スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

はなやかな街・小平

今日は大学中にビラを貼りまくり、夜まで役者練習し、疲労困憊。コンパイル。謎生活。山谷ブルース。最近、即興劇が異常な面白さになってる。やはりそのメンツごとに色が変わるし、今回は濃口しょうゆなので内容もまろいね。明日から芸祭。四年ぶりにゆっくり見て回ろう。
スポンサーサイト

魔性の女

一時的にやることがない瞬間が出てきたので、ダンゲーキ・サムービの仕込みをずっと手伝っている。よかったら皆さん観てやってください。
http://gekimusa.web.fc2.com/106/top.html

しゃがんで仕事してたら腰痛再発。くたびれきったが、布切れを拾ってスカートみたいにしてたら気分がときめく。後半は手伝いはしなくてずっと女装していた。スカートはくだけで女の子の気持ちが少しわかる。かわいいって言われてマジで嬉しくなる自分が少し恐い。


bossffi.gif

何かのゲームの5面くらいのボス。多分東方だ。スカート弾幕みたいだし。その気になればアイドルマスターにも出れるかもしれない。ボーカロイドにだってなれる。ニコニコ動画(9)、あのジャンル組みはおもしろすぎるだろ。

で、なんかまた「金城さんは少女にはなれないと思う」とか言われて反射的にキレて、その後193と舞台美術について話す。堀尾幸男が来年からうちの大学に教えにくるのに、入れ違いで出て行ってしまうと悔しがっていた。油絵科だったらリヒターが教えにくる位の出来事だという。


疲れたので、糖分が多いコーラを飲む。ガストで飯を食う程度の能力。

分散

今日はボンドを水で溶いたり、壁紙を貼ったりした。
乳色だが、合成樹脂の分散系は乳濁液ではない。一般的には「アクリルエマルジョン」などと呼称されたりするが、乳濁液は液体が液体に分散しているもので、合成樹脂は個体が分散している。なので正確には乳化ではなく分散(ディスパーション)である。
などという、誰にとってもどうでもいい話をしながら、一生をしずかに終えたい。風の中で分散したい。が、役者S藤が言うには、ポエムは恥ずかしいことらしい。私の体は80%が水分で、残りはポエムなので、かなり残念な感じだ。そんな日。そんな日くらい誰にだってあるだろ! 顔面20連発コンボを食らって立っていられるかな! いられない! いてもたってもいられない! 今日を終わらせる呪文をとなえつつ、寝る。

今日の夢

友人何人かとログハウスにいたら、そのうちの一人が発狂して暴れ出す。包丁を振り回してわけの分からないことを言う。持ってたのは私の豚刀だった。岩間に置きっぱなしにしてしまった豚刀がなぜここに? あれはすごく切れ味がいいから振り回したりしたら危ない。が、悠長なこと言ってられないので、私は徒手空拳で闘った。
普段夢で殴り合いになると、殴る瞬間に時間がスローになって、うまく当たらない。これは心理学的に理由があるらしく、この事は以前も書いた。だがこの時はわりときちんと動け、殴ったり蹴ったりしているうちに暴漢は倒れた。しかしまだ豚刀を離しておらず、恐かったので、うつぶせになってる彼の腹を思いきり蹴り上げた。すると周りの友人らが「やりすぎだ」と言った。

それから警察が来て、私は暴漢を抑えたことで褒められた。新聞に出るかな、と思ったが、翌日の新聞を読んだら載っていなかった。

場面変わって、本屋。ナディッフみたいな美術系の本が多いところ。最近こういう本屋に行けてないので、いろいろ読んどこうと思い、本棚の前で座って読む。平積みされた本に肘を掛けたりしていて、マナーがすごく悪い。本にはおしゃれなインスタレーションとかがたくさん載っていたが、そういう写真よりもあるエッセイが印象的だった。どういうエッセイかは忘れた。

やがてレジが慌ただしくなった。店員のおねえちゃんと、変なホームレスみたいなおっさんがもめているのだ。おっさんに話しかけると、私の背後にあった本棚を見るように言った。本に混じってうめぼしが置かれていた。このうめぼしは、おっさんが頼んで置かせてもらってるらしい。うめぼしだけでなく、豆腐も扱っている、とおっさんは言った。私はなぜかこのおっさんをすごい人だと感じ、仲良くならなければと思った。

