スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

燻製最終報告

一晩寝かせたチーズを味見。コンテはまあまあ、レッドチェダーは煙との相性があんまよくない気がするね。一度溶けて再び固まったので味が落ちたという可能性もある。でもまあ、これからも色々なチーズを試してみようと思う。

ハムは中まで火を通さないレア。よく乾かされて、煙ったくない。すこしタイムが多すぎた気はするが、100g百円の肉にしてはよくやったといえる味。
料理にもつまみにもなるので便利。

そんなわけで今回の燻製はおわり。全体的に雑だったが、まあいいとしよう。次回は言い訳なしのものを作る。
スポンサーサイト

続・燻製

朝起きて、スモークにかけてた鮭の様子を見てみた。もう、しっかり火が通ってました。煙が切れるのをおそれて寝る前に大量に放り込んだチップが、思ったより勢いづいてしまったらしい。いや、そうなることは分かってた。三十分目を放しただけですねちゃうのに、一晩放っておいてまともな大人になるわけがない。
冷燻用の新しいボックスを作ろう、と思った。

煙は十分掛かったようだが、とくに下の方は焦げるくらい加熱されてしまった。箱内温は恐らく90-100℃くらいまでは上がってたんだろう。それくらいまでは意外とすぐ上がる。私は150℃にしてしまったこともある。

しかし、これはスペック的に不可能がわかってたので(そう信じたくなかったが)、誤算ではない。思ったより悪かったけど。今回みたかったのは、ソミュール液の味つけ具合と、オリーブオイルの効果と、ドローイング的な仕上がりだ。だから味をみて次に繋げられたらいい。というわけで味見をしてみる。今味見しました。
これは!
馬胃! まさかの。

熱源から遠い上部の中のほうはあまり火は通ってなく、ミディアムレアと言った感じ。かなりスモークサーモンですね、ここは。オリーブオイル効果もかすかにあるような気がして、なかなかいいです。完成形が見えた。
下の焦げたあたりは、どう見ても焼鮭です、本当にありがとうございました。 

ホタテの出来は、普通によかった。ちょい表面が固いけどね。やはり蒸すのがいいのだろう。
本物の煙とハーブの香りがして、いかにも酒が進みそうだ。

普通市販されているものでは、本当の燻製は非常に少ない。高級食材店か、自家製をやってる所でないと手に入らないと思う。さらに、発色剤など添加物が含まれていない物は、皆無である。

まず燻製は見栄えが悪い。色が鈍い。だから発色剤を入れないと売れないのである。
またほとんどの製品は、燻製しておらず、燻液などの調味料で風味をつけているだけだ。燻液とは何かというと、木酢液のこと。

「美味しんぼ」に出てくる話だが、日本人は化学調味料の味に慣れ過ぎて、自然の味が分からなくなっている、ということが言われる。私は「防腐剤の味」も併せて慣れているのではないかと思う。コンビニの味。加工食品のほぼ全てには多かれ少なかれ、防腐剤が入っている。

一つ、信じがたい逸話を聞いた。スマトラ沖地震の時、現地人の死体はすみやかに腐敗したが、日本人の死体は持ちがよかったという。これは体内に防腐剤が蓄積されているからだという説。真偽はわからないが、化学調味料と防腐剤を日常口にしているのは事実といえる。

これが体に悪い、とは言わない。よくないだろうが、あまり気にしなくていいと思う。日本人は平均80年以上生きるんだし。ただ、その味に慣れてしまうと、本物の燻製の味はすこし生々しく感じるのではないか、と思う。

そして最後に、ハムをやる。これは温燻だしわりと手間がかからない。60℃に保つ。ハム、ベーコンは70℃で、という記述も多いが、これは味より殺菌が優先されてる設定のような気がする。
煙かけを終え、現在風乾中。

nikunimk

豚はいつもキログラム単位でやってるので、このベビーサイズはなんかかわいい。
こればかりは失敗はありえないだろうが、レシピをいつもよりすこし甘口にしてみたので、出来具合は楽しみ。


燻製中間報告

たて塩法を初めてやった。
塩漬けには、調味料を刷り込んでラップするふり塩法と、ソミュール液を作りつけ込むたて塩法があり、目的や好みによって使い分けるのだが、鮭はふり塩は聞いたことないのでたて塩でやってみたのだった。

水1,5リットルほどに、塩150グラムくらい、水飴スプーン三杯くらい、三温糖大さじ5くらい、ローリエ三枚、タイム少し、黒こしょう多め、切ったグレープフルーツ。配分は適当。味見しながら決める。煮てから常温まで冷ます。
醤油が使えたらどんなにいいか、とは思うが、勉強の意味もかねての燻製とするとルール違反はよくないので、使わなかった。

とはいえ、まじめな勉強ではなく、せいぜい実験程度。スモークサーモンは技術も手間もいるので、ちょっとインスタント製法ではあるがやってみるのだった。だいたいグレープフルーツだって、たまたまあったから入れたし。柑橘系を使うとしたらオレンジが一般的。

このソミュール液に鮭とホタテを入れ、三時間ほど放置。本当は数週間寝かせてから塩抜きするんだけど、カット。浸け終わったら、ホタテは水分を拭き取ってオーブントースターで乾かす。本当は蒸した方がうまみを閉じ込められるらしいが、べつに乾けばいい。鮭は同じく水分を拭き取って少し乾かした後、EVオリーブオイルを塗る。これは今日仕入れた謎の技法だが、面白そうなのでやってみた。これも本当はひたひたにして数日漬け込むのだが、塗って一時間おくだけ。今日煙まで行かないと、面倒臭いんだよ。

まずホタテとチーズを燻製にかける。チーズは「レッドチェダー」と「コンテ」の二種。セミハードとハードで、固めのチーズである。燻材はサクラのウッド。

ぼくの七輪段ボールのせ型薫製機は、底に燻材を入れて、網の上にブツを置き、ガスコンロの上に乗せて必要ならガスで温度調節、換気扇で排気という家庭の知恵的代物だが、チーズが心配なのでウッドの燃える熱のみにする。段ボールに温度計を刺して、ときどき温度や中の様子などを見る。
注意を怠ると、いつの間にか温度がバカ高くなってたりとかアウトオブコントロール状態になるので、常に見ているくらいがいいのだが……

三十分くらいうっかり放置して、慌てて中身を見ました。

普通は、チーズを燻製するときはプロセスチーズを選ぶ。ナチュラルチーズだと溶けやすいからね。でもぼくはナチュラルチーズを選んだ。なぜかって? それはぼくがひねくれ者で、開拓精神にあふれるからではなく、単にチーズを選んだ時にそんなの忘れてただけです。はっはっはっ。コガネインジョークですよ。はっはっはっ。つまらないでしょう。小金井にジョークの上手い奴なんていませんよ、退屈なアッパーミドルクラスどもの町ですから。

箱を開けた時には、チーズはスプラッター状態だった。溶けて網からどろどろに垂れ下がっていた。

それでもほぼ全て救出した。底まで落ちてたらもう食えないので、危機一髪であった。50℃で十分崩壊するのね、勉強になった。

とりあえずホタテとチーズは取り出して、第一波終了。しばらく空気にさらす。燻製はできたてはまずい。ちょっと風に当ててから冷蔵庫で一晩寝かさなければならない。

オイルを塗った鮭を、きれいに拭き、串を通し、ガスで強火の遠火で軽く乾かす。湿ってたら煙が乗らないの。オイルが中にどれだけ染みたかは不確かだが、まあいい。串の両端を段ボール上部の溝に差し込む。こうすれば吊ることもできるのだ、いいでしょう。

サクラの燃え残りにナラのウッドを追加。サクラより魚と相性がいい。
これを、今日寝てる間中煙が出るようにする。
火気があるまま寝るのは非常に危険と言われているが、火は燃え広がる時と、燃え広がらない時がある。

スティーブン・ハンターが「狩りのとき」という小説で主人公にこう喋らせている。「銃弾は、急所に当たったらすぐ死ぬけど、急所を外れたらなかなか死なないものなんだ」

だから急所がなければ火事にはならない。七輪はわりと重いし安定してるので震度四の地震でも平気。鮭はふるふるしそうだけどな。震度6だったら落ちるかもだけど、その時は俺が生きてればまあラッキー。だいたい今の床材や壁材って燃えないからね。敷金は帰ってこなくなるだろうけどな! はっはっはっ、コガネインジョークですよ。殺したくなるでしょう? 

