と言うので、けっこう熱が入って喋ってしまった。

 まず、ツヤむらが目立つ。明部ではともかく、暗部ではバルールが狂うので、揃えなければならない。
 パレット上で色を作っていると、絵の具と油の比率は簡単に変わるので、調整は慎重にするべきである。あるいは、いっそ指触乾燥後に油を引くか、完全乾燥させて完成ニスをひいてしまえばいい。

 そしてツヤの質であるが……何を使っているか聞くと、ネオペインティングオイル(調合溶き油)に、序盤はテレピンを混ぜる、という。
 これは……やめろとは言わないが、もっと考えてみようとは言いたくなる。やはり既成の調合溶き油一本では様々な場面に対応する柔軟性も、油を操ることで絵に迫る手触りも失われる。その場では「既成のを使うとババ臭くなる」と、なんとも抽象的な言い方をしてしまったが、どうしても単調、もっと言えば無神経な組成になっていく。やはり美大の油絵科を出て、作家として油絵を描くのなら画溶液は自分で調合するべきだと思う。

 技術的な欠点を克服してさらなる飛躍を祈っています。がんばれ。





ボウル二杯

 白亜地塗り、六層目。今日中に一回サンダーで磨こうかなと思ったが、一晩乾かした方がよいと思い直し、撤収。
 なんだかやたら疲れて、なんだろうなあ、と考えたが、五時間ほどほぼ立ちっぱなし、精神とぎすましっぱなし、体うごきっぱなし、ゲロ吐きっぱなし、きのこ生えっぱなしなので疲れて当然だった。でも地塗りは面倒でも時々やらないと、大事なことを色々忘れていってしまうので、修行もかねてと思い、我慢。
 それにしてもやはり塗料の消費量が多い。完成した時の重さを想像したくない。

愛しの人に疑問を抱く瞬間

 ウィンザー&ニュートンの油絵具「ローアンバー グリーンシェード」がお気に入りで、何年もレギュラーメンバーである。

 普通のローアンバーより寒色よりなので、しまったグレーを作りやすい。また暗い緑として使うことも可能である。
 混色も綺麗で、グラッシも綺麗で、乾燥もよく(ラングレ先生はマンガン多すぎだと言ってるけど)、とってもいい子だ……と思っていた。が。

 つい昨日、線描していて、ふと、
 「いくらなんでも弱すぎる……」
 と思った。
 
 ニュートンの油絵具は他と比べて体質顔料が多い印象だが、これもその例にもれない。
 透明色なので、なおさら効きが悪い。
 使えるシーンはまあ普通にあるといえばあるのだが、気になりだすと、どうしても気になる。マイメリかルフランあたりで似た色を探してみようか。

 しかし、私は絵具にあまりに感情移入をしすぎていて、ここにこのような文章を書いているだけで、なんだか付き合っている女の子の悪口を愚痴ってるような気分になってしまう。「あー浮気してぇー」とか言ってるみたいな。うわぁー。


禁断の粉

 活性白土が先日手に入ったのだった。

 これは油の色素を吸着するという魔法の粉で、昔からぜひ試してみたかったのだが、取り扱っている薬局を見つけられなかった。結局業者から25キロ袋で買うことに。一生活性白土には困らないね!

 さて、アンチポピーオイルであるわたくしにとって、リンシードをいかに脱色するかは死活問題であり、これまでも粉による吸着は炭酸カルシウムやブランフィクスなど、いろいろ試してはみた、が、効果はないにひとしいものであった。ので、今日はじめて活性白土のテストをしてみる。

 しかし、どうも手元に生のリンシード油がない。ううむ。
 苦し紛れにブラックオイルでちょっとやってみる。
 失敗。色変らず。
 これはまあ、どうなんでしょうね。鉛白の成れの果ての色だから吸えないのだろうか?
 と言う感じで、がっかりというか、先行き不安な感じになりつつも、気を取り直して画溶液という発想を捨て、エクストラバージンオリーブオイルでやってみる。

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 安物で、多分精製が雑なのか色が濃い。
 お隣さんが魔法の粉です。

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 まぜまぜの刑に処す。

 数時間放置して沈殿を待つ。

 結果。

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!?

 水……

 ポピーオイルより澄明になっておられる……一体何が起こったんだ……

 何年も油をいじくっていたが、三本の指に入る感動の瞬間だった。錬金術レベルだね。
 よし、というわけで、本命の苛性ソーダで洗った手作りオイルに粉をぶち込んでまぜまぜしながらパンツ一丁になって踊っていると、ピンポンが鳴って宅配来る。昨日アマゾンで買った本がもう届いた。汗一つかかずお買い物。これも錬金術。


ヴァザーリの芸術論―『芸術家列伝』における技法論と美学 (1980年)ヴァザーリの芸術論―『芸術家列伝』における技法論と美学 (1980年)
(1980/02)
ヴァザーリ研究会

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名画の技法―ジョットからホックニーまで名画の技法―ジョットからホックニーまで
(1987/10)
Waldemar Januszczak

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 プレミア価格になってやんの。錬金術だな。昨日は紙を切り、今日は油をいじり、絵もちろっと描いた。絵は売約済みなので、錬金術的である。賢者の石があるんだったら、『ドジっ子の石』とかがあってもいいんじゃないかな。いつもうっかりこけちゃうのね。でもその様子がちょっと微笑ましくって、周りの皆の心に癒しが生まれるの。それって錬金じゃない? 錬ってるね〜ドジ子ちゃん錬ってるよ〜とか言っていじりだす奴がでてきて、「からかわないでくださいようっ!」「あっはっはっ、おいついてごらん」みたいな追いかけっこに。で、走ったもんだからいっそう大きく転んじゃって、勢いでスカートがめくれて中が見えちゃった、すると周りの男性諸君は総錬金術状態…………俺は一体何を書いているんだ?

へんになつかしい

 五年くらい前、盗作で話題になったわだちゃん(母校の先生でもあった)の絵が、夢に出てきた。
 それは恐らく現実にはない、彼の自画像のものだった。彼は囲炉裏の前で和服を着ており、凛々しく、かつ憂いのある深い表情でこちらを見据えている。それは巨匠のなにげない一瞬を切り取ったようなシーンであった。
 「あんた世間を騒がせておいて、どんだけ自分を美化して描いてるんだよ!」と突っ込んだ。
 でも絵としては出来がよかった。

新規開拓

 せっかくなので、使ったことのない材料や方法を色々試している。

 シルバーホワイトにヴェルネ(ホルベイン社の上級グレード)のものを使ってみる。普段はマツダスーパーかミノーを使用しているが、これはどちらもポピーオイルで練られているので下層から使用する場合は油抜きしてオイルを入れ替えるほうがよろしく、ちょっとめんどい。その点ヴェルネはリンシード練りのものもある。が、使ってみるとちょっとふわふわした感じがする。体質多いのか? と思って調べたらそうではないらしいので、顔料が細かいのと軟練り仕上げになってるだけだと思われる。グレージング中に抵抗感を出したいとき、そっと混ぜるような使い方ならかなり便利な気がする。