そしてまた場面変わる。平塚に住んでいた頃の自分の部屋。引っ越しが近く、物があまりない。本を探そうとしたら本棚がほとんど空っぽだったので、それが分かったのだ。そして現れた一匹のG。殺虫剤で闘う。空飛ぶG。空飛び。目が覚めて、ばからしくなる。




ひっさしぶりに絵を描いた

デザイン画を描かなければならないので、三年ぶりくらいに水彩を手に取る。また下書きするので、部屋にあるエスキース帳に空いてるページがないか探した。
昔描いた落書きをたくさん見る。描いた事すら忘れてたものもけっこうあって、もはや懐かしくすらない。まあ楽しいが。


kata.gif

暴走カタツムリ。カタツムリって氷河期になっても死なないらしいねえ。




yama.gif

山形浩生さんの顔。むかし大好きだった。最近は読んでないけど。しかし下手だ。高校生の頃のだろうか。




aisi.gif

受験は苦手でした。




jiga.gif

自画像。いつこんなんだったか憶えてない。




yojo.gif

これも憶えてないが、たしかこども絵画教室の子がモデルやったときに描いた。妄想ではない。




ma-.gif

子供その2。まーくん。




heru.gif

ヘルメスのエスキース。たしか高校の頃。ド下手ではないけどうまくもない。大人でも子供でもない、中学生みたいな気持ち。




udeg.gif

これは構図悪いけど好き。




baau.gif

ばうー




kakuse.gif

アンフェタミン。




moge.gif

これはあれだな、精神年齢が幼稚園だな。




geba.gif

咳が永遠に止まるゲバルト棒。




以下、十八禁。



abe18.gif

阿部さんは当時知らなかった。描いた時の事はもう忘れたが、襟の感じからしてジョジョを意識してたと思う。



そして今日描いた、デザイン画。



tinkoma-mo.gif



なんかあれだね、まあ、水彩は三年ぶりですから、お見せできない仕上がりに……

でも色彩はジブリだよね。ジブリ、俺を雇えよ。

しゅーりんがんのしゅーりんげん

研究室に修了制作の企画書を出しにいく。私は学部四年生を含めても、油絵科で最も企画書を出すのが遅かった人らしい。そんなわけでかわいい助手さんにいっぱい怒られてます。
しかし、学年が上がるごとにどんどん油絵から遠ざかってしまい、結局修了制作もパフォーマンスというのは我ながらどうだろうなあ。本当は私は超ファイン人間で「演劇もやってます」みたいな感じなのだが、世界では自我同一性の存在がいまだに信じられており、なるほど因果なことではある。

結局リンシード油晒せないまま秋になってしまったなあ。
でも冬は寒漉しができるのよ。水洗浄とどう違うのか知らんけどさ。

脱稿!!

だっしゃああああああああああああああっっっっ!!!!!

ガチ〆切には間に合いました。

もう、ポエム炸裂。そして珍しいハッピーエンド。結局「ロミオとジュリエット」は1ピクセルも関係ない話になった。でも軍事用語でもジュリエットってあるらしいから、まあ別にいいんでないの。

ああ、寝れる。明日になったらまたやる事はあるけど、今日は安らぎをください。

業務連絡2

アイバへ。あとで一稿をメールで送ります。時間は、日付が変わるか変わらないかくらいだと思う。

業務連絡

携帯を落としました。近日中に拾いますが、急ぎなのでここに。

一稿を今日中に上げるつもりです。ので、押してたら練習は休むかもしれません。それだけ。

がりがりがりがり

「ジュリエットD.V.D」の話がだいたい出来上がる。書いてみると悲しい話じゃなかったなあ。スケールも小さくていいね。「町の神」とか出てくる、ご近所話。

そしてちょっと恐い話よ。

地獄野郎

仮眠したら起きられなかったという。

知り合いの知り合い的な造形屋さんに特殊衣装の事とかで打ち合わせ。普段仮面ライダーとか、そういうのを作ってる人で、作品を写真で見せてもらったがすごいクオリティ。さすがプロ。