で、最後が豚。これは数日前からふり塩で漬けていた。だいたい上のソミュール液と同じ配分。鮭やホタテやチーズでこちゃこちゃやってる間にずっと塩抜きしていた。そろそろ縛って吊って、夜通しで乾かすのだが、料理用タコ糸が見当たらない。いつもなくすんだよ、タコ糸。どうしたものかと思い、ゴミ縛り用の紙ヒモで代用を考える。とりあえず必要と思われる分を切り、殺菌のためウィスキーに漬けてみる。でも今になって、串通してもいいんじゃないかなと思った。見てくれとか別にいいし。そう考えると、ウィスキー勿体ないことをした。飲むか。はい、今飲んでみました。紙ヒモの香りがします! こいつ存在そのものがコガネインジョークですね、しょうがないけど捨てるしかない。

とか書いているうちに、鮭のスモークも一瞬100℃になってしまった。この薫製機じゃ熱源が近すぎて冷燻は無理だ。

吊った豚は明日の午前に燻製、夜にはおかずになるという算段です。

独りで手の込んだ料理を作り食酢のはもう慣れたけど、やはり人がいた方が楽しいですね。この冬は本気のスモークサーモンも作るつもりなので、誰か食いに来ませんか。



休日なので燻製作る

これから豚肩、サーモン、ホタテ、チーズ各種をスモークします。ワインもちょっといいの買った。料理への情熱、復活。これも健康のなせる業か。

妙な話

白川静と梅原猛の対談がおもしろいので、いくつか抜いてみる。
古代中国の漢字学や思想についての話である。とくに孔子の研究が非常に興味深い。


梅原 話は変わりますけど、先生の『孔子伝』、孔子が巫女の私生児というのはショッキングな説ですね、あれは。
白川 そうですか(笑)あなたのお株を奪うたような。
梅原 文字の解釈も驚きが多いですけれどね。孔子の解釈はまたギョッとしましたね。
白川 いやあれはね、孔子というのはね、あまりにも偶像化されて、『史記』の時代にはね、もう完全に偶像化されていますからね。儒教が国教になっておったし。だけどもね、孔子の名前がだいいち変ですね。名は丘、字は仲尼。「仲」というのはこれ、「伯・仲・叔・季」(※1)やからね、周の命名法です。これがね、尼山に祈って生まれたからね、名を「丘」として、字にこの「尼」を採ったという風に考えられている訳ですね。だから尼山に祈って生まれたということは、これではっきりする。
梅原 そうですね。
白川 うん、伝説でもこれは一応認めておる訳ですね。ところがね、孔子の弟子の弟子ぐらいの時代にできた『礼記』の中のね、「檀弓」とか、「曲礼」とかいうようなのはね、『礼記』の中でもわりに古い、漢に入る前に出来ておるんですが、その中にね、孔子が自分の父母の墓の在り場所を知らなかったという話が書いてある。これはね、孔子が家柄の子ではないということです。
梅原 ああ、家柄の子は父母の墓の在り処をみんな知っている訳ですか。
白川 家柄だったら、そりゃあねえ、家の先祖の祭をしているはずです。
梅原 中国は先祖の祭を大切にしている。
白川 しかもね、父と母の墓がね、別々であったという。これはね、れっきとした家庭ではないということですわな。それで孔子がね、これを一緒にしたいと思うて、墓を築き直して合葬した。ところが、大雨が降ってね、墓が崩れてしまった。これはね、墓というのは、再築出来んのです。それで孔子がげん然として涙を流して泣いたということがね、「檀弓」の中には書いてある。
梅原 そうですか。とすると孔子は家柄が良くないことになる。
白川 そういうことから考えるとね。

(中略)

白川 そうそう。それから孔子がね、あなたは非常に多能である、と人に誉められるんですよ。そうするとね、「我少き時、賤しかりき」、わしは非常に下賎な身分であった、「故に鄙事に多能なり」、とね。「君子は、多ならんや、多ならざるなり」と、君子がそんなに多芸であるということは無いのである、と孔子は嘆くように言っているのです。
梅原 それは、それも『礼記』ですか。
白川 『論語』の中にある。
梅原 『論語』の中。ああ、そうですか。
白川 『論語』の中、「子罕」篇に。これは孔子の言葉としてある。
梅原 それと『礼記』を合わせると……
白川 そう、そうなると『史記』の孔子の伝は崩れてしまう(笑)。

(中略)

白川 孔子と同じ時代の墨子がね、孔子のことをよく書いとるんです。それもまともに孔子と呼ばずにね、孔某と称しておる。
梅原 ほーう。
白川 いくらか見下げた言い方でね。
梅原 やっぱり家柄故ですか。
白川 いや、魯の国でね、みだりに反乱を起こして国を追放されたとかね、彼は結局革命者であったけれども、こっちから見たら謀反人ですわな。
梅原 家柄は関係ないですか。
白川 いや、家柄でなしにね、墨家とは活動の仕方が違う。社会の秩序をね、積極的に創るというのではなくて、むしろ破壊しようとしとるというて、墨子は非難しとるのです。
梅原 そうですか。
白川 それで、墨子自身は一種の共同体みたいな工作者の集団でしたからね。彼らは、集団性の強い職能者であった。これは本当はね、墨刑を受けた、刑罰を受けた刑務所の連中ですよ、今で言えば。
梅原 墨子は。ほーう。
白川 それが、王宮とか、或は大きな神殿とか、そういう風な所にね、部属として使われておる。そう言う集団が、自分たちの属していた貴族階級が崩壊した後に独立して、共同体的な組織で活動している。だから、墨子の立場から見ればね、身分階層を重んずるというような孔子はね、もう目の敵なんですよ。
梅原 ほう。
白川 だから、孔子に対してはね、非常に厳しい批判をしておる。
梅原 そうでしょうね。
白川 そういう面から見ていくとね、儒教の在り方が良く解る。彼らは金持ちの葬式があると、嬉々として喜び勇んでね、集まってくるではないか、というて非難する。
一同 (笑)
白川 孔子は葬式屋であった訳ですよ。
梅原 ほう。
白川 葬式屋と言うたらおかしいけれども、儒教の文献で、『礼記』四十九篇のうちの大部分はね、葬式の儀礼なんですよ。葬祭なんです。
梅原 そうですね。
白川 それを儒教が担当しておった。それで、墨子集団は、一種の工人集団であった。

(中略)

梅原 しかし、先生の孔子論は儒教の伝統を否定するような考え方ですね(笑)。やっぱり、大変ショッキングな考えですね。『論語』なんか読むと、今まで非常に理性的に解釈されて来たでしょ、そういう解釈がひっくり返って来る訳ですね。
白川 そうです。
梅原 やっぱり神様が中心になって来る。
白川 いや、もっと人間臭い人です。親しめる人ですよ。
梅原 ああ。
白川 なかなか、やんちゃなところもある。うん。
梅原 そうですか。
白川 あれに「光背を付ける」ということはね、ちょっと無理なように思う。

(中略)

白川 例えばね、人間として一番良い在り方はどういう生き方か、と訊かれるとね、孔子はね、理念的には中庸の人間が一番よろしい。中庸がよろしいが、しかしどんな場合でもね、中庸を失わんという、そんな人間はおらんのです。それで、次にはどんなのがよろしいかというと、孔子はね、「狂狷」の徒がよろしいと言うておる。「狂」というのは、進みて取る人。「狷」というのはね、死んでも決してそんなことはしませんというほどのね、潔癖性の人間。
梅原 それは「中」と反対ですわなあ。
白川 狂狷の徒がよろしい、と言うんです。それでね、知恵者がよろしいとは言うておらんのですよ。
梅原 しかし、詩人なんてのはやっぱりの狂狷の徒ですよ。
白川 そうですね。
梅原 狂狷の徒じゃなくてはね、詩人、文学者にはなれませんよ。
白川 大体ね、左右に振子運動しなければ進めんのです、ものは。(身振りしながら)こうやらんとねえ、進めない。ロケットでない限りはな(笑)。
梅原 そういう人が面白い人間じゃないですかね。孔子自身も、自分を狂狷の徒と思ったでしょうか。
白川 自分でそう思うとるに違いない。そりゃあ彼はね、何遍もクーデターをやっとるんだ。それに失敗して、斉の国に逃げたり、或は衛や宋、陳・蔡から楚にまで逃げたりしとるんです。
梅原 そうするとやっぱり、失敗した革命家ですね。
白川 それで晩年の、一番大事な時にね、十数年も流浪して。帰って来て安穏であったのはわずか数年ですよ。
梅原 つまり失敗した革命家なんですよね。
白川 そうそう。まあ理想主義者であった訳です。
梅原 巫女の私生児で、そして失敗した革命家となると、もう狂狷ですね。
白川 だからね、孔子を悟った人間にしたらあかんのですわ(笑)
梅原 我々に近くなりましたな。ちょっと書きたくなりますねえ、それは(笑)
編集部 居を定めず流浪する、というところにまた魅力があるんでしょうかね。
白川 いや、彼は追放されたの。追放されたからね、仮に人が殺してもね、刑法上の対象にならん。
編集部 孔子を殺しても?
白川 ああ。殺す者罪なし、というのが亡命者の運命であった。


