うー死んじゃう。でもなんとかなんとか。今日は寝たい。
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公演で使う曲を二つ作曲する事になっていて、さっき一つデモがでけた。
アレンジは今村左悶・野村知秋両氏におまかせする。本番ナイスに仕上がってるはず。
http://www.geocities.jp/ashrakanesiro/m15haya.mp3
なんちゃって対位法。なんとなく2,5倍速にしてみた。
わくわくさん、今日は何を作るんですか? あなたの心です。
わくわくさん、今日は何を……
何を…………するんだ………
わくわくさん、わくわくさん、ああ、わくわくさん、わくわくさん、ああ、ああ、わくわくさん、わくわくさん、ああ、ああ、ああ!!
くわっくわっ
昨日マイナーセブンスと書いたがデミニッシュセブンスの間違いだった。
やっぱピアノ作曲しやすい。ギターは全てのコードの押さえ方を暗記してないのと、視覚的には何の音か分かりづらいのとがあり、難しい進行を作ろうとすると手間取る。大変便利な楽器ではあるけど。
慣れない営業が一段落したので、作曲に戻った。
スピッツのある曲を元ネタというかきっかけにして、ピアノとギターを使って作る。が、練りに練って選び出したコードがベートーベンとモロ被りした。世界はやりつくされてる。
でもEm7って妖しくて奇麗で好きだ。
こんなアンケートがある。
「NODA MAP」公演の最前列中央の席を奇跡的に手に入れたら、友人が一万五千円で売ってくれと言い出した。どうする?
結果
「譲らず見に行く」73.7%
「最低一万五千円で売れる事が分かったので、安心してヤフオクに出す」26.3%
そりゃNODA MAP公演はチケットの入手すら難しいから(発売後五分で売り切れるという)、ファンなら絶対に売らないだろう。その席の価値はお金にできない。私も売るという選択肢はない。
しかし少し考えて、もし「譲ってくれたら劇団無敵に100万出資します」と言われたら、一瞬迷った後に譲ってしまうだろう、と予想した。
これは、野田さんを特等席で見るという体験が、実は貨幣と交換可能だったのだろうか?
また少し考えて、おそらくプライスレスなのは「体験後」のもので、交換可能な価値は「体験予期」なのだろう。
そうだとしたら、なるほど人命は地球より重いが、身代金の設定は可能だ。
矛盾を解決。
ああ、くだらねえ。
養老孟司さんが一時期しきりに薦めていた方丈記をちょっと読んだら、あんまりな内容で鬱になった。疫病や震災で都が破滅する様を回想していくのだが、実に凄惨。
フィクションのハードバイオレンス小説とかなら受け入れられるが、実話はだめだ。
お茶の水で、自分が出てるドキュメンタリー映画を見に行った。高校生の作ったものだが、予想してたよりもずいぶん良かった。
高校1年でこれだけかっちりした作品を作れる環境があるというのは、正直うらやましい。
昼、大学で仮眠してから練習。風邪が流行っているようで欠席者が多かったが、即興劇で神プレイが連発したので非常に面白かった。
夜明けに雨が降っていると、鳥が鳴かない。
徹夜したのに、仕事が1ピクセルも進まなかった。
やばい。
芝居の内容とニアミス。小笠原で観測できるようで、見てみたい気もするけど激忙しいので不可能。
ちなみにアレは、今年はありません。
生きるために食べる。
生きるために寝る。
そう感じ始めたら、公演が近づいてきたなあ、と思います。
やることたくさん。整理して実行。タッチアンドゴー。ヘルヘル。常にプリン。心にプリン。最近悲しい夢をよく見る。この間は、死んだ飼い猫に会った夢だった。猫は化け物のような姿をしていた。私は最初その化け物と戦っていたが、彼の話し振りからやがて飼い猫なんだと気づく。どうやら心残りがあって昇天できていないようだった。私はそれを知り、生前に力になってやれなくてごめんよ、と懺悔した。すると化け物は猫の姿に戻った。別の夢では、もう何年もあってない友人に再会した。これは夢から覚めてからが悲しかった。リアルで言ってやりたかった事が夢でしか言えなかったからだ。いまーあーいつーらーどこにいるのーなーにをーしーているーのー
マンストッピングパワーとは銃などに関する用語で、人間が標的になる場合、相手を一撃で行動不能にする力、のような意味だ。
たとえば、38口径の拳銃だと、凶悪犯罪者にやむなく発砲した場合、数発命中した場合でも標的の行動が止まらないことがある。拳銃の威力が低いから。
アメリカの警察ではこういう事例もあり、45口径弾が採用になった。これは食らった場合、行動不能になる確率が大きい。
(さらに威力の高い小銃などでは、急所にあたればまず確実に行動不能となるので、よりマンストッピングパワーが高いと言える。だが、あまり大きすぎる弾(対戦車ライフル弾とか)が人間に命中するとオーバーキルというかちょっととんでもないことになるので、戦争でも人には向けないように条約で禁止されている)
で、何が言いたいのかというと、「プロジェクト無敵vol2 少女になって何が悪い」のダヴィデが出来たので見てみたのだった。
野外のゲリラパフォーマンスで、どれだけの通行人が止められるか、というところには間違いなく力が働いている。
通行人を立ち止まらせる力は、どこから来て、どう作用するのか。