さて、今日もがんばらねば。

無限の労力

これから仮眠してニ徹目だが、久しぶりに体力が持ってる気がする。飯さえ食ってれば無限に動ける。ありがたいことだ。

伝説のMAD職人

これは実は「自動販売機の中の人」の作品ではないのか? という噂とか。





自販機さんは「頭がパーン!」を最初に作った人である。風の妖精や伯方の塩も彼が震源地。
最近は別アカウントでの投稿が多いらしい。これは著作権問題などで削除対象になる動画もアップしているので、垢BAN対策が理由のようだが、「名前だけで評価されるのに嫌気がさしてきた」ことで覆面をやっている、という噂もある。

それが事実であり、もし上の作者「皿」さんが自販機さんだったら、同じ理由で覆面作家をやったがそれでも売れてしまい隠しきれなくなったスティーブン・キングみたいだ。

単なる生活を演じて

別役実の演劇教室 舞台を遊ぶ別役実の演劇教室 舞台を遊ぶ
(2002/12)
別役 実

商品詳細を見る


最近これを練習で使っている。
練習のインプロはこれまでずっと「見せる」ことを強く意識した方針だったので、なんだかんだ言ってコメディストア的というかキース・ジョンストンの流れに乗った方向でプレイしながら演技の感覚をつかんでいく感じだった。
が、ここらで一旦立ち返って、基礎の練習としてインプロをやることにした。

今日は、「道ですれ違った人を知り合いだと思い呼び止めたが、実は人違いだった」というだけの内容を半即興で、動きやニュアンスのパターンを変えて何回もやった。これがけっこう面白い。役者の持つ魅力が非常に明確に出るし、「演じてる間だけ生きている登場人物」の生をより感じられる。

その延長で、写実的なニュアンスだけを求めた、生活を切り取ったようなインプロもやる。
脚本を読むにしろ即興にしろ、「強い意識」と「なりきり」の平行は常にあるが、これは意識の部分を切り捨てたもの。展開もストーリーもパートナーの読みも落ちも考えなくていい。普段このようなことで頭はフル回転だったので、純粋にその人になっていればいい演技は、より現実に近い。

役者は舞台を起点として、舞台そのものとなる存在だ。だからうまくいかずに劇的空間の緊張が失われた場合、役者の身体も成立しなくなるので、そういうときは激烈に辛い。だがこのような縛りがある上では、緊張感は登場人物が生きてるかどうかにだけ掛かっているので、数分間の間「暮らして」いれば、そこに人物は現れる。
で、その数分間なにも考えずに別人になったのだが、楽しかったので、生きるのはいいことなんだな、と思った。



戒め説

今日、ちょっとしたきっかけで北斎の富嶽三十六景・神奈川沖浪裏の図版を見た。
これ

そして予備校にいってた頃、日本画の先生がこの絵について語っていたのを思い出した。
先生いわく、この絵は「戒め」らしい。

神奈川沖浪裏がどのような絵か、というのは、「高波に舟が呑まれる悲劇的な絵」という説と「誇張された表現的な風景であるだけ」という説があるようだ。前者はイギリスの評論家の曲解のようで、あまり評価されてない。晴れているのにここまで波が高まることはないだろう、というのが根拠である。

が、日本画の先生はこの光景は「実際にあったこと」だとし、「富士山が見える日は海に出ちゃいけない」と言った。

空が澄んでいる時は、どのような因果か忘れたが、急に高波になることがあるという。最近の例では、湘南にある某高校のヨット部で遭難があった日、やはり富士がきれいに見えたそうだ。

「この構図に舟はいらないよ、お前も絵描いてるなら分かるだろ? じゃあなんであるんだ? 戒めだよ。富士山が見える日はやばいんだよ」

真偽のほどは不明だが、この人は茅ヶ崎に在住しており、自然の観察力が鋭いので、神奈川の海についてもまあ詳しいのだろう。

だが同時にとてつもない変人であり、ゴッホの絵に対して「パース狂ってやがる」と言い放つほどのぶっ飛び具合だった。(ちなみに私が『それははわざと描いてるんでしょう?』と言うと、『……いや。そうとは限らないかもしれないぞ』とおっしゃられた。これはもう爆笑だった)