※1 周の用語法で、兄弟の序列を示す。殷では大・中・小で区別した。名の上に冠して用い、例えば伯丁父、叔夷鐘のようにいう。






孔子の遍歴の道程に関わったという、陽虎という人物の話。


梅原 私が面白かったのは先生が陽虎(陽貨)という人物を出して来たことですね。この陽虎と孔子は表面敵対しているけれども、本当は似ている面があるんじゃないかと。そして魯の国を去って逃げていく、陽虎のいる所を避けていく。こう言う指摘は先生が初めてなさったことでしょうか。
白川 今までそれを言うた人は誰もおらんのです(笑)。しかし陽虎の動きを見ているとね、孔子がなぜ魯の国を逃げ出して斉の国へ行ったのか。そしてまた慌てて魯の国へ戻ったのか。最後の亡命の時にね、彼は山西省の晋に行くつもりであった。魯と晋は比較的関係がいいんです。それであらかじめ工作もしてあって、晋へ入るつもりだった。
 ところが陽虎が先に入ってしまった。そしてその地で実際に教団を作り弟子を持ち、一つの勢力を築いておるんですよ。だから孔子は入れない、仕方なしに宋、衛の方へ回っていくんですね。だから彼が魯への帰り道に回顧して、「丘の河を渡らざりしは命(天命)なるかな」と言うている。孔子がなぜこんなことを言っているのか、誰もその意味を汲むことが出来なかったんです。
梅原 どういうことですか。
白川 なぜかと言うとね、陽虎が居ったからです、行けなかった。晋ならば大きな国ですしね、孔子としては自分の理想現実によい場所だと思うておったんですが、そこへ入れなかった。
 陽虎とは初めから敵対者であった。僕の考えでは、陽虎は孔子よりニ、三十歳年上ではなかったかと思う。孔子は魯の王様が学者を召すということを聞いて、のこのこ出かけていくんです。すると陽虎が居ってね、「お前はまだ少年ではないか」と言って、門前払いをくわすんですよ。それから孔子がいくらか名声を得る頃になると、陽虎は彼を門下に入れたくなった。だから自分の所へ来いというんですがね、孔子はなかなか行かない。そうすると陽虎はね、孔子の留守中に蒸豚を一匹届けさせるんです。目上の人から贈物を貰うと、自分で直々に参上して御礼を言わねばならぬ。孔子もさるものですからね、陽虎が留守の時を見計らって行くんです。ところが途中で出会ってしまう。すると陽虎がね、「立派な才能を持ちながら世に出ないということは賢いと言えるか」と言うんですね。孔子は仕方なく「それは良い道ではありません」と答えると、「日月逝きぬ。年我と與ならず」ですかね、陽虎は詩のような言葉を吐くんです。レベルの高い言葉を使うんです。だから彼は学者であったと思う。

(中略)

白川 だけどもね、陽虎のやり方というのはね、いわゆる魯の三桓僭主と言われるようなそういう連中を取り込んでね、自分が専制力を持ちたいと言う、そういうやり方だった。孔子の方はね、三桓を除こうというやり方だった。これを温存したのでは僭主制は崩せませんからね。政策的には基本的に違う。
 だけども古典の教養があって、弟子をとって、これからの政治はそういう賢哲の政治でなくてはならんというね、理念を持っておったことは共通です。陽虎は政治力でやり過ぎた。孔子の方は馬鹿正直で、革命、変革というものを政治的に上手に仕上げるということができんのです。だから失敗ばかりする。
梅原 孔子の描く理想社会というものが純粋すぎるんですね。

(中略)

梅原 そういうところから理想国家のイメージが出来てきたんですね。その点プラトンと良く似ています。
白川 だから晩年になってからね「甚だしいかな、吾が衰へたること。久しいかな、我復た夢に周公を見ず」(「述而」)、晩年になって、もう夢に周公が出てこないと嘆いている。若い時には周初の文・武・周公というものを念頭に置いて、活動しておったろうと思います。
梅原 ですからやはりプラトンに近いと思います。プラトンは理想の国家を造ろうとした。彼が一番に批判しているのは僭主なんですよ。ですから生まれ変わっても間違っても僭主なんて選ぶもんじゃないと、プラトンは言っている。これはプラトンの思想だと思いますけどね。そういう風に道徳が崩壊し、人間がもっぱら権力と金を求める時代になって、理想的道徳国家を作ろうとした。それはアナクロニズムといえばアナクロニズムだ。
 それにしても陽虎のお話が興味深いですね。敵になる奴が案外近いというのが。 
白川 そう、一番近いものが一番の敵対者になるんです。
梅原 どっか違うんでしょうね。近いけれどどこか基本が違うんです。 
白川 理念の高さが違うんです。すぐに現実の中で行動する人と、まず理想型を描いて現実をそこまで上げる人とね、距離がある訳なんです。








司馬遷『史記』についての孔子の記述について。


白川 昔の書物は章ごとに分けてないんですよ、竹簡で書いてあったりしてね。『論語』の場合には、一尺二寸のを使って十二字入れるという風に、大体ものによって長さと字数の決まりがある。それが詰めて書いてある、ずっとね。そうするとね、どこで切れておるのか、これが一つの話であるのか二つの話であるのか、それは解らんのです。『史記』にはその間違いが多い。分けるべき所を一緒にして、その時のことにしてね、孔子がその時にこう言ったという言い方をする。
 しかしこれは司馬遷が悪かったのではなくて、その時代の資料が十分整理できていないということもあるんです。司馬遷は自分で考えてやるということはあんまりやってないんです。

(中略)

梅原 まあ百年や二、三百年前のことは調べれば残ってますからね。多少は聞き書きしたんだろうけど、孔子の時代となるともう遥かに遠いですからね。
白川 そうそう、もう『論語』そのものが怪しいもんですからね。どこまで本当に孔子の言葉であるのか、孔子の思想であるのかね。あれはいくつもの要素に分解できるから。かなり後のものもあります。

(中略)

梅原 「孔子世家」を読んでも血の出る人間を感じませんね。フィクションであったとしても、フィクションの面白味はないですね。私は旧制高校の時、特別に漢文の先生に「孔子世家」を読んでもらったことがありましたけれど、全く面白くなかった。『論語』はけっこう面白いのに、どういう訳だよと思いましたよ。
白川 大体あれはね、司馬遷も気の進まん文章であったんではないか。司馬遷は思想的に儒家じゃないんですよ。父の司馬談が道家のものすごい贔屓でね、司馬遷もお父さんのそういう話をしょっちゅう聞いている。だから儒家にはよそよそしいという感情を持っていた。
梅原 しかし孔子を含めて書かねばならなかった訳ですね。







殷から周への移行。この時代は一昔前「封神演義」が流行したのもあり、比較的メジャーではあると思う。神話ではあるが。


梅原 (周は元々は)遊牧民族ですかね?
白川 牧畜と農業だと思いますが、素性がよく解らない。それでね、そんなに大きな部族ではなかったんではないかと思うんですね。
梅原 どうしてそんな周が。
白川 陜西省に入ってね、殷の文化と接触して、殷の文字を彼らは受け継いでおる。

(中略)

白川 彼らは本来はもちろん文字がなかったに違いないけれども、殷の文化を相当貪欲に吸収するというような、そういう部族であったんではないかと思う。
 だから本当は、殷と敵対するほどの力はなかったんですが、(中略)紂王が大軍を連れてそこ(沿海)へ遠征に出かけた、周にその留守を突かれる。その留守を突かれてね、殷は滅んでしまう。殷王朝は滅んでもね、本当は力関係からいうと、まだ遥かに殷の方が強いんですね。

(中略)

白川 ただ周は、その天の意を受けて、「我々は、お酒ばっかり食らって乱れておる殷を滅ぼすんだ」と言うてね、殷を討った。殷がお酒を飲むというのはね、それは祭にお酒を使うんでね、毎日毎日、酒ばかり飲んでおった訳ではない(笑)
梅原 それも面白いですね、殷は毎日毎日、酒飲んで堕落して周に滅ぼされたと思っていたが、そうじゃない、祭に酒を使うのだから。飲むのは当たり前だ。
白川 そう、祭にお酒を使うんです。それをね、周はね、あんまりお酒を飲まなかったとみえる。だからこれを背徳とみなす。

(中略)

白川 だけどね、周が天下を取ってしまってもね、西周の初め半分ぐらいまで、中期ぐらいまでの青銅器は、殆ど殷の工作者が作って、殷の遺民が文章を書いている。そして殷の氏族が作った彝器(儀器)が半数以上ある。
 つまり殷が滅びてもね、彼らの文化はまだ滅びておらんのです。むしろその文化は、周の方はまだそれだけの文化を持っていない訳ですからね、だから天下を取って自分たちが号令するというような時でもね、「大邦殷」というような言葉を使わなければ収まらん訳ですね。武力では支配しとるけれども、文化的・政治的にはまだそこまで行けないという状態です。
梅原 中国はそういうことを続けてきたんじゃないですかね。例えば秦なんて国もですね、辺境にいたと思いますけどね。それから元がそうでしょ、それから清がそうでしょ、辺境の民族が中国を制しても結局みんな伝統的な文化の中に吸収されてしまう。武力を持ってても文化力というのを持たないから……
白川 同化されてしまう。
梅原 同化されてしまう、ええ。
白川 満州族なんかは清朝の終わりにはなくなってしまう。
梅原 蒙古族もそうですよね。結局は百年も経ってくると全くなくなってしまう。
白川 そういう風な国家の状態というものがね、殷周革命のそんな時代からある訳です。だから単一民族がどうしたというのではなくて、複数の民族がいつも動きながらね、歴史を形成してきているということです。






