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チョイ鬱オヤジ

漠然と言葉を発してみようか。今練ってる長編が「カリギュラ」に影響を受けていることはこのあいだ書いたが、カリギュラの最期がどういうことだったのかを考えてみる。

さきおとといに学芸大のゼミで安部公房をやったのだけど、このとき議論を聞きながら、安部公房が作る不条理の世界の核がどこにあるか少し分かった。

取り上げたのは「闖入者」という短編で、主人公の住んでいるアパートの部屋に他人が何人も押し掛けてきて、疑似家族のコミュニティを形成し、当然とばかりに居住権を主張、やがて主人公を部屋から追い出す、という話。主人公の視点から見ればこの家族には理屈が一切通用せず、理解不能な集団である。
どうやら「友達」の下敷きになった作品らしく、去年岡田利規さんの演出のを見た人なら雰囲気は分かるかもしれない。

で、不条理ものというのは、基本的には主人公(か、客や読者)にとって理解不能なものがあり、理解不能であるがゆえに不条理であると私は考えていた。
しかし、「理解不能」ではなく、「共有してない」と捉えた方が、掘り下げられる。

「闖入者」の主人公は不条理疑似家族にアパートを追い出されたのち、「彼らと闘おう」と決心する。しかしその内実は、「自分が正当とする理論により不当な理論を打破する」のではない気がする。主人公はどちらかというと、居住権の回復よりも、疑似家族に通用する攻撃自体を望んでいるように見える。
つまり「私は正しい」と言うのではなく、「私はあなたたちに通用することができる=私はあなたたちと共有しているものがある」と言いたがっている。

それは、主人公に対する疑似家族や、また助けを求めた警察や弁護士(やはり不条理だったりする)とのやりとりから、常識や感覚が共有されていないことによる疎外感が強く押し出されている事から導ける。

「理解不能なルールがある」ことが恐ろしいのではなく、「私が参加してしかるべき共同体に理解不能なルールがあり、かつそれは成り立っており、ゆえに疎外される」ことが恐ろしい。

不条理ものと呼ばれるのは、共有の問題から始まって作られる世界なのか。


そこからさらに、「報復」というのが、他者となにかしら共有しうるために切れるカードであると考えられる。
いささか乱暴な読みだが、カミュの「カリギュラ」も「異邦人」も、主人公は最後に報復を受け入れている。
世界の矛盾を寓意したこれらの主人公も、そういうところで、どっかしら繋がっていたかったのかな。
そう考えると少しせつない。

限界を超えた思考は、孤独ゆえに、最終的には報復され死ぬことを望む。




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反省した

やっぱりできるだけプラスサムな世界じゃないと息苦しいわ、性格的に。
感情は資源だと解釈して生きてる。
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金城孝祐

Author:金城孝祐
劇団無敵の作・演出家。油絵も描いてる。

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