そんな先生の作品は、やはり何かの戒めを込めてるか、あるいは、何かいいことをした人の姿が描かれている。いいことをした人の背景には、「エライ!」という意味で富士山が入る。そしていいことをした人はだいたい、自分の子供の成長した未来の姿らしい。もう突っ込みどころ満載なのだが、そんな解説でもなぜか納得させられる。妙に魅力的なのだ。

絵に対する考え方は、さまざまな作家、評論家のものを見聞きしたが、この人のが一番好きで、今後も破られる気配がない。


樹脂の世界?

大学の喫煙所で耳にした会話。
「樹脂の世界って厳しいの?」

それは例えばダンマルちゃんやマスチック君とかがキノコの家に住んでいて、蜂蜜を取るのが仕事、みたいな世界だけど、生意気にしてるとおゆうぎ会で先輩に小道具を隠されて「どうしよう、もうすぐ出番なのにお花がない!」みたいな宝塚的風景もあるものなのかしら。ちなみに話の続きを聞くと、彫刻か立体系の学生らしく、どの素材を専門にするのか、という内容だった。立体で樹脂というとFRPかしら。

樹脂は彫刻に使った事はないが、油彩や木工の仕上げではかなり活躍する。ウレタンを初めて使った時は、本当にツルツルになるのでけっこう感動したりした。だが油彩ではこのような樹脂は使えない。

乾いた油は多孔質で、顕微鏡で見るとスポンジのようになっている。絵の具の固着は、これに上層が食い込むことによって成り立っている。一方樹脂は平滑で、下層に多用すると上層が固着しなくなる。受験絵画が数年で寿命をむかえるのは、乾燥を早くするためにダンマルやアルキドを異常に使うからだ。
(他にはシッカチーフクルトレも直接の原因となる。これは表面的な乾燥を早めるだけの樹脂とは違って、乾性油そのものの乾燥速度を上げてしまう代物だが、言ってみれば覚醒剤みたいなもので、よほどのことがない限り使わない方がいい。)

油彩に使用する樹脂は、比較的艶が穏やかなものが多い。多孔ではないだろうが、表面積は大きいのだろう。特にマスチックは柔らかい上品な光沢ができる。ルーベンスが好んで使ったという。
また、マスチックは元々お香などに使われていて、食べてもおいしいという話も「絵画技術体系」に載っている。が、実際試しに食べてみたらほぼ無味無臭であった。低級品だったのかもしれない。

しかし油彩でも、非常に光沢のある樹脂が使われることもある。コーパルという半化石樹脂だ。普通の現存樹脂は溶剤に溶解させてから、油との混合物にして使う。一方コーパルはそのままでは使えず、ランニング処理ということをして油に反応させ、油と樹脂の化合物にしてから使用する。この処理は大変に手間がかかる上に悪臭を放ち、しかもこの樹脂を使用する層は非常に限られているとあって、メーカーは作りたがらない。日本ではマツダだけだ。
コーパルは大変な強度があり、光沢も絵画用としては異常に平滑なので、なるほど自然物とはいえ無理矢理使える形にした感はある。湿度に強いらしいので、日本向きかもしれない。本来、日本の気候は油絵には向かない。
このコーパルがさらに年月を経て化石化したものが琥珀なのだが、琥珀をワニス化する試みは歴史上多くなされていた。成功したという話もあるが、パラケルススがホムンクルスを作ったという話並みに怪しい。現代では化学的にありえないとされているし、恐らく作れたとしても有用ではないと思う。安定しすぎていると修復ができないから。

そういうことを考えながら油絵を描いていると、樹脂の世界が見えてくる気がする。キノコの家とか。絵描きのなかには、「絵の具や、絵の声が聞こえる」ということを言う人がいる。ある種類の感性をもっていると、そういうのが見聞きできるようになるのだ。この事については、いつか日を改めて書いてみたい。