荘子や『楚辞』の話題からロマンチシズムとの対比で見る孔子。


梅原 中国のロマンチシズムの、あるいはミスティシズムの原型みたいなもんだな。
 ところが孔子の中にはそれは入って来ないんですよね。そういう巫祝の者の出でありながら、非合理な部分を切り捨てたような所がありますね。本来儒家は祭儀を司っておるんですから、『楚辞』なんかをもっと取り入れてもよいようですが……
白川 いや、孔子はね、特にそういう部分を取り上げてどうするということではなくて、孔子自身は必ずしも神秘主義者ではないけれども、またそういう者を絶対に排斥するというものでもないんです。
梅原 それでは「怪力乱神を語らず」というのはどういう風に解釈しますか。
白川 それは何というかね、孔子が病気であった時に子路が、彼は非常に忠実な弟子ですから、なんとか先生の病気を治そうと思ってね、いろんな者に頼んでお祈りさせたり、お札を並べたりして、色々やるんですよ。孔子はそういう巫祝から出た人ではあるけれども、必ずしもそういう形で色々祈祷するということは好まん人なんだね。
 それで子路にお前何をやっとるんだって、聞くんですよ。そうすると子路はね、これはちゃんと典拠があって、天地の神に祈るというような時に、こういうようなお祈りをするという例があるから、その礼にしたがってお祈りをしておるんです、というてね。すると孔子は大変不機嫌でね、あんまりよけいなことを言わんのやね、あの人は。「丘の祷ること久し」という。それだけ。字にしたらわずか五字です。「丘之祷久矣」、わしはいつもお祈りをしておるのじゃと。
 そういう、形式的に流れることは排斥をするけれども、例えば礼なら礼というてもね、「礼と云ひ礼と云ふも玉帛の云ひならんや」、玉帛を捧げてどうするというのが礼ではない、心の問題であると。心の内で祈る心を持っておれば、それでよろしいという、そういう風なことを言うておるからね。孔子自身は形式は排するけれども、その精神は重んずるという風な気持ちの人であった。
 だから伝統については、かなり寛容であったんではないかと思いますね。一般的な心情として素直に受け入れられるというようなものについては、寛容であったんではないかと思う。だからいわゆる合理主義者でね、そういうものは不合理だ、という風な調子で、片っ端から論理的に破壊して行くという風なたちの人ではなくて、それでいいならそれでもよろしい、というぐらいのね、寛容というか、一種の随順的な気持ちがあったんではないかと思う。
 ただ政治的な姿勢は別ですよ。これは非常に厳しかった。しかし人間的な在り方としてはね、素直に生きること、中庸というのがいちばんいいんだ、角を立てんのがいちばんいいんだということを言うとるからね。
編集部 「怪力乱神を語らず」があまりに肥大して……
梅原 そこからね、孔子が合理主義者と…… 
白川 それはそんなことを言わんというだけであってね。
梅原 和辻(哲郎)さんの『孔子』でもね、そこを非常に強調してるんですよね。そこに依って孔子は合理主義者になってるんですよ。ちょっと違うんですね、そこは。
白川 むしろね、非常に人間的ですよ。
梅原 先生の本で気付いたんですが、孔子という人を考える時に、弟子との問答ですね、非常に大事なのは。弟子一人一人の人間を見て、孔子は語っている。だから、その人間を理解しないと、とても孔子の言葉は理解できない、と。問答が大変なんですね。『論語』と言うのは本来そういうものですか。
白川 孔子は甚だしいことをなさず、とにかく並外れたということはやらんというね、いつでも非常に素直な人であったのではないかと思いますね。
梅原 一方で孔子は狂狷の徒だといわれてますが。
白川 そうそう、それはね、政治とか社会とかの、そういう風なものの矛盾面を見ておるから、悪の面を見ておるからね。こういうものを直すのには、やはり一種の革命者ですね、彼自身は。
梅原 狂狷ですね。
白川 だけど人間的には非常に優しい人であったと僕は思う。

(中略)

編集部 最初に梅原先生がおっしゃった、白川先生が「孔子」を書かれた時、立命館大学においては学園紛争が激しくて、そのいちばん激しい、紛争の真っ只中で先生は孔子を書かれました。なぜその時期に孔子だったのか、と言う質問に戻るんですけど……
白川 僕はね、段々いわゆる体制化が厳しくなって来ておったからな、孔子はそういう頃にどうしたかなと思ってね。弟子たちはどうしたかなと思ってな。
梅原 やっぱり先生が孔子を書いたことは大変な……
白川 あなたは居られんでよかった。
梅原 僕は狂狷で追われた(笑)。
白川 後は無残なものであった。僕は自分の生まれた所やからな、おん出る訳にはいかんのでね。
梅原 結局先生は勝ったですよ。今立命館は先生を神さまにしている。時代が変わればこれだけ変わるんですよ。狂狷の徒が中心になっちまう(笑)。孔子と同じです。





すべて「呪の思想」からの引用。

血とともに流すべき罪がない

ダンゲーキサムービのhyo藤が「知り合いがある公演に関わっているが、当日スタッフが足りずに困っている」というメールをくれたので、ちょっと行ってみた。

中野のザ・ポケットでの紅王国公演「我が名はレギオン」。hyo藤の知り合いというのが学生さんであったから学生演劇かと思ったら、しっかりした劇団だったので驚く。折り込みや受付をやる。私は折り込みは早いが、接客はやったことがほとんどなかったので手際がわるく、五分で受付はクビになった。能力がないって悲しい。
タダ働きの代償として、タダで見させてもらった。

現実的な世界に根ざしているが、ややファンタジーな警察もの。超能力者に近いプロファイラーとか妄想系のシリアルキラーが出てくる。ストーリーは推理、捜査のシーンが主だが、その様子自体はあまり重要なことではないと思う。犯人も、最初からあやしい上にマジで真犯人だし。

推理が主体の芝居は何本か見たことある。残念なことにそれらは出来がよくはなかったので、推理芝居にはあまりいい印象は持ってなかった。芝居でそれをやるとデメリットばかりが見えすぎるし。だからこの芝居も二場ほどで推理ものだと分かると、冒険してるな、と思った。

が、今回は前述のとおり謎解きはおまけで、人間の感情や、時々出てくる妙な世界観がむしろ見せたいところだろう。そして、最後にシリアルキラーの悲しみを描くことが。

一番面白かったのは、最後の犠牲者からは「体を切り刻んでも、血は流れなかった」というような犯人の発言。この犯人は援助交際目的で出会い系サイトに書き込む女性をバラバラ死体にしていくのだが、最後の犠牲者は「血とともに流れ出るような罪はなかった」という。これは普通に解釈すれば処女だったということだが、それよりも「血が流れない」ということが、それまでの世界観が現実的なのか(表現として非現実的なシーンがあったのか)、空想的なのか、曖昧だったことで、本当に血が出なかったのかそれとも単に比喩なのかが判明しないところが見事だと思った。この犯人の告白こそどのシーンよりもファンタジックであり、詩的であるので、犯人の現実認識のあやうさをよく説明できている。

ソワレおわってから作・演出の野中友博さんに挨拶する。普段から推理ものやったりはしてないそうだ。
あとうちらの「劇団無敵」というネーミングに笑ってくれた。この人いい人だ、と思った。


12月の公演

このブログではまったく触れてなかったけれど、マムシュカ東京というのに受かったので出ることになりました。プロジェクト無敵として。
バーがついてるような小屋でやる種類のイベント。夜通しやるみたい。
演目は10分くらいの短編劇。題は「2009年最後のクレラップ」。
日にちは12月26日。出演の時間帯など、詳細が分かったらまた告知します。

絵具 絵の具 えのぐ の はなし

検索してここを訪れる人の中では、画材に関するワードでがかなり多い。

これは多分、絵の具に関する情報というのがあまりないので、このブログなんかも引っかかってしまうのだろう。

本屋で美術技法書のコーナーに行くと、並んでいるものはほぼ全て初心者・趣味人向けのもので、専門書は超大型書店でないとあまりない。それでも揃いは悪い方だ。さらに、材料のものとなるとほぼ数冊程度に絞られてしまう。

これは歴史的な問題もあってか、日本ではさほど技法や材料の基本はふまえないことが反映されているのだろう。ヨーロッパでは油絵の具の開発とその後の試行錯誤の様子が文献で山ほどあるので、そちらに興味があるのなら研究はしやすい。

現代アートシーンではこのようなことはあまり重要視されてないし、とりわけ日本は早足で来すぎたので特に関心がうすい。多くの学生は、油の基本的なことを十分に理解しないまま独自の世界に突入したり、別の素材に移ったりする。それはまあ、悪いこととは言わないが、いいことではない。油絵は個人史にとっては足がかりにすぎなかった、というので結構だが、ジャンプ台は強固な方がいい。私が研究室で「演劇の人」と認知されながらも頑に絵を描き続けたのはそういう考えもあり、未熟なまま絵から離れるわけにはいかないと思っていたからだ。最後の最後で折れたけど。