 オーレオリン。
 俗に「コバルト色」と呼ばれている、真っ青な色がありますが、あれは「コバルトブルー」という色名&顔料名である。しかしそれのみがコバルトの色ではなく、まず、純粋なコバルトは銀色の金属である。それをどう化合させるかによって、青色っぽくなったり、緑色っぽくなったりするわけである。そして面白いことに、基本は寒色系に化けるコバルトが、混ぜ物なしで黄色になってしまう。それがオーレオリンである。
 この子は無機顔料のくせに透明という謎のスペックを持ち、かつて西洋では「絹の輝きを描くなら白と、オーレオリンを使うべし」とまで言わしめた、あでやかな美貌を持ちあわせている。ハイソな趣味なので、交遊関係はシルバーホワイトやチタニウムホワイトなどお嬢様たちといることが多いが、下地に明るい色がないと輝けない、つまり他人に頼って生きている彼女を快く思っていない子もいる。嫉妬深い天然ウルトラマリンや、不良グループのアリザリンレーキに絡まれて蹴りを入れられると、色を失って見えなくなってしまう。そんな彼女は太陽も苦手。

 で、今までミノーのオーレオリンを使っていて、色があまりに弱いので「こりゃ淘汰されるかもな……」と思っていたが、ターレンス・レンブラントのものを買ったので使ってみたら、びっくりするほど強烈に効く。なんじゃあ。
 オーレオリンはインディアンイエローに取って代えられる説があったが、この強さを見るとほんのわずかな色の好みくらいしか違いがない。あとは10年単位で退色しないかどうかだが……。

 コーパル樹脂。
 塊で買った。石粒みたいな、砕けたガラスみたいな、黒っぽいものが詰まっている。瓶。ラベルの説明によると、そのまま溶剤に入れれば溶ける状態に加工してあるらしい。これは助かる。
 ダンマルやマスチックなどの軟質樹脂とちがい、コーパル樹脂は半化石化した硬質樹脂であり、おいそれとは溶けないので、ランニング処理というものをしなければならない。やり方はいくつかあるが、一つだけ紹介すると、油にコーパル樹脂を適量入れ、200〜220℃で数日間熱するのである。
 このとき問題になるのは、ガス代や火の番にとどまらない。ランニング処理中には、とてつもない悪臭が発生するという。もう随分前のことだが、クサカベの技術部の人と話をしていて「クサカベはコーパルワニスは作らないんですか?」と聞いたら、「あれは臭いが酷いから、町の中にある工場で大量にやったら大変なことになる」と言っておられた。それからちょっと後になって、アキーラが発売された気がする。
 まあそういうわけで、ビーカーにちょこっと入れて溶剤で溶かさんとす。ペトロールでやって万一溶け残ったら萎えるな、と思ったので、これも新兵器のイングリッシュ・ディスティルド・テレピンを使用。臭いが鮮烈。

 ベネチアテレピン、スタンドオイルの併せ技。のびるのびる。久々に使ったので楽しい。
 さあ、まにあうのだろうか。あと一週間か? でも乾燥しないと運べないし……。

絵画の 法則が 乱れる!

 油絵に、ビヒクルで練ってない粉のままの岩絵具を投入する技法を試している。

 手順。
 まずはコーパル樹脂やサンシックンドリンシードなどの強い油脂分をあらかじめ塗布しておき、キャンバスを寝かせ、心のおもむくままにばんばん振り撒いていく。
 そのまんまだと非常に粉っぽく、また定着も悪いので、オイルの追い打ちをかけたり、目指す効果によってはペトロールで滝の様にざざっと流していく。
 この作業は地面に対してのキャンバスの角度、向きで効果が変ってしまうので、常に注意する必要がある。しかし、六畳間(しかも二つの本棚、一つの食器棚、無数に散らばる画材に埋め尽くされている六畳間)でこの100号のキャンバスをコントロールするのは試練と言える。寝かせたり起こしたり、角度を変えたり回転させたり。絵を描くのってこんな肉体労働だっけ。

 使った顔料は緑青、古代緑青、新岩の群青と黄樺だが、調子に乗って西洋茜の粗粉も使ってみた。これはあまりに大きすぎて絵具にはできないもので、そもそも染め物をするために煮出して色素を取り出すものである。
 でも、油で練って、泥みたいにして置いちゃう。じゃりじゃりして気持ち悪い。
 岩絵具の粉くらいなら、上からオイルで挟み込めばかなり余裕でくっつくのを観測したが、さすがに茜は不安が大きい。ので、アトリエ部屋から出し、別室でむりやり寝かせて、茜が多く乗ってる箇所にピンポイントで糊を置いていく。

 この処方は
ルフラン:フレミッシュメディウム(マスチック樹脂) 比率1
クサカベ:コーパルペインティングオイル(スタンドオイル、コーパル樹脂、テレピン) 比率2
ターレンス:スタンドオイル 比率1
マツダ:シッカチーフクルトレ 比率0、01
 
 樹脂面では、マスチックの柔軟性に期待しつつ、コーパルの堅さおよび湿気への強さも観測できればいいと思う。またコーパルペインティングオイルにはすでにスタンドオイルが含まれているが、念のため足す。おそらくひどい組成なので、最強のオイルを使いすぎるくらい使わないと保たないと思われるのである。まあ、どこまでが油の限界かというのはわたくし自身も研究中ということで。シッカチーフの添加は時間の都合である。うあああああ。

アトリエ飽和

 六畳間でF50を一枚、F100を二枚、その他小さいのを数枚平行して描いている。
 絵を出し入れし、道具を並べることを考えると、これが限界である。一応もっと大きいキャンバスロールを持っているが、多分まるのまま張らないほうがいいだろう。もし倒れたら悲惨なことになる。


自作のサンシックンド練りシルバーホワイトを使ってみての感想。この子は、納豆になるはずが間違って絵具に生まれてきてしまいましたね。シルバーホワイトは元々、油で練ると非常に粘りけのあるものになるが、市販のものはだいたいステアリン酸やロウが添加され、また体質顔料で薄められているので使いやすい粘稠性に調整されている。私のは体質ゼロ、ロウもほぼゼロに等しい気持ち程度のもの。筆ですくうと糸がのびる。
 とにかく特殊な性質なので、インパストしてからコーパルワニスでなでつければエナメルのように艶やかになるし、気持ち悪いでこぼこも作れて楽しいが、いかんせん軟毛筆で塗れないのがネックである。絵具が硬すぎる。
 コリンスキーや牛はまったく歯が立たず、まずナイフで溶剤と練り合わせて柔らかくする必要がある(効きが弱まってしまうが……)。テン毛は辛うじて使用できるが、筆の寿命を急速に縮めるだろう。豚は問題ない。
 グレーズにはまず使えない。そもそもこれは、最下層のモノトーンで被服力の弱さを克服するために作ったから、グレーズの繊細なトーン作りでは要請されない。
 乾燥はかなりいい。シルバーホワイトは乾燥促進作用がある顔料で、オイルは太陽に晒して元々半分乾燥が進んだ状態にある。このオイルは瓶につめていても平気で乾き、厚い皮膜を作る。


 新宿の世界堂に行く。
 前から、なんかターレンス・レンブラントの筆が見当たらないなーと思っていたのだが、店員に聞いてみたら「もう仕入れてませんねぇ」とのこと。なぜだ! あんなにいい筆を! 売れないのか!? どうせみんな何も考えないでラファエル使ってるんだ! ニャーッ!! そしてもう一つ、マツダスーパーのシルバーホワイト(既製品)の缶入りも見当たらない。これも前からで、ムジュビシノッサ大学でも置かなくなってしまった。同じように聞いてみれば、最近マツダスーパーは値段を大幅に上げたそうな。値段表を見せてもらったが、なるほどホワイトにこだわりがない人にとっては意味不明な価格設定だ。
 俺「いくつ取り寄せできますか?」
 お姉さん「一缶からできますよ」
 俺「十缶くらいほしいんですけど」
 お姉さん「じ、十缶!?」
 そして大量に買い置きするためにアルキド系メディウムを安くすませる。ウィンザー&ニュートンのオレオパストは2000円だが、ナントカっていう速乾メディウム900円。