今日は我ながらどうかと思う

こんにちは、〆切を守れなかったクソ野郎です。ここ数日は細かいミスも多いしあまり調子がよくない。詩の習作はしゃかしゃか書いてるが、作品になかなかならず苦労。
脂ののったサバでも早く食わねば当たってしまう。

未明、清瀬付近まで自転車で行き、朝日を見る。雲間から鋭い光が降りそそぐ壮大な風景。空が広い場所さえ見つけられれば、東京砂漠でだって毎日ファンタジーは見れるのだ。

あとダンゲーキ・サムービの連中はなにかにつけて「金城さんは少女になりたいんでしょ!」と言うけれど、私は野矢茂樹的なヴィトゲンシュタイン解釈の結論、あるいはジョージ・オーウェルの「1984年」で登場したスローガン「自由は屈従である」の肯定的な姿の例として、その達成された姿をわかりやすいように仮に「少女」というイメージを当てて語っているのであり、決して単純な少女趣味に走りたいという意味ではないことを理解してほしい。それを説明するために紙の話を書いてるので、ちょっと更新を待ってよ。いつ書けるかわからないけど。そういえば、ヴィトゲンシュタインものも一回やったきりで頓挫している。忘れてるわけじゃないのよ、ただあれは書くのがすごく大変なので、読みたい人は気長に待ってください。そんなわけで最近は謝らねばならないことばかりなのです。

終末の日(〆切り)

普段は世界平和を祈ってる私ですが、この世が滅べばいいと思う日もあります。それは〆切です。なので、今日は人類を滅亡させる大量破壊生物兵器を張ります。




さらに大魔王降臨。

生活が再生紙

皿を割ってしまった。悲しい。

最近志賀直哉を読み返している。中学生の頃課題図書などで読んだ時はどこが面白いのか分からなかったが、今読むとなんかほっこりしていい感じですね。なんかしらの警句が込められていたり、寓話だったりするのだが、それよりも人々の生活臭さというか、登場人物たちが端から見ればどうでもいい事に悩む姿が好感を持てる。「小僧の神様」を読んだ感想は、「よかったねえ~お寿司いっぱい食べれて」である。そんな感想を持てる文学を俺は求めていた。

あと最近気になった事は、表札屋の山崎さんの安否だった。つい先日、夜に店の前を通ったら、店外に置かれてる表札・看板がめっきり減っていた。この店は表札が20万個ほど置いてあり(しかも全て山崎さんの手作り)、妖怪の巣窟のような雰囲気なのだが、看板が減ると単なる廃屋にしか見えない。彼はもう80歳を超えているので、ちょっと心配だ。

山崎さんとは、初めて店を訪れたときの一度しか会ってないが、色々話を聞かせてくれた。外見からして仙人のようで、経歴も異常な、不思議な人だった。戦争中には満州へ行っており、趣味で書道をやっていたが、爆撃されて紙が半分吹っ飛んだという。現物も見せてくれたりした。
心配なので、今度会いにいってみよう。

町への愛と、若者の神

「天体戦士サンレッド」が、なぜ気になっているか分かった。川崎市への愛であふれているからだ。(この話は川崎が舞台となっている)

川崎は私の住んでいた横浜のすぐ北にあり、昔はちょいちょい遊びにいった。かなり個性の強い町という印象を個人的に持っている。サンレッドの登場人物はボロアパートに住む若者、同棲してるヒモ、ホスト、生活臭くて気づかいあふれるおばさん(のような人)、不良の高校生(みたいな人)などなど、全体的に見れば「ああ、言われてみれば川崎だなあ」と共感できるようなメンツだ。話の舞台も溝の口とか二子玉川とか、神奈川の人以外にはあまり知られていないだろうマイナーな場所である。
こういう設定は、愛がないとできない。だから人物が無駄に細かく魅力的なのか。

私も小金井のことはよく話にしたりする(『清潔』では小金井市が舞台だったり)。が、この地は治安がとてもよく、住民もアッパーミドルクラスが多いのでドラマティックな町ではない。旧い家もわりかし立派な日本家屋が多いので、昔からそういう町だったのかもしれない。だから私が書く小金井の出来事は全部フィクションといえる。
だが今日、自転車で走っている途中で、Tシャツにパンティ姿でお庭の草むしりをしてる中年女性を発見した。その瞬間は「ここは魔境か?」と思った。住宅地にも木々が多く鬱蒼としているので、そういう妖精がいてもいいような気はするのだった。