それで話を戻すと、日本で絵の具について深く知りたい場合、組成とかならある程度自力でなんとかなる。が、各メーカー製品の話となると急激に情報が減る。そこまで意識的に使い分ける人が少ないのと、情報の性質上、比較が重要になる。となると、もうネット上の個人ホームページか掲示板くらいしかない。

それでも探せばそれなりにはある。が、所によって話題にしていることが違うので、知りたい情報がないこともある。

だから「ウィンザー&ニュートン社のサンブリーチドオイルがブリーチドオイルに名前変わったけど、これって太陽漂白しなくなったってことですか? だとしたら普通のリファインドとどう違うんですか?」みたいなピンポイントかつ一般的にはどうでもいい疑問は解決しない可能性も高い。

ちなみに私がこれに答えるとしたら、こう言う。ニュートン社は今は「サンシックンド・リンシード」からもサンの字を抜いている。だからデザイン変更かなんかの機会に、長い名前のオイルは表記を省略することにしたのかもしれない。別の可能性としては、シックンドリンシードと併せて、製法を変えている。人口光を使って低コスト生産できるようになったのかもしれない。そうなると「サン」の文字はいれづらい。あとは、もう完全に薬品で漂白するようになった。普通のリファインドよりは濃縮されてるか、少なくともコストの高い方法でやっているはず。最悪の可能性としては乾燥速度しか違わない、だがこれはまあ値段を上げなくてもやれるのでありえないはず。というか、そこまで気になるなら自分で精製するべし。

といった具合に、絵を描く人の中でも99%以上は関係のない話になってくる。が、1%以下の人間はすこし困っている。

絵の具の話になる前に時間切れになってしまった。もう行かなければ。



健康!健康!健康!健康!けんこう!けんこう!けんこう俺は健康!健康!肌だってつやつやだし健康!健康

卒制のシーズンなので、役者須藤を手伝う。音響作品だが、客が聞いてるイメージ映像が必要らしいので、偽客の一人として出る。踊っていい? って聞いたらいいよって言ったから踊った。須藤は怒られるんじゃないかな。俺は今日助手さんにまた怒られたがな。助手に叱られるたびに1ドル貰ってたら今頃映画が見れるぜ。というわけで吉祥寺に映画見に行った。タランティーノの「イングロリアス・バスターズ」。二次大戦時代で、ユダヤ人がナチスを虐殺しまくる話。タランティーノはもう「犯罪を犯さないタイプの異常者」としか言えないが、映画としての完成度ももはや異常の域に達してる。あの男女の結末は神すぎる。ここ三年で見た映画の中で一番面白かった。いや今までで一番面白いかも。これはみんな是非スクリーンで見てくれ。日曜までならやってる所ある。(追記:嘘でした、まだ始まったばっかりだった。返金キャンペーンがもう終わってた)
あとユザワヤが閉店だというので寄ってみた。潰れたのではなく移転らしい。そして新宿にも店を出してた。タイムズスクェアに。びっくり。

のびのび育ったドングリで育てました

健康計画はいまのところうまくいっている。だがデスレインの食べ過ぎで内臓は痛い。
デスレインにつくづく感じるのは、バランスが悪い。一般に辛みが強くなると、味がぺらくなる。ベースがしっかりしてないとすっぽ抜けるようなところがあり、デスレインはまさにそんな感じだ。激辛かつおいしいものというのは少し難しい。
だから両立ができてる暴君ハバネロなんかは、非常にできのいいお菓子だと言えるだろう。


白川静を初めて読んだけれど、この人すごいな。ぶっとんでるな。彼も長生きだった。

呪の思想―神と人との間呪の思想―神と人との間
(2002/09)
白川 静梅原 猛

商品詳細を見る



練習では、初めて読み合わせをやった。いつもそうだが、この瞬間のわくわくはすごい。まだ演出をつけてなく、役者が思い思いに読んでるから解釈はてんでばらばらなのだが、思ってもみなかった変な演技がいっぱい見れる日でもある。

こみっ

大学で後輩にばったり会う。今日は練習じゃなくて講義を受けに来た、と言ったら、まじめに学生やってるところを初めて見た、と返された。
講義を受けるだけでまじめだと褒められるほどに堕落していたのか私は。
なんだか卒業してから、絵を描きだすし、講義にも出はじめるような気がしてきた。不規則なのは生活ではなく状況だと気づきはじめる。


レヴィ=ストロースが死にましたね。一ヶ月くらい前に。本屋に行ったら新聞の死亡記事が貼られていたので、なんとなく「野生の思考」を買ってしまった。
この人まだ生きてたの、という感が強い人は、最近ではワイエスがそうだった。ワイエスが死んだ時は、直前にブンカムラミュージアムで展覧会を見ていたこともあって大変驚いたが、レヴィ=ストロースはさすがに長生きすぎたのであまり感慨がなかった。でも本を買ってしまうくらいには感慨があったのかもしれない。


煙草と同時に、コーヒーも減らす努力をしつつある。やはりすこし飲み過ぎなので。かのニーチェだってコーヒーは体に悪いって書いている。
今まで脳をキックしていた要素が二つ減ったので、ちょっとボーっとする。仕事はしづらいが、私だって長生きしたい。長生きして講義いっぱい受けるんだ。100単位でレベルアップして、レベル20になったらジョブチェンジできる。そしたら理系になりたい。その後は草とか虫みたいなのになりたい。チョイ頭悪オヤジになりたい。100年あれば夢だけはたくさん見れそうだ。

神様が油っこいものも食べなきゃと言ったから

眠い。眠い。193がまた痩せてて心配。舞台の資料をさがしてたら、戦艦の窓なんてのが売ってた。新品で。誰が買うんだそんなもの。そういえば、最近の海軍って戦術的には戦艦は使わないらしいね。巡航ミサイルで届いちゃうから用済みなんだってさ。そう、ちょっと前だけど、エースコンバット5というゲームを見て泣きました。俺も一度くらいFOX2とか言ってみたい。でもどうせ醤油崇拝の人生ですよ。スペックに見合った生き方を。それが正義。今日はビールを一本飲んで、寝ます。打ち合わせをしてると煙草減らし計画がパーになる。とりとめもないですね、人生。少女!

調査対象が少なすぎると神秘扱いになる

昨日の舞台美術の打ち合わせで193らと色々話し合い、根本的な問題についていくつか得るところがあった。

そしてインスピレーションというものについてすこし考え直してみる。インスピレーションについて考えるときいつも思い出すのは、中原中也とジャック・デリダの二人だ。彼らは非常に良く似たことを言っていた。

それはおおむねこういうことである。書くべきものは作家の中にあるのではなく、外部にあり、それはあたかも空気中をふわふわ漂っている。作家はそれを掴み、媒体し、作品に定着させる、それだけの存在だ、という。

中原中也は、空中をふわふわ漂ってるものを「言葉にならない言葉」と言った。それを手でつかみとり、言葉にしてやるのが自分の仕事だと。

インスピレーションは、しばしば外的なものとして捉えられることが多い。だが、それがどのように訪れるかはまた種類を分けられる。100年前の西欧の詩人が「ミューズ」とそれを呼んでいた時は、それはおおむね天から降ってくるようなものであり、ある種の恩恵のようなものだった。ラッキーだったのである。
だが、中也にとってそれは身近なものだった。それは身の回りを漂っている。そして、つかむことができれば、言葉にしてやることができた。

これはヨーロッパの文学が、作者の内的なものに特権を与えていたことが、インスピレーションを遠くのものに感じさせたのかもしれない。書かなければならないことが「あたりにふわふわ漂っている」という感覚は、当時は理解しがたいものだったろう。

デリダが中也と同じことを言った理由は、デリダ自身にその感覚があったほか、インスピレーションの形に上記のような天啓ではないものもあると示したかったのではないかと思う。

が、藤枝晃雄さんによると、この感覚は「当然のことであり、偉そうに言うものではない」らしい。デリダの話は、この人の講義で聞いた。
この批判から考えられるのは、そのような感覚に基づいた作品、あるいは作品を作る作家が既に多く存在し、タイプとして成り立っていること。

そのような「寄せ方」あるいは「呼び方」は、特別な感覚ではなく、ある種類の感覚である。

中也の「言葉にならない言葉」を感じ、つかみとるという妙法を可能にしたものは、最も漠然とした言葉で言えば「才能」と言える。それをすこし細かく見るのならば、「ある種の感覚を持ち、それを作品にする技量と、適性があった」ということだ。

一般に、すぐれた才能とは独自の知覚を持つと思われている。が、恐らく感覚の種類は、思っているほど多くはない。作品は感覚と知識と技術がどのような加減で統合されるかによってはじめて独自なものとなる。