 制作。
 吉祥寺のユザワヤが駅近くからマルイに移転した際、在庫処分で投げ売りしていた岩絵具を買ったまま忘れていたが、昨日棚から発見した。
 キャンバスに絵具を適当に塗り、溶剤が乾いたらアルキド樹脂をべたべたと塗りたくり、辰砂を振りかける。水銀の化合物、しかも粉末なので、素手で扱ってるとさすがにちょっと恐い。ぴゅーっ。でも面白い色ができるし、ビヒクルに包まれてないから鮮やかだ。もちろんこのままだと剥落が恐いから適当に樹脂でもかけるだろうけど。

フランちゃん

昨日、吉祥寺のユザワヤに欲しい物が何一つ置いてなかったので、新宿の世界堂に行った。
チューブ入りの樹脂が切れてきたので、ルフランのフレミッシュメディウムを買い足す。

ルフランは絵具も高顔料で品質が高いが、なによりもチューブ状メディウムの意味不明なクオリティに驚かされる。一体何をどうすればこんな美しい物体になるのか、皆目わからない。(練り物の場合は、たいていどのメーカーも内容を具体的に書いてくれない)
他メーカーの増量剤が、白濁したやぼったい質感で、絵具に混じればぶよぶよとエッジを損なわせる、決して表現上メリットが勝るとは言い切れないものばかりの中、ルフランのものだけはスルリと絵具にとけ、量さえ間違えなければ何も損ねる事のないまま作り手の意図を反映してくれるのである。
 いったいその組成はどうなってるのか……と思ってたら、さっきネット上で、一覧表を見つけてしまった。
lefrane06.gif


これは便利。
リナックス並の完全オープンソース。良心的なメーカーとはこういうものを言うのであろう。
ちなみに画溶液の表は以下。


lefrane05.gif



X.D.ラングレは萌えキャラなのか? 最終鬼畜技法書油彩画の・G

今日は模写ではなく自分の作品を描いた。
桁違いにテレピン・絵具を消費する。

古典技法の模写は、注意すれば全く汚さずに描けるが、今日は床も服も絵具がついた。
せまい六畳間ではなおのこと汚さずに描くのは難しい。
やはりツナギ必要。

またテレピンの臭いは強烈で、服に移る。
スーパーに買い物に行っても、始終気になる。自分自身で気になるのだから、周りからみれば相当臭いに違いない。公害である。

テレピンの代わりにペトロール(石油、鉱物系溶剤)を使えば臭いはだいぶ抑えられるし、これは劣化しない(テレピンはほっとくと駄目になる)という利点があるが、欠点としては天然樹脂を溶かしきれない、溶かせても濁るというものがある。
とまあ本には書いてあるが、ルフラン社のフレミッシュメディウム(コーパル樹脂系)を、ターレンス社のホワイトスピリット(石油)での希釈実験してみたところ、問題なく溶解した。メーカーがぐっちゃなのはご愛嬌。色々試して、支障ないならペトロールの日を作ってもいいのかもしれない。


今日のラングレ先生はシッカチーフのご講釈。

マンガン塩が含まれたシッカチーフ・クルトレは、どす黒い色をしたニス状で市販されている。これは強力な乾燥促進作用があるが、長期的に見れば絵具の耐久性を著しく減少させるものだ。なので使用にあたっては、その量を抑える事に気をつけなければならない。

先生は警告する。

要するに、この物質の濃い色は、画家に「よく考えよ」と注意をうながすという利点をもち、できるだけ少な目にまぜて使えばよいのである。


 
私はこれを読んで、下の歌を思い出した。




単体でみつからなかったのでメドレー動画になってしまったが、4:55くらいからはじまる中原麻衣「バナナの歌」である。

いってることが全く同じだと思った。
ラングレ先生は保存キチガイの偏屈オヤジに生まれたせいでこんな本をかいているけど、萌えキャラに生まれていればこういう風になっていたに違いあるまい。異なるのは表層のみで、その本質はなにも変らない。
そして恐らく、私はラングレ先生と萌えキャラの、中間の位置あたりにいるのであろう。
結論:私の半分は萌えキャラ

シルバーホワイト嬢の件で電凸

マツダの普通のシルバーホワイトと、マツダスーパーのものとの違いが実際どうなのか、メーカーに電話して聞いてみた。

・まず顔料濃度が違う。スーパーは体質少ない。これが一番。

・スーパーは顔料のグレードが高い。同じ鉛白でも色々なメーカーがさまざまな色味、番手を出してるので、その選択によって出来上がりが違う。
(スーパーのものは、チューブに『三井金属鉱業KK製顔料使用』と書かれている。顔料のメーカーが記載されている絵具は恐らくマツダスーパーのみであろう)(外国メーカーにもあるかもしれないが、外国語が読めない。ただ、それらしい記述はあまり見られないような……)

・練り合わせ材、工程は同じ。

・関係ないけど、電話の保留音がスピッツの「春の歌」だった。笑った。


という感じ。
マツダスーパーは、クサカベ、ブロックスと比べても最も明度が高かったので、顔料には相当気合が入っていると思われる。ただマツダはポピー練りなので、最初から使う場合は適宜リンシードを足した方がいいだろう。

個人的には、工程に差がないというのが少し意外だった。国内のライバルメーカーのクサカベは、専門家シリーズ「クサカベ」と、その上位版というか、やや古典技法向けの「ミノー」、さらに上位板というか悪ノリの「ギルド」シリーズとで、絵具の熟成に時間をとるなど工程を変えている。シリーズが変ればそういう変化はあるものだと思っていた。

まあ、シルバーホワイトは非常に屈強な顔料で、よっぽどな使い方をしない限り短期で事故を起こしたりはしないから、体質が多少多かろうが(白だし)不純物が入っていようが瑣末といえば瑣末なのですがね。清楚にして大胆、たおやかにして豪腕、それが彼女。そこにしびれるあこがれる。

アスファルトで化粧しろ

脳を文学から美術に戻して、ラングレ先生の本を読む。
ビチューム(アスファルト)についての恨みつらみをぶちまけておられた。

ビチュームは19世紀に大流行した焦茶色の顔料(というよりは染料性質であるが)である。ミイラの防腐剤にも使われ、これから原料として採られたこともあったのでそのまま「ミイラ」という色名にもなったりしている。当時の多くの油絵描きがこの感傷的な色合いに惹かれて多用したが、油との相性に決定的な欠陥があることが証明されている。



アスファルトを用いた絵画は絵具層が縮んで〈アリゲータリング(*わに皮のような亀裂やはん紋ができること)〉ができるのですぐそれと分かるようになる。その上にこれより硬く固まる絵具の層が置かれると、割れやまくれが起こる。ノイハウスは温度調節装置のない美術館では真夏の暑さで画面全体がすべって、位置関係が永久に狂ってしまった作品がある、という。アメリカでも温帯地域にあるいくつかの美術館では、一時期アスファルトを夢中になってすりこむように用いていたミュンヘン派の絵画の多くをだめにしてしまった(同氏によるDoerner著 The Materials of the Artist の訳書 p.89の訳注を見よ)、と述べている。