その自転車で走っている間、「自分の世代はどのような前提で表現に関わっているのか」という事について考えていた。
先日実家に戻っている間、父親と「作家の持つ原風景」といった話をした。例えば五木寛之は戦後の焼け跡から始まっているし、別役実は満州の荒野からはじまっている(何もない荒野に電柱・電線だけが通っていて、その先には都市があるはず。人間への手がかりがそれしかないという風景)。全共闘を見ながら育った世代もあったろう。
一方昭和六十年生まれの私には、幼少期に世代的なクライシスはなかったのだった。平成不況は日本経済には大きなダメージだったが、子供の精神に直接影響するものではなかった。

原風景に限らず、今の若年層は世代的な体験というものに乏しい。就職難がせいぜいだろう。だから己のいる世界を解釈する材料としての体験は、共通のものでなく個体のものへと移ったように思える。

かつて20世紀文学は、「自己という怪物との戦い」だった(と言う人がいる)。ジェイムズ・ジョイスやプルーストがそうだった。が、後にスポットの当てどころを人間ではなく社会に変えた文学が現れる。それが「共産圏の理不尽」を書いたミラン・クンデラ、「100年の歴史の中で生まれ、死んでいく人々の系譜」を書いたガルシア=マルケスなどだった。

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)
(1998/11)
ミラン クンデラ

商品詳細を見る


百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))
(2006/12)
ガブリエル ガルシア=マルケス

商品詳細を見る


これらの書では、人間は「小さいもの」として書かれている。内的な葛藤というのは部分に過ぎず、世界は大きく解釈される。
(ただミラン・クンデラは、自作を『ラブストーリーだ』と主張している。それもまた確かな事だが)

が、現代の日本においては、物語は小さくなった。そしてそれは、文学的な逆行や停滞ではなく、今までとは別ものの「自己」が表されるようになる。
人間を描いた文学においては、世界は前提として機能していた。だが、現代においてはそれは「あるのは知っているがよく分からないもの、あるいは必要とあらばその一部や精神的影響を無視できるもの」となったのである。
個人の体験においてのみ解釈される世界とは、モンスターではなく、単にストレンジャーなものなのかもしれない。

それを象徴するのが、一昔流行った「セカイ系」だろう。
詳しくは知らないが、恐らく「新世紀エヴァンゲリオン」あたりから、個人の感情や思考が世界観において絶対的な基準となる構図が確立した。そこでは世界の出来事は重要でなく、主人公シンジ君の内面こそが世界である。実際エヴァは全編を通して、正確には何が起こってるのかさっぱり分からないアニメだ。矛盾のない公式の解釈というのが存在するらしいが、それは絶対にこじつけだと思う。あるいは、作品に全く反映されてないから意味がない。

「ストレンジャーな世界との遭遇」という図式自体は昔からあるが、ここにおいてはストレンジャーが、ストレンジャーである点についてはさほど問題視していないという大逆転がある。

これが、若者にとっての自然な感覚と言っても、言い過ぎではないのではないか。
セカイ系のブームは漫画・アニメの一部で起こった事だが、このような作品群が生まれえた事も考えると、次元は違っても一般的に存在する感覚であるといえよう。

内田樹がこんな体験談を言っていた。「教え子の女子学生が、外来語が多様されているファッション雑誌を愛読している。が、そこにある外来語の意味を聞くと、その学生はわからないと答えた。その学生は、『理解できない多くの語がある』ことを無意識に無視し、全体を理解したつもりになっていた」

ストレンジャーについて、もし自分が理解を望まないなら、無視あるいは自分の文脈で補完することで、問題なく世界と接触する事ができるのである。

こうして若い人は、世界を見る。そして世界を見るためには、世界はストレンジャー以外のものであってはならず、「世界を常にストレンジャーなものとして管理する絶対的な自己」という神を捨てる事ができない。