だから、いかなる媒体にせよ、感覚を過信しすぎてはならない。それらは意外なほど不自由であったりする。


やわらか戦車はソフトマシーンなのか

最近、個人的にインプロの調子がいい。見せつけるタイプから、観察させるタイプへ。より面白く。より自由に。

百歳までの百人が太鼓を叩く動画。練習中、話題に上ったので。




あと修造ギター




おまけ


ソドム食卓

久しぶりにワインを飲んでみる。
http://www.rakuten.co.jp/sake/429571/429574/

初めて飲んだが、値段の割におどろきのうまさ。甘口で渋みも抑えられ、飲みやすい。

つまみはエダムというチーズ。あの赤いワックスの、リンゴみたいなやつ。イトーヨーカドーで300円くらいで売られていた。安い。味はかなり無骨。

チーズやワインは非常に奥深く、素人には理解に困るものも多い。イタリアにはウジ虫入りのチーズがあるらしい。通にはたまらないそうだが、我々には勇気がいる。

ワインでは、ソムリエが「腐葉土のような」と表現する香りをもつものがある。概して高価である。一度、そのようなワインを飲んだことがある。まさに腐葉土の匂いで、ありがたいような気もしたが、本当はどうなのかよくわからなかった。私には勿体ないワインだったのだろう。

まあ、解りさえすれば腐葉土だってすばらしいものなのだろう。それをいったらブルーチーズだってゲロの匂いだ。

気温が下がる季節にいつも思うことは、冷燻をやってみたいということだ。燻製には、高温にして加熱を兼ねる熱燻、70℃ほどを保つ温燻、低温に保つ冷燻があり、それぞれ物やどう仕上げるかによって使い分ける。冷燻の代表といえばスモークサーモンだが、温度を必要としないチーズの燻製もやりやすい。

今年やれればいいな、と。

生きる上では気なるところだが

薬局で栄養ドリンクを買った時のおまけにもらった、ロイフェルビ温、というものを使ってみた。温湿布みたいなものだ。腰痛にいいかと思ったが、あまり効果が実感できなかった。

そろそろ寒いし、腰痛と、左膝の爆弾が気になる。左膝の爆弾はいままでで二回爆発し、二回目は陸上部を引退するはめになった。トレーニングをきつくするといつもここから痛みだす。

しかしそれ以外のパーツは、おおむね健康といえる。最近は、以前ほど限界を感じなくなった。
この間、貫井坂を自転車で上っていた(かなり急な坂)。その際、自転車を押して通っているおばちゃんを抜いた瞬間「若いっていいねえ」と言われたのだった。
そう、俺たちは若い。
20歳を越えるとだんだん「生物的な限界」を感じだし、それは日に日に加速していくようにも思えたが、最近はむしろ失った何かを若干回復した気がする。

という状況に便乗し、さらなる健康をと思い、煙草の本数を減らす努力をし始めた。禁煙ではない。禁煙は無理だし、おそらく強い動機があればあるいは可能かもしれないが、煙草があった方が幸せな人生だってあるんだ。

これは嗜好品ではあるが、本数が増えすぎるとありがたみがなくなるところが問題なのである。書き物をしている最中など、それこそチェーンスモーキングになる。そういうときの煙草は、あまりおいしくない。下手をすると、煙いし不快ですらある。それなのになぜ吸うかというと、癖であり依存であるから。これでは意味がない。喉も不必要なまでに痛める。

感覚をあけた方が一本一本はうまく感じられる。吸える状況で我慢をするのはすこし辛いが、トータルで得られる幸福は増える。消費量も減る。健康にもいい。条件さえそろえば少女にだってなれるだろう。だからカートンで買うのはやめて、一箱一箱に名前をつける。口をつける前に愛の言葉をささやく。そして彼女は燃え上がる。ハードボイルド。

と言う感じで、今のところ一日一箱に減った。目標としては、酒を飲まない日は半箱くらいで収まるようにしたい。

ちなみに煙草を吸わない人は、もし興味があっても、吸わないほうがいいと思う。
すこし割にあわないものだから。


そんなこんなで、秋だ。いや、冬か。

服などはもう何年も買ったことがないが、最近靴を買おうか、すこし考えている。今のスニーカーは古くなってきたし、コートを着ている時は合わない。

だが、靴を選んで買うことに、あまりいい思い出がない。
お気に入りの靴は悲劇的経緯で駄目になる。

一つ目は大学二年の頃だ。私はその時の靴を気に入っていた。その頃は彫塑の実技をやっていた。木彫である。モデルはヤギだった。ヤギや羊が放されているエリアに入ってスケッチをとり、アトリエにもどって丸太を彫る。それを繰り返しているうち、私の靴はヤギや羊の糞まみれになった。

そしてその靴は、母親に勝手に捨てられた。まあ糞まみれの靴が玄関にあるのは許しがたいでしょうねえ、わかるけど。

二つ目は去年の正月、二年近く前のこと。これは気に入っている上に、すこしいいやつだった。正月は友人と悪ノリの限りを尽くすのがここ数年の習慣であり、この年は一升瓶を持って鎌倉は源氏山を登った。今思うとかなり危険な行為だったが、実際に危険だった。私は飲み過ぎで記憶を失い、気がついたらとんでもない獣道にいた。そのとき、持っていたカメラのキャップや一升瓶はどこかに消えており、靴はびりびりに破れていた。
死ぬ可能性もすくなからずあったが(我に返ったときの道も、すぐ横は崖だった)、そういうときは決して死なず、悲しい思いだけが残るものだ。ハードボイルド。

酒で記憶が飛び、我に返るという体験は、はなはだ不気味なものだ。言ってみれば「目が覚めたら、すでに自分は起きていた」みたいな。わかるだろうか。

健康について書こうとしたら、不健康なことばかりになってしまった。



パンがないならお米食べろ

久々に料理を作ったのですよ。ジェノベーゼを。以前乾燥バジルを100g入りの大袋で買ってしまったせいで、どんなにバジルを食ってもなくならない恵まれた人生を生きてきました。そして最近、賞味期限が切れました。これではいかんと思い、今日は練習も早めに終わったし、久しぶりにがっつり飯を作ろう、となり、なによりもバジルを使う料理を作ったわけです。

そして駅前にできたイトーヨーカドーを侮ってました。なかなか売り場面積の広い外国調味料店が入っており、オイルの揃いなら国分寺マルイを超える勢いです。今が熱い。小金井。夢の町小金井。

しかし肝心のバジルが残念なので、あまり意味はなかったです。料理のできは、他人が作ったものだったら褒めてる、という程度のものでした。まず乾燥バジルでは、ジェノベーゼにするのに限界があります。ハーブは生と乾燥ものとでは別物だ、というのは知識として知っていて、経験もそれなりにありましたが、「越えられない壁」を明確に感じられました。それはまあ収穫です。また、開封した上に賞味期限が切れたハーブが、おいしい料理に化ける事はきわめてむずかしいです。

そもそも「賞味期限切れの大量の調味料を処理」できるうえ「おいしい」料理を作ろう、という発想自体が世の中をなめた思考だといってさしつかえないでしょう。今日はちょっとつかれてたんです、それで気が迷ったんです、反省してる。あと腕がけっこうなまった気がしました。まあ当然でしょう。最近は魚を焼くくらいしかしてないのだから。


「料理の腕」というのは、包丁の入れ方やら、火の通りの見極めやらという、有形の技術をさす事が多いですが、また別の側面もあります。それは「この食材をこの量で使っても、これこれこういう配慮をすれば、おいしくなるだろう」という判断であり、「やったことないが、やって間違うことはないだろう」という確信である、いわば無形の技術です。これが欠落した場合、料理はおいしくなりません。そして、ブランクがあった場合、まっさきににぶるのがこの無形の技術なのです。
多くの人は、こういうのを感性と呼んでますが、これは技術なのです。

ちょっと話がそれますが、美術畑のひとたちは「技術」の対義語としての「感性」という言葉に多くのことを求め過ぎなのではないか、と私はつねづね思っています。彼らが言う感性とは、実際にはきわめて技術的な操作あるいは思考なのです(無形の技術)。美術においては、「あたかも」生まれ持ったかのような能力が大きく影響する、それは事実ではありますが、それはいわゆる感性という言葉には当たらないものだと思います。
では真に感性と言えるのは何か、という話は、長いしうさんくさいので、割愛。

十年前にはユーチューブなんてなかったんだ

きまぐれで、ブランドXの動画を検索したら、けっこうあって逆にショックだった。
ブランドXというのは、どう説明すればいいかわからんけど、フィル・コリンズの作ったイギリスのバンドです。初期はプログレっぽかった。

私は中学高校のころ、もっぱらプログレを聴いていた。このジャンルは広く人気が出ることはないので、ちょっとマイナーなものになると、もう店では売ってない。横浜のHMVでも置いてない、そもそもCDになってないとかがザラで、探すのは大変だった。
(ブランドXはそこまでマイナーでもないが、欲しいアルバムを全ては買えなかった)

それにマイナーになればなるほど、ハズレ率も高まる。高校生のこづかいで、短いレビューだけを根拠に得体の知れないバンドのアルバムを買うのはけっこうな賭けでもあった。

それが今や、ユーチューブでざくざく見つかるものだ。そんなことはとっくに知ってはいたが、プログレ探しというかつて切実だったものに触れたので、ちょっと悲しくなった。

ヘンリー・カウとかCANとかくらいならいくらでもあるし、ENGLANDやCatapillaとか聴けなかったものもたくさん見つかる。ここに書き出すときりがない。
ああ、何て時代。