『絵画材料辞典』R.J.ゲッテンス、G.L.スタウト 



現在絵具状のアスファルトは入手不可能であるが、恐らく色合いが似ているのであろう製品はある。ターレンス・レンブラントの「アスファルタム」は、イルガジンイエロー、アリザリンレーキ、フタロシアニングリーンの混ぜ物による、似せた色のようだ。

実はこの絵具、学部の一年生のとき、恐いもの見たさで使っていた事がある(ターレンスのが偽物というのを知らなかった)。ので、後になって絵がどう壊れるのであろうか、と内心どきどきしていたりもした。一年生の時からもう七年経ち、本物のビチュームなら変化がでてきていい頃合いではあろうけど、一年の頃描いた絵なんて今更どうでもいいといえばどうでもいい。


まあ、当時ビチュームにハマった人々の感動を安全に追体験するのに、ターレンスのアスファルタムはいいのかもしれない。ただし、顔料を三つ使っている絵具なので、混色に気をつけなければならない。絵具は3色以上混ぜると濁り始めるといわれており、これは製品の時点で限界値に近いと言える。だからキャンバス上でこねくり回したり、パレット上で展開したりはしづらいかもしれない。おそらく本物のビチュームに比べて、この点は明らかに劣ると思われる。
こういう点など、ヒューやチント(似せ)が、本物に決して迫れない所以を如実に物語っている。絵具は色だけでなく物性も性質として備えていて、同じ顔料でないのなら物性は異なるのだから。

アスファルトは、われわれの生活の中できわめて広くかつ重要に位置する物質である。我々は普段彼らを踏みしめるかたちでコミュニケーションをとるが、ほんの少しアプローチを変えるだけで全く違った相を見せてくれる。そしてそのことは、すべての物質において言えるのである。

ももも

フェルメール模写なう。

やってみてよく分かったが、フェルメールは模写に非常にいいな。古典ほど厳密でなく、ほかのバロックほど奔放でないので、着実に楽しく追える。

学部生のころワイエスを模写した時は、始終不条理を感じたが、本来模写もこういった楽しみとともにあるべきであろう。


グリザイユのベースはモノクロームが一般的であるが、私はシルバーホワイトとローアンバーのモノトーンでやっている。少し暖かみがあった方が好みなのと、ローアンバーに含まれるマンガンが乾燥を早めるからである。

漆芸

 府中の伊勢丹で、漆職人さんと話した。

 赤地に黄や黒の模様を、日本画の「たらし込み」のように入れた、非常にめずらしい器を見せてもらう。漆器なので当然まったくフラットに仕上がっており、畑違いの私にも一目で超絶技巧と分かる。秋田の職人集団の中でも、これができるのは40年キャリアの人ただ一人だという。

 その他いろいろ、漆器の難易度について教わる。
 木目の見える摺漆塗りが一番やさしく、そもそもこれは本来下地塗りだという(なので耐久性は劣る)。趣味人でも数年で奇麗に仕上がるらしい。
 木目の見えない、朱や黒で均一な塗りが、10年以上の熟練を必要とする。
 たらし込みは、美しく仕上げるのは不可能に近い。

 巷で出回っている安価な漆器は、中国製である。
 佐藤栄作・田中角栄の時代、拡大する消費に応えるため、漆器が大量生産されはじめた。これはウレタンニスがスプレーで吹き付けられ、表面だけ中国産の漆がちょろっと塗られている。また材木が集積材などで耐久性におとり、ガーゼなどが下地に巻かれて補強されていたりもする。かつては乾燥速度を上げるためにアスベストまで使っていたらしい。
 職人さんいわく、中国人が悪いのではなく、やらせた日本人が悪いのだそうだが。


 日本製の漆器は正しく扱えば十年以上、あるいは一生保つので、実はコストパフォーマンスがよい。また使い心地は当然よく、「もう戻れない」という。
 おせちが漆塗りの重箱に入っていたのも、漆の殺菌効果による保存効果を利用した合理的なものであった。まさに日本風土のためにあるような素材である。
 だが持ちがいいゆえに、顧客は種類が揃うとそれ以上買い足すことはなく、新しい世代は関心を持たず、市場は縮小する傾向にある。ぜんぜん儲からなくて、馬鹿らしくなってやめてしまう職人さんも多いらしい。
 先の40年キャリアの職人ですら月給20万程度だという。そんなあんまりな。

 「ここ(伊勢丹)では安めに提供させていただいて、売り上げは期待してないですよ。詳しい人なら『3500円!? 安っ!』ってなるんですけど、素人さんだと『何で器がこんなに高いの?』ってなりますからね。そこでもう温度差があるんですよ。だいたい、原木が1000円、漆がバケツ一杯数万円のを使ってるんだから、大量生産みたいな価格になるわけがないんです。この値段でも儲けはほとんど出ないですね。修理の場合は分業しますから、取り分は500円くらいです」など。

 世知辛い話もたくさん伺ったが、ほとばしる漆への愛も感じた。
 職人さん曰く、漆は「言葉を喋れない赤ちゃん」らしい。
 漆は乾燥するまで温度や湿度の変化にとても敏感で、しかも自分からそれを知らせることができない。だから常に注意する必要がある。ので、「どうしたの? きげんはどう?」などと声をかけてコミュニケーションを図る(ほどに注視する)。
 やはり材料を極めると、人間に見えてくるもののようだ。しかも、だいたいかわいい。この心理は何だろう。

 色々教えてもらったので、箸と碗を買ってみた。最後に変な話も教わったが、ちょっとアレなので書かない。みんなもっと美術や工芸に興味持ったらいいよ。


娑羅双樹の花の色 

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こんにちは少女です。すっかり退色しましたが私は元気です。今日は油絵具としての茜染料についての性質と歴史的地位、そしてその盛者必衰の理と国内国外での認識差とかいう非常に誰得な話を書こうと思います。


油絵具の製品の色名を、顔料の面から見るといくつかのパターンがある。
1、顔料の名前として完全に定着しているもの(ウルトラマリン、ビリジャンなど)。

2、直感的だが、正確には顔料を表さないもの(カドミウムグリーンなど。カドミウムで緑は作れないので、カドミウム黄にフタロシアニン緑などを足して作られている、混色なのである)。

3、通称の色名。バンダイクブラウンやサップグリーンのようなもの。何が入っているか想像しづらい。

4、各メーカーが自分たちで開発し、名付けたもの。


まあ乱暴にこう分けられるとする。上のものほど内容がはっきりしており、下ほど何が入ってるのか分かりづらい。一応絵具のチューブにはどういった顔料が使われているかが記載されているのだが、カラーインデックスの番号だけの場合も多い。記載義務はあるけど読ませる気がない的な。
ということはつまり、まあ気にしなくてもそれほど支障はないということで、これらが分からないことが直接使用上で事故になることはない。しかし、商品を選ぶときは誰しも色見本と名を見て参照する。そしてできれば、ある程度の性質を見て取りたい。

(画材屋では、チューブを開けて中身を見る客が存在する。これをやると色見本よりも多く情報を得られるが、当然迷惑行為なのでやってはいけない)


さて、店頭でさまざまな色やメーカーの差をよく調べてみたところ、とくに赤の透明色(茜色)が、メーカーごとにバラバラな名前を付けており、内容も物によって違うことを観察した。ただでさえこのあたりの色は、マダー、クリムソン、アリザリン、カーマインなどと名前が多く混乱しやすいのに。