以前、このようなことを簡潔に言い表した文章を読んだ事がある。いわく、これは「自然な自明性の喪失」どころではなくて、「『自明性の喪失』が自然」と言える。

この件についての最大の問題は、「問題なく世界と接触する事ができる」点である。多くの人は、この点を「よくない」とする。たしかにこういう姿勢は、視点の精度を著しく落とす。が、当人たちは「それでよい」のである。この感覚で生きていく事はできるからだ。この状態のままで、個体は社会的に機能することもできるし、精神的なリスクも避けられるのではないか。むしろ「若い世代の私の世界に対する位置、体験などは特に根拠に乏しい」ことを自覚してしまうというクライシスを起こさないためのセーフティとして現れたのかもしれない。

(……あるいはもともとは、社会変動の少なかった原始社会では、世界に対して鈍感であることがデフォルトで、批判精神を持つのは偏差的なもの、病気だったのかもしれない。それを言ったら、文明は生物の病気、生物は物質の病気……)

ということを考えてました。
だから私は根拠のない作品を書くべきなのではないか。世代として。でもそれが根拠になるのか。やだなあ。

少なくとも「作家はある切実さをもって表現をする」という神話をなくすしかない、というのはある。これは人間の普遍的で自然な感情に反してるが、もうそういう姑息なコンセプトしかのこってないのだ。因果な事だ。

嗚呼、小金井……

今日はあまりいいことがなかった。疲労。

「天体戦士サンレッド」が最近気になる。話はそこまでではないが、細かいセリフが秀逸。正義の味方が化け物に説教されるというシチュエーションとか。

紙の話、第二部開始。芥川竜之介のパクリ。以下参考資料
パルプ・フィクション [DVD]パルプ・フィクション [DVD]
(2003/12/05)
ブルース・ウィリスジョン・トラボルタ

商品詳細を見る
ゴッドファーザー 完全日本語版ゴッドファーザー 完全日本語版
(2006/08/03)
Windows XP

商品詳細を見る
映画パンフレット『プラトーン』映画パンフレット『プラトーン』
()
不明

商品詳細を見る
ソードフィッシュ 特別版 [DVD]ソードフィッシュ 特別版 [DVD]
(2009/07/08)
ジョン・トラボルタヒュー・ジャックマン

商品詳細を見る
不思議惑星キン・ザ・ザ~ギア・カンチェリ・フィルム・ミュージック不思議惑星キン・ザ・ザ~ギア・カンチェリ・フィルム・ミュージック
(2001/07/25)
サントラ

商品詳細を見る

とにかくかく

今日の執筆量、16000字也。戯曲で言えばお手頃サイズ。
ジュリエットも締め切りに絶対間に合わせます。
ちなみにラブコメを書いてみたのだけど、これ書いてて楽しいね。そして俺がラブコメを書くという事態が楽しいね。

あと郵便ポストをチェックする習慣がないせいで、貰ったお便りに気づかなかったという大変失礼なミスを犯してしまった。心よりお詫びします。すいません。返信しました。

語源の果て

四十雀のしらべでもきこしませよ、盆盆。

だいぶ生理的に整ってきた。明日からばりばり働こうと思う。

ところで唐十郎さんの伝説は聞けば聞くほどすごいねえ。昔、舞台上で本物のピストルぶっぱなして逮捕されたんだって。わお。

秋になる雨

夜、散歩に出かける。歩いている方が頭が回るので、雨の中ぶらぶらしながら手帳に詩を書きつけていく。次の公演の元ネタを作るのだ。

が、深夜の雨の中で書いたので、なんか寂しい内容になりがち。次回はちょっとダークな話になるかも。

タイトルだけもう決まっていて、「ジュリエットD.V.D」という。DVDは「ドメスティック・バイオレンス・だよ」の略。どういう話かというと、ジュリエットとドメスティックバイオレンスの話だ。

長編は悲しい話ばかり書いているので、そろそろバカみたいなのも作ってみたいのだが、生理的な問題でもう一回悲しいのをやっときたい気分です。

井上陽水に歌ってもらいたいよ

主人公が死にましたが、紙の話は続きます。

死に至らない病。だが油断するな! この時限爆弾が起爆したらお前はこのビルごとオダブツだ!!