イングランド。




トントン・マクートというとても可愛らしい名前でこの渋い音楽性。という話だけ知ってて音は聴けずに十余年、俺の悔しさが分かりますか? 今俺は感動している。




みんな、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップというバンドを知ってますか? あのキング・クリムゾンの前身ですよ。みろよ、フリップさんの笑顔を。おっさんみたいだろ。若いんだぜ、これ……





あとはライブが見つかるというのが嬉しいですね。しかしピーター・ガブリエルの髪型はいったい何なんだ。と思ったら格好も謎。と思ったら挙動も謎だった。最近は何をしてるのかもが謎だ。ちなみにあまり写ってないが。ドラム叩いてるのがフィル・コリンズである。

ネクロな一日

アマゾンが軽かったので、ファンタジー小説のつづき。

死者の書 (創元推理文庫)死者の書 (創元推理文庫)
(1988/07)
浅羽 莢子

商品詳細を見る


これは今まで読んだ小説のなかで五本の指に入る傑作。「動物がしゃべりだす」というのは非常に多くあるシチュエーションだが、この話にも突然喋り出す犬とかが出てくる。めちゃめちゃ恐いのね。そしてすさまじいオチ。
ジョナサン・キャロルという作家は、オチを非常に気にする人で、しかもそれはしばしばぶち壊し気味なものになる。「沈黙のあと」という作品などは「お前、それがやりたかったがためにわざわざ長編小説書いたのかよ!」と叫んでしまうような感想を持たされる。が、「死者の書」は一番バランスよく、現実と空想の危うい橋を渡りきった感があり、非常に完成度の高いものとなっている。

どういう話かというと、もううろおぼえなのだが、ある亡くなった作家のファンだった男が、その作家の伝記を書くために作家ゆかりの地に滞在する。だが伝記を書き綴るうち、町の人々が不穏な言動を見せ始める。そしてやがて犬が喋りだしたり、人が車で撥ね飛ばされたりするのだった。やはり細かい事は忘れてしまったが、これは是非読んでみてほしい。

また、これはキャロルの処女作だが、二作目は「月の骨」という。これは女性の主人公が見る夢の中のような世界で、不思議な光景が繰り広げられる、まあより幻想的な作品で、併せてお薦めする。でもこれも話の終盤になると、魔法の力で知的障害者の頭を破裂させたりしてるから、ちょっと怖めではある。

ふりだしに戻る (1973年)ふりだしに戻る (1973年)
(1973)
ジャック・フィニィ

商品詳細を見る


ジャック・フィニィという人は懐古主義者で、昔のニューヨークが大好きな人。この話では主人公が政府の極秘調査の調査員として、昔のニューヨークにタイムトラベルする。
そこでの生活風景の描写はすさまじく細やかであり、これを読むだけで、何も知らない人でもその時代の空気を肌で感じる事ができるだろう。
ファンタジーというよりこれはSFな気がするが。

(追記:『ふりだしに戻る』でのタイムスリップ法は、かなり精神的な方法だったことを思い出した。機械の類いを使わないで、念じて飛ぶのである。やっぱSFじゃなかった。まあ実にファンタジックでしょう)

彼がなぜ西海岸にこだわったのか今なら分かる気がする

バイオリズム的なあれで、最近はネットへの情熱が下がっている時期です。なぜかというと、今はハードボイルド小説を読んでいるからです。

ロング・グッドバイロング・グッドバイ
(2007/03/08)
レイモンド・チャンドラー

商品詳細を見る



はい、時期的に今さら感、あるいは「1Q84」ブームに乗ったような選択ですが、新作はまだ読んでません。そういうわけで今日はハードボイルドの話しをします。

私にとってハードボイルドはかなり複雑な読み心地をうけるジャンルで、純粋に楽しむのが不可能なものの一つであります。たとえていえば、北斗の拳みたいなものです。その時代感およびパロディやギャグタッチの引用に晒され過ぎた印象が強すぎるジャンルは、もはや素朴に楽しむ事が不可能なのが現代という時代なのです。ですが、北斗の拳はさておき、ハードボイルドの名作は、純粋な面白さも持ち合わせております。それがいっそう複雑なのです。

エンターテインメント小説で私が好きなジャンルは、ノワール>モダンホラー>アクション>ハードボイルド>本格推理、という順です。こうして並べてみると、右になるほど制約が強い形式である事が自覚できました。また右になるほどあまり読まないので、あまり断言できませんが、古典というか、手垢のついた感があるような気がします。名探偵コナンは設定があたらしかったですが、内容は牧歌的ですらあります。
いってしまえば、形式的なみりょくを脱して、ちゃんとおもしろくするのがむずかしいジャンルだといえるかもしれません。私がこころから感服した本格推理ものは、いかの二作です。


幻の女 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 9-1))幻の女 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 9-1))
(1976/04/30)
ウイリアム・アイリッシュ

商品詳細を見る



オリエント急行の殺人 (ハヤカワ文庫?クリスティー文庫)オリエント急行の殺人 (ハヤカワ文庫?クリスティー文庫)
(2003/10)
アガサ クリスティー

商品詳細を見る



たいへん面白かったのですが、ぎゃくに最上のものをみてしまった感があり、謎解きはもういいや、と思ったものでもあります。なので本格ものはほとんど読まなくなってしまいました。
が、はーどぼいるどは若干読む事もあります。

まるで天使のような (ハヤカワ・ミステリ文庫 41-4)まるで天使のような (ハヤカワ・ミステリ文庫 41-4)
(1983/01)
マーガレット・ミラー

商品詳細を見る


これは、ウィットに富んだ会話をするタフな私立探偵が主人公という、直球のハードボイルですが、ストーリーが凄い。一応犯人といえる人はいますが、決して当てられないでしょう。

きみの血を (ハヤカワ文庫NV)きみの血を (ハヤカワ文庫NV)
(2003/01)
シオドア スタージョン

商品詳細を見る


細かい内容は忘れてしまったが、ラストがおそろしい話。

さむけ (ハヤカワ・ミステリ文庫 8-4)さむけ (ハヤカワ・ミステリ文庫 8-4)
(1976/09)
ロス・マクドナルド

商品詳細を見る


中学生のとき、先輩に借りた本。今思えば、LAコンフィデンシャルも、羊たちの沈黙も、これも、中学生にはむかない。理解できないと思う。

オールド・ディック (1983年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)オールド・ディック (1983年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)
(1983/09)
L.A.モース

商品詳細を見る


至上最長老の探偵小説といわれている。今日のラインナップの中では一番ほのぼの系。


この記事を書いているうちに、最初になにを言いたかったのか忘れてしまったので、ファンタジー小説の話をしようとおもいます。ファンタジーで面白い作品を探すのは大変です。そして探す努力をしないので、滅多に読みません。ですが、よくできたファンタジーの世界観はなにものにもかえられないおもしろみをもっています。


グリーン・マイル〈1〉ふたりの少女の死 (新潮文庫)グリーン・マイル〈1〉ふたりの少女の死 (新潮文庫)
(1997/01)
スティーヴン キング

商品詳細を見る


今日はアマゾンの引用ツールがすごく重いです。そしてファンタジー小説の話題を通して私が言いたい事などとくにないと気づきはじめました。もういいや。もういいじゃん、俺が犯人だよ。犯人は俺だ。

ささささ

フェステバルトーキョー行ってきました。サンプルの「あの人の世界」。今回はいつもより文脈が破綻気味で、ぶつぶつした感じを受けた。あと役者は、やはりサンプル所属の方々が圧倒的によいですね。松井周さんの世界をきちんと飲み込めてる。むしろサンプルの世界は、あの人たちのオーラあってのものかもしれない。
一番印象的なシーンは、古館さんが二階から放尿するところ。陽気なBGMで、尿(実際は水)にカラフルな照明が当たってキラキラ光るのね。内容と兼ね合って感動的ですらあった。
あとは、ラストのあたりで死んだ人を動かして会話させるところとかが駕篭新太郎みたいだと思った。

ユング派は電気羊の夢を見るか

最近寝るたびにおかしな夢ばかり見るので疲れる。この間は部族の一員になる夢を見た。洗濯係で、洗濯機を回している。非常に感動的なスペクタクルがあったがかなりおぼろげ。
あと知り合いが死ぬ夢。これはきつかった。人の死には慣れない。