それは劇場で、動きを拘束されているお客様には、どう置き換えられるか。
言ってみれば「精神を行動不能にする」もののような気がする。
真の意味で「入り込む」というのは、そういうことなんじゃなかろうか。
比較例が不謹慎だけど。
「止める力」と「動かす力」というのについてはもっと考察していきたい。
某所で「演劇やってるなら『ガラスの仮面』は必読だろう」という発言を見た。へーそう言う人もいるのか、と思った。
というのは、まず現代では(その畑にいる)誰もが読む本、というのが昔に比べるとなくなってきているという点でひとつ。例えばかつては「特権的肉体論」とかが聖書のように扱われていた時代もあったりしたが、今はあまりそういうのはない。これは趣味の多角化や活字離れがどうというよりは、人々の書籍に対する姿勢がちょっと変化したからだと思う。要因はいろいろ論ずる余地はあるだろうけど、本はその読まれ方が変わってきている。
という中で、シェイクスピアでも、メソッドでも、アングラでもない「ガラスの仮面」が必読項目に推されるのは面白いなと。完結してないことでいまだに浮上してくるというのもあるだろうけど、それは考えれば考えるほど歴史に対して特殊な残り方をしているような気もしてくる。
完結してなくて、不朽の名作で、しかも作者が生きてる、というのはえらい状況だ。
あとは個人的な、この作品との距離感から。
私は一応今までの話は全部読んだのだが、それは中学生くらいの頃で、のちに自分が演劇をやるとは毛ほどにも思ってなかったから、この漫画を思い出すと妙な気分になる。
なんとなくね。
千の仮面を持つほど器用ではないので、さしあたっては人間をやめるような仮面をかぶっていきたい。
やはり週末は飲み過ぎだったようで、内臓が全体的にやばい。皮膚一枚隔てて肉だということをこういうときに思い出す。
最近、再び松岡修造に元気づけられる事が多くなった。去年ニコニコ動画で松岡MADが流行したとき、人生で最高に激務だった状況もあって完全にジャンキーになっていたのだが、最近また出来のいい作品が増えてきた。八強祭だったらしい。
昨日。舞台を仮設してテクリハや通しをやった。邪神モッコス。そういや七夕じゃん。もうすぐ。平塚行きたい。そしてコンビニでプリンを買うんだ。短冊に何を書きますか? そんなのぐぐれば出てくるじゃん。いや。愛の言葉はインターネットで探せない。お前の心を検索させてくれ。という死ねばいいのに的な笑顔をしているのに気づいて、ごまかすためにちょっと踊ったりしてみたりする、っていう。そのあとみんなと酒を飲みながら、太平天国の乱という事件について語った。これは2000万人くらい犠牲者が出た中国の内乱で、最近お話作りのネタになるかなと思って調べたりしてたのだが、歴史がいかにして解釈されるか(忘れ去られる、ということも含めた意味で)を考えるのには興味深い出来事であったりする。話は飛ぶけど十何年ぶりに「聖剣伝説2」をプレイ動画で見て、あまりに懐かしくて感激した最近の人生。シナリオがすこし荒いんだけど、そういうのも逆に小学生にはよかったのかなと。トイレットペーパー書も、なんかそういう子供が夢を持てるような話にしたい。劇団無敵だって、子供に夢と希望を与えるおはなしをつくってますよ。ぜひ親子連れなどでいらしてください。我々は健全だ! 完全に健康だ! 夕方の鐘。の代わりか、なぜかこの町は「イマジン」が流れる。天国なんてないんだよね。そう、天国なんてないんだよ……
演劇的舞台には、「場」意外の何も存在しない。
なぜなら「場」が生成している時間こそが舞台であるから。
ということをふと思った。詳しい事は暇なときに考えようと思う。
それにしてもアトリエで即興劇をやる日が来るとは。
練習練習練習。
夕方、男流作家協会の人たちにばったり会った。立田揚げを食べていたのが妙に印象に残った。なぜだ。
ピアノで「アシタカせっ記」を、記憶をたよりに耳コピする。和音とメロディだけだが。これは編曲は大変壮大に仕上がっているが、実はとてもシンプルな土台の上にある。使ってるコードとか。
自分で作曲していてると、たまに、凝ったコード進行を使った瞬間にちょっと嫌らしくなると思うことがある。BGMは完結している音楽とちがって、前に出てる別の媒体の影響を強く受けるから、ある程度柔軟な方がいいのだろう。ミュージカルや映画などかっちり合わせられるものと比べても、ストレートプレイは内容の微細な揺れがあるからなおさらだ。
しかしこういう、既成の曲をいじってみると、手品のタネを知るような感じで「なーんだそういうことか」と思いはするのだが、ゼロから作ることは相変わらず難しいのだった。
最近クレイアニメを作ってみたい衝動に駆られている。以前コマ撮りアニメは作った事があり、やってて大変楽しかったのをふと思い出したりした。この作品は、ペンとマジックが殺し合う話で、ある芝居の公演で幕間映像として発表した。シュールで面白いと好評だった。
セリフを入れない、BGMだけの王道な感じで、表現の幅がずっと広い粘土で、しっちゃかめっちゃかしたいなと。でもすごい時間がかかることも容易に予想できるので、実現するか不明。
なんだかんだで、公演を控えているうちは忙しい。楽しいけど。
あと、試薬サイトから完全に無視を食らっていて困っていたりする。メールでの問い合わせすら返信がないので、死んでるサイトだったのかもしれない。やはり薬局で取り寄せとかしかないのか。