赤の透明色は、「ローズマダー」「クリムソンレーキ」の名前でよく知られている。油絵具セットを買うとかならず含まれており、油絵に触れたことのある人なら目にしているはずの基本色である。チューブから出したままだと黒ずんだ赤だが、伸ばすとバラ色に開く。
朱の上に薄く何層も重ねて塗ると目が醒めるめるような鮮やかで深い赤を作ることができ、また明るい地の上では華やかな色を差せるので、赤い衣や顔の頬紅などによく使われた。

これほどメジャーで使いよい(=基本色)は名前が定まっているのが普通だが、なぜメーカーごとに名前や内容が違うのか。

結論から言うと、茜を使ったレーキ顔料は欠点があるので、顔料が代替されつつあり、それがメーカーごとでてんでバラバラなのである。そこに名称の混乱があるのかと思われる。


ここで用語などを解説しておく。「ローズ(赤)マダー(茜)」は色の名前である。「アリザリン」は茜の根から取れる赤色の化合物の名前で、「クリムソンレーキ」は、元々はコチニール色素を用いたレーキ顔料だったが今は色名に用いる。「カーマイン」はクリムソンと語源が同じ、アラビア語で昆虫をさす「ケルメス」から。英語「クリムソン」が成立する前にはコチニールレーキはカルミンと呼ばれていたようだ。現代ではコチニールは退色の問題があり、絵具には使われていない。

が、「クリムソン」「カーマイン」はコチニールに源があるのが味噌だ。もともと茜とは別系統の色なのである。ちなみにコチニールはカイガラムシから取れるもので、一時期ファイブミニで騒動があった、あれです。
レーキ顔料というのは、水溶性の染料を基材(透明か白色の顔料。体質と呼んだりもする)に定着させ、不溶化したもの。簡単に言うと、細かすぎる色の粉を、絵具にできるくらいにちょっと大きくまとめるような感じ(あんまりな説明だが)。今話題にしているアリザリンやコチニールは染料で、どちらもレーキ化させたものが絵具になっている。

現在、これら天然品は市場からはほぼ消えており、合成されたアリザリンレーキが使用されている。


さて、以上のことをふまえ、これから各メーカーの絵具の名と使用顔料を記していく。右が名前、左が顔料である。


クサカベ

クリムソンレーキ      アントラキノンレッド(PR177)
アリザリンクリムソン    アリザリンレーキ(PR83)
ローズマダー        アリザリンレーキ
ピンクマダー        アリザリンレーキ


コチニールの色、カルミン酸色素はアントラキノンの誘導体である。ここまで化学の話になると全く自信がないが、誘導体はウィキペディア先生によれば「ある有機化合物を母体として考えたとき、官能基の導入、酸化、還元、原子の置き換えなど、母体の構造や性質を大幅に変えない程度の改変がなされた化合物」とのこと。PR177はアントラキノンそのものを含む顔料なので、「クリムソン」を意識しつつ合成顔料に代替したのかな、という気がしないでもない。しかしホルベイン工業技術部編「絵具材料ハンドブック」を見ると、PR177とカルミン酸の構造式が似ている事は分かるのだが、アリザリンもアントラキノンに毛が生えたような形をしており、ちがいがわからず、絵描きの想像力の限界に直面して軽く萎えたりできる。

さて、しかしその他の商品はやや漫然とした印象を受ける。
残り三つは上ほど色が深く、下ほど明るい。しかし使用されてるのはアリザリンレーキのみである。
(同じ顔料番号でも色味は変えられる。ちなみに「PR」とは「ピグメント レッド」の略記)
上に書いたように、アリザリンレーキは代替されつつあり、悪い顔料では決してないが、しかしはっきりとした欠点も持っている。クサカベは「ミノー」という上級のシリーズもあり、それも同じくアリザリンレーキを使用している。(さらに上のシリーズ『ギルド』は調べてない)これを見る限りブリードを嫌うような人たちに対しては無策であるように見える。

マツダはアゾ系の代替品がある。

マツダ

クリムソンレーキ      アリザリンレーキ
カーマインレーキ      アゾ系
ゼラニウムレーキ      アゾ系
ディープマダー       アリザリンレーキ
ローズマダー        アリザリンレーキ
ピンクマダー        アリザリンレーキ


マツダは顔料番号が記されてないので、アゾ系が具体的に何なのか不明である。名前にレーキとあるからレーキ型だろうとも思われるが、上のクサカベの「クリムソンレーキ」、使用されてるPR177とは顔料型であるようだ。このように名が実を表さないケースがある。


ホルベイン

クリムソンレーキ     アントラキノンレッド
アリザリンクリムソン   アリザリンレーキ
ピンクマダー       PR221(ジスアゾ縮合顔料)
ローズドレー       アリザリンレーキ、PR144(ジスアゾ縮合顔料)
ローズマダー       PR221
ゼラニウムレーキ     PR188(モノアゾ)
カーマイン        PR221


日本のメーカー三社ではホルベインが代替に意欲的に見える。やはりアゾ系を中心に代えてきているようだ。
さて、同じ名前の絵具なのに、使われている顔料が統一されてないことにお気づきだろうか。というか、これらの商品名と内容の顔料の相関に、なんの秩序もないように私には思える。
別に協定があるわけでもないし、色見本さえあれば買い物にそれほど不自由しないのだが。


続いて、海外メーカー。


ルフラン(仏)

ローズマダー ヒュー     PY110(イルガジンイエロー3RLTN)、PR177
ルフランクリムソン      PV19(キナクリドン)
アリザリンカーマイン     アリザリンレーキ
アリザリンクリムソン     アリザリンレーキ
カーマインレーキ ヒュー   アントラキノンレッド
ディープマダー ヒュー    アントラキノンレッド、PV23(ジオキサン系)

ルフランは妥協のないメーカーで、真骨頂はメディウムにあるけれど、絵具も第一級なので肯定的に論じていい。
「ヒュー」というのは、似せた色という意味だ。毒性があったり高価すぎる絵具のパチ物というイメージが強いが、こういった「改良版」としても使用する。
本家の色は店頭に無かったので、アリザリンを排斥する方向に動いているといえる(二色残しているが)。代替顔料は多彩。



ターレンス(蘭)

パーマネントマダー ライト    PR254,264,(ピロール)PV19(キナクリドン)
          ミディアム  PR264,PV19
          ディープ   PR264
パーマネントカーマイン      PR214(縮合アゾ),PB29(ウルトラマリン)
カーマイン            PR176(ベンズイミダゾロン)
キナクリドンローズ        PV19(キナクリドン)
パーマネントレッドバイオレット  PR202(キナクリドン)

このメーカーがいかに極端かがよく分かる。アリザリンは跡形もなく、キナクリドンとピロール中心に置き換えている。



ウィンザー・ニュートン(英)

キナクリドンレッド         PR209(キナクリドン)
パーマネントローズ         PV19(キナクリドン)
アリザリンクリムソン        アリザリンレーキ
パーマネントアリザリンクリムソン  アントラキノンレッド
パーマネントカーマイン       キナクリドン、ピロール

「パーマネント」を「ヒュー」のような意味で使っているのだろう(本来のレーキは退色しやすいから)。キナクリドンが多い。



マイメリ(伊)

クリムソンレーキ     PR206,PR122(キナクリドン)
ローズレーキ       PV19(キナクリドン)
ティツィアーノレッド   PR209(キナクリドン)
サンダルレッド      PR254(ピロール)

これもアリザリンは絶滅。しかし選択肢が少ない気が……。



シュミンケ・ムッシーニ(独)