ユング派の夢分析の話をちょっと聞いた。なんか夢をどう解釈するかより、夢をきっかけに被分析者とトークして引き出していくらしい。まあそらそうだよな。

GTA風トークで近況

こだいら で いっしゅうかん まつりにさんかしてから あじとに かえってきた。

kane「まさか みこしの けつごうしーんが みれる なんてな」
sweet「かえってきたか この けつあな やろう。 おまえが こだいらで おどりくるっていた あいだ たいへんだったんだ」
kane「どうした? れいの まつおかたんじょうさい の ことか?」
ryder「この にこちゅうめ! これを みろよ」
kane「かけいぼ じゃないか」
sweet「そうさ。 さいきん がいしょくが ふえすぎて しょくひが かさんでるんだ」
ryder「それどころか つくりおきした りょうりが あることを わすれるしまつだ」
sweet「うっかり おでんを くさらせるところだった。 おかげで においをごまかすために せーじ を いれるはめになった」
kane「おでん に せーじ? あーゆーくれいじー?」
sweet「うるせえ まざーふぁっかー。 おまえが しっかり だいどころに いないからだ」
kane「ぶたがたなを うしなっていらい いまいち きぶんがのらないんだ」
ryder「きのうだって sweet は たいむ いりの おむれつ なんて つくりやがった」
sweet「kane、 おまえ ちょうみりょう かいすぎなんだよ。 おれには なにをいれればいいか わからねえ」
kane「どうでもいいよ。 きょうは がいしょくに しようぜ」
sweet「はなしを きけよ くそやろう」
kane「まて あのくるま こっちに むかってくるぞ」
ryder「tamabi の れんちゅうだ! ふせろ!」
sweet「まざーふぁっかー? うって きやがった!」
kane「どういう ことだ?」
ryder「あの おしゃれども ぜんめんせんそうを しかけて きやがったんだ」
sweet「やまの なかにある きゃんぱす の くせに」
kane「うちらだって はたけの なかの きゃんぱす じゃないか」
sweet「うるせえ。 きばらしだ うまいものを くおう」
cecar「おーい」
ryder「お、 cesar が きたぜ。 じまんの きゃでらっく の ちょうしは どうだ?」
cesar「しょくじに いくのに ちょうしもくそも あるかよ」
ryder「くちのたつ こんけつやろう だな」
cesar「おまえこそ やくちゅう じゃないか。 どうでもいいから のれよ。 なにを くいにいく?」
kane「まつりでは あぶらっこいものが おおかったから さっぱりしたものを くいたい」
sweet「じゃあ よしのや にでも いくか」
kane「もっと おちつける ところに しようぜ」
ryder「じゃあ がすとだ」
kane「へい、 あいぼう おれは もうちょっと ましな めしを くいたいんだ」
sweet「だから かねが ないんだよ! ふぁっきんしっと! だったら じすい しろよ!」
cesar「ちかいし mac の どらいぶするーで いいだろ。 ほら もう つくぜ」
sweet「いや ようすが へんだ」
ryder「なんてこった! mac が つぶれて おしゃれな ばーに なってる!」
kane「tamabi の れんちゅうが うようよ いるぞ」
sweet「くそ ここが だれの なわばりか おもいしらせてやる!」
ryder「kane、 これを もってけ」
kane「うんこ じゃないか」
ryder「そいつで めにもの くらわせてやれ。 おれと cesar は えんじん かけたまま ここで まってる」
kane「おーけー さんぷんで おわらせてくる」


ばー の きゃくや ますたー に おぶつ を なげろ。


sweet「やつら ぶそう してるぞ! おれが ひきつけておく!」
tamabi「くそったれの いなか やろうども!」
master「うわああああっ うぇっじうっど の さらが!」
tamabi「ふぁっくおふ! あいつが なげてるの うんこ じゃないか!」
master「ばらんたいん の さんじゅうにねん ものが!」
sweet「てめえら には もったいないぜ。 おい kane、 たまが つきそうだ。 はやく このみせを さいきふのうに するんだ!」
tamabi「めがふぁっきゅー! おれの おしゃれな ふくに うんこが!」
master「しぇふ が せいけつで なくなっちまった!」
chef「こんなみせ やってられるか!」
sweet「よし、 じゅうぶんだ。 おい とっとと ずらかろうぜ」


cesar「お、 かえってきたな」
sweet「のったな。 さあ、 出せ!」
ryder「むかいの coop で にくまん かって きたぜ」
cesar「これが ばんめしで よくね?」
kane「まじかよ」
sweet「どらいぶ しながら にくまん くおうぜ」
cesar「くおう くおう」
ryder「おい うんこなげた てで さわるなよ」
kane「くそったれ」


mission passed!
respect +

最近は悪夢が多い

自販機でデカビタを買おうとしたら、なんかデカビタだけ800円もする。どうしても飲みたかったので800円入れてボタン押したら、一分くらいかかって出てきたのが栄養ドリンクサイズのものだった。ボウシット!

だんだんおかしい

今日はラテンのリズムに乗って踊りまくりました。あと展示では、うそ新聞が面白かった。「農薬から餃子検出」とか。あと工業デザイン系の。普段触れない技術なので新鮮。平面はもうお腹いっぱいです。epaは見そびれたので、明日行く予定。劇団むさびは評判いいらしく、本人らも手応えを感じてるようなので、まあよかった。

今回は、パフォーマンス系の出し物がすごく増えた気がする。元凶はおそらく恋愛処女の存在でしょうが、インプロ研みたいな変な連中もまた出てくるといいなあ、と思う。

あと、ゲイバーのオカマは、唇を奪われたくらいで騒ぐのはよくない。

芸祭二日目

夕方に行って、うろうろして、屋台で飲み、ゲイバーに行き、みたいな感じ。

今年の芸祭は、全体的にテンション低いね。二年連続で飲み屋街が移動したせいでノリが継承されてない気がする。二年前まではキャンパスのはじっこにスラム街みたいなのができて、近くのステージが大音響で音楽を流しており、死ぬほどうるさくて飲みながらの会話は叫ばないとできないような感じであった。
あの、何百人もが一斉に悪ノリする雰囲気は、一年に四日くらいあってもいいかなあ、と言う感じで好きだった。

その無法地帯ぶりは問題にもなり、学校側も対処したりしているのだが、ちょっとおとなしい良い子になった結果だけ見ると「この大学は芸祭がすごい」という売りを失ってしまったように思う。今もまあ他に比べると盛り上がってる方だと思うが、五年前くらいの発狂してるとしか思えない空間は懐かしくなってしまった。

まあ、まだ折り返し地点だしね。後二日、無意味を続けようと思う。

男流美術話

エル・グレコはもちろん凄いが、当時に「グレコは凄いから、作品をちゃんと保存しとこう」と判断できた奴がいた事の方がさらに凄い、というおはなし。

あと音楽でワーグナーが、宮廷付きのくせに狂気じみた作品を作っていたことが、美術でいえばゴヤにびったし当たる。「あんな王様描いたら殺されるだろ!」みたいな絵があったりする。そう言う点で(フランス革命以前の様式美の世界でやったという意味で)、ゴヤはドラクロワやクールベより偉大っていう。

酒を飲むとそんな話しになる。

芸祭り初日

そんなこんなで、四年ぶりに芸祭を回る。でも初日の朝はなんかまだ始まってない感じ。仕方ないので、詐欺のような値段のフランクフルトを売る手伝いをする。売る側になると、売るのは楽しい。かなり滅茶苦茶な宣伝文句を叫びまくる。「選べる味! イタリアのケチャップ! フランスのマスタード! カナダのメイプルシロップ! イタリアのチーズ! イタリアの胡椒! 日本製のフランクフルト!」通りすがりの女子高生とかが苦笑してて楽しい。人生は、無意味な部分で楽しんでれば、わりと全体的に幸せに生きられる気がする。

ダンゲーキ・サムービの公演を見る。まあ、トータルで言えば良かったと思うよ。やはり作演はハードコアな人間がやった方がいいと思う。役者はほとんど一年生で大変だけど、まあがんばるしかないな。

夜は久しぶりに男流作家協会の人たちと飲む。馬鹿話→美術の話→馬鹿話、という黄金の流れは相変わらず。S氏の作った架空の「アンパンマン二時間ドラマ」が面白かった。どういう話かというと、カバオ君の「痛い……寒い……殺して……アンパンマン、僕を殺して……」という台詞から始まる。アンパンマンは苦悩の末の決断でカバオの息の根を止めるが、それを気に病んでふさぎこむ。バイキンマンはそれにつけ込み「やーいカバ殺し! ハーヒフーへホー!」となじる。カバオ君のお母さんは「カバオを返して!」カバオ父「よせ! すいません、あれ以来家内はずっとこんな感じなんです……アンパンマンさん、気負わないでください……」そして再び現れるバイキンマン。アンパンマンも反論し、「僕だって! あんなことしたかったわけじゃない。だけど……あんなカバオ君の姿を見て、ほっとけることはできなかったんだ……」バイキンマン「何を言う。命あるものの生き死にを、お前みたいなアンパンが決めていいのか! 何だお前は! 神か?」そんなのが二時間続くのね。もっと面白かったのはキテレツ大百科のパロディだが、あまりにあんまりな内容なのでここには書けない。

そんなこんなで、四年ぶりの芸祭ですよ。無意味を楽しみたい。
プロフィール

金城孝祐

Author:金城孝祐
劇団無敵の作・演出家。油絵も描いてる。

最新コメント
カレンダー
10 | 2009/11 | 12
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
最新記事
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。