なんだか管理画面に入れなかったんですよ、この間。最近は携帯電話を買い替えたり、わりと平和に暮らしてます。体力も戻りつつある。

魔法陣グルグル (1) (ガンガンコミックス)魔法陣グルグル (1) (ガンガンコミックス)
(1993/08)
衛藤 ヒロユキ

商品詳細を見る



アイバと漫画の話をしていたら「魔法陣グルグル」が話題に上った。
これは昔とても好きで読んでいたもので、ガンガン系では最も有名な漫画の一つだと思う。何の能力もない主人公と、半人前の魔法使いが魔王を倒す旅をする、という話。
いわゆるドラクエ系世界観の漫画なのだが、「漫画はバーリ・トゥード」という理念に基づいた滅茶苦茶なギャグが連発され、結果的に独自の世界観を作り上げている。

グルグルは途中で長期休載が入ったりしたので、コミックスの途中で読むのを諦めて、そのまま忘れてしまっていた。が、こうして思い出したし、いい機会なので全巻古本屋で買って読み直してみた。

ストーリーというのが何のためにあるのか、というのを考えさせられますね。

グルグルは全16巻のうち、10巻で既に最も重要で、核心にふれる話と、その解決すら描いてしまっている。
この作品の面白い所は「本質的には、魔王はどうでもいい存在」という点にあるが、魔王に到達する以前に本質を描きすぎてしまったため、最後の戦いが本当にどうでもいいものになってしまった。

10巻のラストに「彼らの旅は続く……」と添えて終わっていれば、まああんまりな終わり方だが、それはそれで名作だったと思う。

恐らく作者自身もその点については自覚していただろうし、少なくともその後の失速の一因にはなっているだろう。


長期連載などの非常に長い話になると、後半は前半に対して負わなければならない責任が大きくなる。
それは「設定」「伏線」という単純な要素もあれば、「この物語はいかにあるか」という位置づけの役割までさまざまある。

先日、ドラマとアイデアの関係について考えたことがある。アイデアは「テーマ」にも置き換えられると思う。すなわち、作品にとってアイデアのためにドラマがあるのか、ドラマのためにアイデアがあるのかで、その質は大きく変わっていく。
初期の「魔法陣グルグル」は、衛藤のギャグセンスを披露する場としてストーリーや設定がある、という構図だった。が、やがて核心となる伏線が暴かれ、ドラマが主体となった。

衛藤ヒロユキは細かい設定を考えてから描くのではなく、アイデア待ちが多いと自身で語っており、ドラマの前景化も、構成的に考えたのではなくアイデアの連鎖から自然に発生したものだろうと思われる。
自然発生したドラマは、作者自身の制御が効かないという点で非常に危険だ。この手のアイデアは、むしろ作者が制御を解いた時に生まれうる性質のものだ。

そしてテーマが暴走し、ストーリーを追い越してしまった。

だから11巻以降は、回収しきれなかった伏線の落ち穂拾いの感があるのだ。「魔王を倒す」ことすらも。


総合して言うと、「魔法陣グルグル」は賞賛に値する漫画ではある。しかし、その全話を通じて評すると疑問は残る、といったものだろう。


(もう一つ言うと、グルグルは最初は、何も知らない少年少女が旅をし、今まで知らなかった人や文化、団体や強敵に出会い、世界を広めていくという通過儀礼的な要素があった。が、途中から『思春期』というテーマが強く押し出されることによって、主人公たちは己の感情を絶対化しはじめる。世界は閉ざされる。思春期を『内的には最大の通過儀礼』と捉えず、その礼賛に終わったのがグルグルの失敗と言えるだろう。
このようなことは、リアルタイムで読んでた子供のころは思わなかった。主人公のニケやククリはお兄さんお姉さんだったのに、今や私は彼らより10歳以上年上になってしまった。因果なことだ)
プロフィール

金城孝祐

Author:金城孝祐
劇団無敵の作・演出家。油絵も描いてる。

最新コメント
カレンダー
09 | 2009/10 | 11
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新記事
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。