フローレンタインドレッド       PR179(ペリレンマルーン)
トランスルーセントレッドオキサイド  PR101(酸化鉄)
マダーレーキブリリアント       PR209(キナクリドン)
アリザリンマダーレーキ        PR83:1(アリザリンレーキ)
マダーレーキダーク          PR254(ジケトピロロピロール)PV42(キナクリドン)
カーマイン              PR254,PV42,PV19

ムッシーニはよく分からないシリーズだ。この比較はともかく、全体的にやってることが一人だけ違うというか、浮いている。たとえば、ムッシーニのビリジャンは、明るい黄緑(やや不透明)なのである。おかしいだろ。なので、あまり使った事がない。
例えるなら、「自称最強」を謳ってる不遜な奴だけど、あんまり登校してこないのでその強さを知るクラスメイトがいない。そんな子。



以上の顔料は、なるべく間違いのないよう努力はしたが、表記の統一とか細かい所はいい加減だったりする。また調べるのはけっこう大変なので、集中が切れて誤った可能性もあるかも。その場合はご容赦。


さて、海外では、キナクリドン、ピロール、ペリレンなど、さまざまな顔料がアリザリンに代わるものとしてある。これらは最新の顔料で、堅牢生や耐光性は非常に高く、信頼に足るものだ。

では、日本ではこれら顔料は油絵具への応用がされていないのか? よもやメーカーが知らないということはあるまいが………

と思って、改めて大学の世界堂で色々見たら、ちゃんとあった。

もう疲れたので番号は書かないが、ホルベインだと「コバルトバイオレットライトヒュー」「モーブ」「ペリレンレッド」「アルプスレッド」など、クサカベだと「キナクリドンマゼンタ」「ローズバイオレット」「コバルトバイオレットヒュー」「キナクリドンローズ」など、マツダだと「ルビー」「マゼンタ」「オーロラピンク」「ブライトレッドライト」などに、上のような顔料が使用されていた。

つまり日本では、これらの新顔料を「アリザリンに代わるもの」としては扱ってないということだった。これはたとえばキナクリドンが、すべて必ずしも透明とは限らないことにもよるだろう。そして相対的に、アゾ顔料の活躍が多いわけである。

しかし、こういった「新色としての追加」というのは、なかなか難儀なものがある。バーミリオンやカドミウムレッドなど、魅力的な不透明赤が揃っている現代において、後発の絵具はよほどの売り文句がないと注目されづらいのである。しかもこれらはしばしば高額だ。たとえば、クサカベのキナクリドンローズはシリーズE(六号チューブで924円)。これは透明色だが、クリムソンレーキが409円で買えるという選択もあるなか、予備知識なしにあえて選ぶ人がどれくらいいるだろうか?

おそらく、時間をかければこれらの顔料も一般的になるかもしれない。そしてユーザーからの十分量の感想が得られれば、またメーカーはなにかしら動くかもしれない。


結論
・海外ではアリザリン駆逐の流れ
・国内はあまりそういう感覚なし、アゾ系で代替。最新顔料って認識されてるの?


以上、少女の頭の中でした。私おとなになる。


地図がなければアクセスできない

ラングレ「油彩画の技法」、まだ少ししか読んでいないが、のけぞってます。
この人やばい。

導入部では、堅牢性がいかに重要かを説いていて、そのためにさまざまな言葉を駆使している。堅牢オタは世の中にはいっぱいいて、そのほとんどは言うことややることが単にドグマティックなだけなのだけれど(ラングレはそういう人たちの権威でもあるのだが)、やはり本家は格が違うというか、彼の眼に見えている世界が違っている。

顔料について、現代は古典で使われていたもののほぼ全てに加え、優秀な新しい顔料が無数に発明されている。そのことは、選択肢を増やして可能性を広げるという、現代の長所だと私は漠然と考えていた。しかしラングレの言い方を引くと、それは「昔の画匠たちよりもずっと甘やかされている」という。
この言わんとするところは、利便性が材料に対する厳しい配慮と理解を損ね、いたずらに増えた選択肢がよりよい選択を難しくしているというものだ。
こうした現代の利便性への反駁は、ファン・アイクなどの最も旧い時代の油彩技法が、限られた条件下のもとであったにも関わらず、色彩や保存の面から見ても非常に優秀であることに根拠づけられている。
ラングレがルネサンス前後の時代への憧憬をゆるがしがたく持っているのは自明であるが、そのビジョンは常人の域を超え、見える世界を変えている。言葉遣いからもそれはにじみ出る。

さらに、この後現代の急性さを批判するが、これは以下のように書かれている。



現代の画家は、何も知らずに(そして外圧に対抗して戦う力もなくて)、完全に醗酵した作品にするために必要な当たり前の入念さに時間を貸す余裕がもはや重んぜられないようにしてしまう無秩序を、自分の作品の中に持ち込んでいるのだ。
 ここでは、現代の狂気じみた問題、つまり生活リズムの問題について触れてみよう。
 プリミティフの知恵者たちは、われわれとはまったく違って、迷わずに一ぺんで作品の構想をまとめあげると同時に、忍耐強く少しずつ着実に部分から次の部分へと制作をすすめ、描き迷って直したりしない。
 われわれは、しっかりと舵をとって、一つの時代の終わりに臨むとともに、未来の新しい生き方に入っていかねばならない。われわれがこれまで絶対と信じていた「時」というもの、あるいはより正確には「時」のまとまり(ユニテ)は、広げられ得るように思われる。
 われわれは、知る知らぬにかかわらず、新しい生活のリズムに従うのだ。拙著『鐘の下の島』の主題をもち出すまでもなく、人間が自分の手で、創造者と被創造物の間と、宇宙のリズムと人間固有の血のリズムとの間の均衡を保たせるものを、壊しているということは明らかなのではなかろうか。



はい。最後の方で宇宙のリズムとか血のリズムとか言ってるのは、これはヨーロッパの伝統的な音楽観の話です。中世ヨーロッパには三つの音楽、すなわち道具の音楽(いわゆる、今我々が音楽と呼んでいるもの)、人間の音楽、宇宙の音楽があった。音楽には数学的な側面があって、音程の協和・不協和など、さまざまな論理的秩序についての研究がなされ、こういった秩序が人間(ミクロコスモス)や宇宙(マクロコスモス)にもあるのだと言われたのですね。

さて。絵具の話をしていたはずなのに、一瞬で宇宙のリズムにまで話が飛んでいったわけです。
絵具について語っていたら、いつのまにか宇宙のリズムに突き動かされていたわけですね。
こういう人は、まれに存在します。いわゆる「本物」ってやつです。

彼は単に堅牢性に、その保存の良さの面で憧れているのではない。500年経っても色あせない油彩画は「秩序と一致した存在」であり、それを可能にするための技法は、秩序の創造主、神にせまる手だてなのだ。

すごい。
こいつ、狂ってやがる。
なんだかくやしい。


これから先、ラングレさんがどのようにご教授たまわれるかが今から楽しみであるが、しかし一方で不安も。
「油彩画の技法」は、若干名の読者を得ている。とくに古典志向の専門家には読み手が多い。
でも、ラングレさんの言ってることを、その精神まで理解して読めている人ってどれほどいるのだろうか? 
そもそも、技法や材料についての修練は、つきつめれば世界の理解といったところに行き着くものだが。
多くの人にとって、それは感心ごとではないのだろうか。多くの人には、すべては作品に繰り込むための知識でしかないのだろうか。
時々、その認識の差というか温度差に、自分のやってることが本当に正しいのか不安になることもある。

ま、あせらずユニテを広げていけたらなと。

人間の生活、絵具の生活

ジャーマンポテトを作ろう。
そう思った。

二枚あるフライパンのうち大きい方はすでにテフロンがはげてお亡くなりになっており、それでも自分をだましだましネクロフィリア的に活用していたが、どうにもこれは死んでいると診断せざるを得なくなり、買い替えを決める。六年間お疲れさまでした。
無生物の魂を弔う。


イエローオーカーと同じ土色顔料で、伝統的に多用されたものがあった。緑土(テールベルト)である。
人肌などを書く場合、下地にまずうっすらと塗られることが多い。これは肌の下には静脈の暗い緑があり、それが実際の肌の色の深みを作っているのと同じである。
テンペラでは明るい緑となるが、油絵具としてはどうにも効きが弱く、また耐久性に乏しいという欠点を持っていた。しかし緑色顔料の選択肢があまりなかった時代には、主要な緑として活躍することもしばしばあった。地味で目立たない子ではあるけれど、クラスの人数が少なければ比較的に存在感はあるのだった。
しかし産業革命期に、派手なビリジャンやカドミウムグリーンが転校してくると、完全にアウトオブ眼中となってしまった。今では元の顔料にさらに着色し、色の効きを補強している製品がほとんどのようである(がんばっておしゃれしてみる)が、大多数の人に積極的に選択される絵具ではないのが現状である。白亜ちゃんのような芯の強さすら持ち合わせてないので「どうせ私は……」と卑屈になることも。

しかし寒色下地から暖色の上層という組み合わせでは決して魅力がないわけではなく、うまく使えば美しい発色を見せる。前述の肌でいうと、イエローオーカー(優等生)とバーミリオン(スケ番)がよく使われる。オーカーとバーミリオンは意外に中がいい。最近はバーミリオンも製精度が上がり、事故のもとになる遊離硫黄が減っているので、かつては犬猿の仲だったシルバーホワイト(お嬢)ともわりとうまくやれている。そういう華やかなメンバーに囲まれているときは、テールベルトもちょっと戸惑いながらも嬉しそうである。

それを遠くから見ているウルトラマリン。
天然ウルトラマリン「なによあいつら、私をさしおいて……! 最近ちょっと主役に使われるからっていい気になって! かつては画家のパトロンは、絵に使う金箔の量といっしょに、私を使う量も指定したのよ!」
合成ウルトラマリン「やめてよお姉様! そんな昔の栄光をいつまでも引きずるのは……」
天然「あなたにはプライドがないのよ! 最安値なんて恥知らずよ! 多くの人に使われるのが、まんざらじゃないんでしょ!」
合成「だからって、小指より小さいチューブなのに何万円もするなんて間違ってるわ! そんな事を続けてたら『値段の割に変らなかったなあ……』っていう人がふえちゃうよ」
天然「わーん」


進歩は是なりや……

あぶらのふしぎ

最近。どこで読んだか忘れたが、イエローオーカーを多用した下地の上に油分の少ない上層を置くと、チョーキング(粉っぽく乾いて崩壊すること)やクラッキング(割れる)が起こる、という。

絵具のうち油が占める量を含油量と言い、これは顔料によって異なる。シルバーホワイトが十分に湿る(油絵具になる)のに必要な油の量と、同じ容積のイエローオーカーが十分に湿るために必要な量は異なる。
イエローオーカーは含油量が多い。このことが問題の理由となる。

「Fat over lean」といって、上層ほど油が多くなるよう組織するのが油彩技法の鉄則であるが、これに反する弊害でチョーキングも起こるというのは不勉強で知らなかった。これは基本的には、全体的に油が足りない場合に下層に吸われ過ぎて起こるものだが。

下層に油が多すぎる場合、どういった作用でそうなるのかが気になる。というメモ。


ちなみにさらに含油量の多いローシェンナは、パレットから排除すべしとラングレさんが言っている。ローシェンナはどちらかというと代替がきく色味なので、神経質な人はそれでもいいと思われる。
またイエローオーカーの名誉のために絵具そのものについて言うと、これは耐光性・耐久性・汎用性すべてにおいて最高レベルのパフォーマンスを示しており、最優秀の油絵具の一つと言える。しかも安くて無毒である。
言ってみれば、人当たりもよく、気が利いて、優等生だけど、嫉妬されてときどき謂れのない噂を立てられてしまう、そんな子であろうか。まれに白亜ちゃんが地塗りになる時一緒になってあげたりもする。

横山操

古本屋で、旧い美術展のカタログを買ったりする。

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「ウォール街」


油絵からはじめ、かなり早い時期に日本画へ転向している。
この人は25歳のとき中国戦線で終戦を迎え、シベリアに5年間抑留された。
また晩年は脳卒中で右半身不随となり、最期の1年半ほどは左手で制作した。


加山又造とライバル同士だったらしい。


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嵐山のアレ。

当時が実際どうであったかは不勉強で知らないけど、現在はやや加山のほうが評価され記憶に留められている印象を受ける。こう言うとちょっと身もふたもないが、グーグルでの横山のヒット数は31800件、加山は144000件である。これは加山の画風の方がキャッチーで華やかだったこともあるかもしれないが、死ぬタイミングも関わっている気がする。

絵描きの歴史的な評価はわりといいかげんなところもあって、作品そのものだけでなく巡り合わせとタイミングで知名度はかなり変化する。(たとえば黒田清輝は日本美術史にあって重要な人だが、現代の人間が作品に参照するべきことはあまりない)
もし横山があと20年生きていたらさらによい絵を描いていただろうし、出世もしていただろう。
だから文化勲章がもらえるまで粘った加山は、後世に貢献できるポジションを取れたというところが偉いと言える。あるいは青木繁のように、20代にして枯れ果てて死ぬくらいすれば「夭折の天才」と呼ばれることもあろう。
享年53歳というのは、早すぎると言うには若干生きすぎだが、一方でもっと生きていてもよかったという気にもなり、どうにも捉え難い。50前後の死は信長を思い出すばかりだったりもする。

物質


画材の博物誌画材の博物誌
(1994/05)
森田 恒之

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芸術論争と関係なく、絵具とその使い方には確実に発達がある。それは絵具が物質だからである。色をつける材料として最適な顔料と展色剤の組み合わせが数多くの思考の末に発見され、さらにその絵具のさまざまな使い方を試みる中で、特色をよく生かした使い方の技術、絵画記法が確立してくる。新しい材料が発明され、新しい組み合わせが一つ生まれれば、新しい技術が発達する可能性ができる。要は画家がそれを採用するか否かだ。しかし、何かの折りに大変便利な絵具の製法や技術が考案されると、それまで延々と失敗を重ねてやっと作り上げた知識の集積であっても一つの便利さにひかれて、その他の多数の事を忘れてしまう事がある。何も絵具に限ったことではないのだが発達と退化は同時進行するものらしい。今日、我々の知っている絵具の知識の中にも、かつては常識だったものを忘れてしまって、再び無益な失敗と試みをやり直していることもけっこうあるようだ。




画材の文脈において、考案された「大変便利な絵具の製法や技術」はアクリル(アルキドもこれに準ずると言える)を指し、そのせいで「やっと作り上げた知識の集積」を「忘れてしまう」というのは油絵具のことだ。これは事実であり、たとえば佐藤一郎さんの話によると、野見山暁治にスタンド油を薦めたところ、使い方がまったく分かってなかったという。つまり溶剤で割らずに「こんな油使いにくいよ」と言ったのである。

もっとも油絵具の技術・技法の断絶というのは過去に数度起こっており、そのたびに失われた伝統も多いという。最も致命的なものは新古典からロマン派、印象派に至る過程で、新古典派が苦労して復活させた英知を印象派がおじゃんにしたという側面はあった。印象派は既成の油彩技法を必ずしも必要とせず、またそこから出発した近代絵画は、古典技法と表現は結びついていなかった。
 また顔料などの技術も、ギルドのシステムが崩れたせいで断絶し、品質が落ちたという。初期ルネサンスまではウルトラマリンは非常に鮮やかであったが、フェルメールの頃(たとえば真珠の耳飾りの少女のかぶりものとか)には彩度がかなり低くなっていた。

(しかし、油絵の技術も題材も広がりをもったこの時代には、ウルトラマリンはかつてほど特別な存在ではなくなった。金箔と朱を用いる宗教画では、これらの補色としてもウルトラマリンが重宝された。顔料そのものの希少性だけでなく、色彩として構図に大きな影響を与えていたのである。だから、マリア様がかならずウルトラマリンの衣をまとっているのは非常に合理的なことだ)


 油絵具の完成者はファン・アイクであり、これはテンペラでは不可能なグラデーション、透層、ぼかしの画法の実現のために要請されたものである。
 しかしそのはるか以前から乾性油と絵画の関わりについては史料に残っており、最古のものは五世紀から六世紀に生きたアエティウスという医者の書いたもので、くるみ油がロウ画などの完成ニスとして使用できると述べている。その後、八世紀の「ルッカ手稿本」ではリンシード油と軟質樹脂の混合物について書かれており、乾燥促進についての記述となっている。一二世紀には単に混合するだけでなく、ランニング処理(硬質樹脂と乾性油の化合)によるハーレムシッカチフの製法が記されるようになる。

 実際の油彩技法としての使用は、十四世紀前半あたりにに見られるようになる。たとえばジョットが「ときどき油を用いて描いていた」という証言があるようだ。また同時代人にもそのような記録が見られる。ファン・アイクに五十年以上先立つことになる。


 もっとも、このような黎明期のいきさつや失われる知識というのは、市井のひとびとにとってあまり意味はない。美術を学ぶのにチェンニーノ・チェンニー二から始める奴などいないし、忘れられる知識の中には、打ち捨ててしまったほうがかえって整理がつくような代物の方が圧倒的に多いだろう。逆に言うと、油を忘れ去らせるほどに合成樹脂は優れているのである。
 だから相対的に、油彩技法について自然に学べる機会は減っているということなのだろう。特別に興味があってその技法を選ぶなら、きちんと勉強しなければならないという、あたりまえの話に落ちるという。

 そんな油絵具がいま(今後も)アクリルに対抗できる強みというのは、メディウムが自然物であるというところだ。自然に得られるものは合成物に比べて、暖かみというか、「揺れ」というか、表現し難いが、我流で解釈すると「感情移入の余地が大きい」のである。使い比べると、アクリルの描き応えや画肌は、いってみればサイボーグのような触感がある。

 しかしそれは「人工だから」というより、「自然にあまりないものだから」という気がする。
 というのも、コーパルとか漆とか、天然物のくせにきわめてドライで強烈な印象を与えるものも存在するから。コーパルは半化石で「普通溶けない」し、漆は塗料として成立させる条件が厳しすぎる上に性質としてもありえないもので、ワニスになってる状態はかなり奇妙だ。やっぱり人間は見慣れないものは恐いんだな。(うるしは日本では見慣れるけどね)





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東京都美術館、二年もかけて全面改修するのか。赤字なのに大丈夫なのか。

つぶつぶの勉強

アゾ顔料について勉強しようとしたら、完全に化学の世界だったので30分程度で挫折した。
今から有機化学を勉強するのは骨が折れすぎる。どうすればいいんだ。
そもそも、絵描きにとってどこまでが材料への理解と想像力が必要な範囲なのか。

ある日、私は菜食主義について考えていた。強硬な菜食主義者は、牛の屠殺や処分の場面の映像をネットで流したりしている。
しかし私は彼らの言う菜食主義は嫌いであって、なぜなら、あの人たちは想像力がなさすぎる上に悪意があるから。
彼らは肉食がいかに残酷かをありのままに知らせる、と言ってるが、プロパガンダである以上、自分らの主張を最も印象づけるカットを選び抜いており、そういう点において誠意はない。
また、排他性があることも評価できない。
そしてなにより、草はよくて肉は残酷というのは、きわめて勝手な言い分である。イルカや鯨もそうだが、知能が高い動物を殺すのが残酷と言われている。
しかし、知能の高低で、命の重さを決めていいのか。
たしかに人間に近い生き物ほど、シンパシーは得やすい。しかしシンパシーは感情であり、思想にしてはいけない。殺人ですら、シンパシー以上の理由をつけることで、はじめて禁じられるのだ。

植物を育てたことがある人なら、蔓を伸ばしたり、日の方を向いたりして、命に執着する様子を見たことあるはずだ。
植物には知能はないが、本能で生きようとしている。

もちろん、もっと小さい生き物になると、想像力を超えてしまうことはある。細菌とか、遺伝子は持っているが生物ではないウィルスなどは、日常その命について考えることはない。しかし、私が言いたいのは全ての命は食物連鎖のピラミッドの中でつねに関わっていることで、その上部にいる者は、ほかの命を奪わずには生きながらえないということだ。

自身あるいは種のため、ほかの命を奪うという点については、抗生物質も稲刈りも屠殺も同じである。

一部の動物を感情的に特別扱いにしてしまうのは、絶対に悪いとはいわんけど、弱い考え方ではある。
それは本質には触れていない。
どうあがいても、人間は殺生与奪がついてまわる。絶対に逃げられない罪というのが存在するのである。だから西洋では、そういうことをキリストに背負ってもらったのだよ。


と、ひるがえって自分を見るに、絵具や油については、見た目上の性質は理解と想像力の範囲内である。油の化学式とかヨウ素価とかもある程度は分かる。つまり、これらの性質は擬人化することができる。
しかし、それらを構成する原子や、さらに電子やら陽子やらになると、もう何も想像できなくなる。
これらは油彩の技術に直接影響はしない。が、今私が研究しているものの内容もすでに直接影響はしなくなっている。それでも理解を深めることで、最終的には絵に生きるのである。
つまり、射程としては遠くなるが、電子や陽子を擬人化できるほどに理解することは、油彩の技術に影響をあたえる可能性があると言える。そうであるのなら、できることなら勉強する価値がある。

あと、見た目や分子のレベルで考えていると、それらの様子は大変賑やかでハートフルなのだが、原子以下に踏み込んだ瞬間沈黙の世界になってしまうというのが恐いというのもある。

しかし、私はこの辺りで限界だろうな。これから化学や物理をがっつりやるのは非現実的だ。
そういう点で、菜食主義者と同じように思考停止しているような気がする。
どうなんだろう。こういう話題はI綿先生と話してみたい。しかしまた会えるのかどうかは微妙。

願わくば、美術界に素粒子がっつりできて、クォークに萌えながら脳内で絵画に直結できるような奴が登場せんことを。私が行けなかった領域に行ってほしい。
プロフィール

金城孝祐

Author:金城孝祐
劇団無敵の作・演出家。油絵も描いてる。

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