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逆予告

深夜0時~三時くらいまででやりまう

三分の一の純情な炭水化物で24時間動けるのか?

疲れた。今日はそばを一枚しか食ってないので、当然エネルギー不足だ。もっと飢狼伝を見習って生卵を五個くらい飲んだりさば缶を一口で食べて汁まで飲んだりしなきゃだめだな。ビルにパンチするくらいの勢いがないとだめだな、すぐ関節技かけられちゃうな。ああ。今日はトモチャンと衣裳の話をしたのだが、私が事前にもらったメールの内容をまったく理解してなくて、たいへん失礼してしまった。なんかもう文章が読めなくなってるな。終わるのか。こんな状態で逆クリスマスイヴを迎えられるんだろうか。という感じで、段々OLになってる。オアゾとかでくねくねアップルティー飲んでる。でもOLにだってなれるもんならなりてぇですよ。人生上必要な経験だと思うんですよ。いや、私はもう心にもないことばかり言ってるな。よくないな、ネオ癒しじゃないな。ああ……いいや、今日は早く寝ましょう、そうしましょう、そして今まさにビールを飲んでいる、正確には麦とホップ。というのは、麦とホップを飲んでいるのではなく、麦とホップという商品名の第三ビール帝国ですね。そしていわしの缶詰。ネオいわし系。青魚は古いなんてもう言わせない、普遍だ。青魚は普遍、赤魚は真理、紫魚は天命、劇団無敵はネオ癒し派。よし、ちょっとかわいくしてみるよ。いわしおいしーっ! どうだろう。話は変わるけど、アンパンマンの歌あるでしょう? 愛と勇気だけが友達という。あの歌は、じつは戦場の兵士のことを歌ったものだという解釈があって、それがわりと好きです。



世界が変わって見える。「ひかる ほしは きえる」のあたりはもう泣きそうになるね。私は一生かけてこのアンパンマンマーチを超える作品を作らなければならないのですが、大変難しいことです。



なんか昔見たテレビがなつかしくなってきた。キテレツ大百科とか、モーレツア太郎なんかがやってたんですよ、子供の頃は。そしておそ松兄弟の名前は結局暗記してない。だいたい六つ子なんてありうるのか。でも「ボンボン坂高校演劇部」には、11つ子兄弟なんてのも出てたな。なつかしいな。あの頃はまさか演劇に身を投じるとは夢にも思わなかったな。もしかしたらあの漫画が原風景なのかもしれないな。だとしたら、僕は部長さんと同じ変態なのかな。それは悲しいな、やだな。そういえばずっと疑問だったのは、正太郎君はお好み焼き大食い競争で負けてたのに、別の回では店のお好み焼きをすべて食いきることができたのはなんなんだったんだ。まあ、読んでない人にはよくわからない話ですね。まだ表現におおらかな時代の漫画で、今振り返ってみるとひどい話も多いのだが、読んでみてもいいかも。しかし、あの頃は高校生とは大変に年上だと思っていたが、いまや長い年月が経ってしまった。懐かしいジャンプの漫画といえば、あれだよ、「幕張」だ。あれを小学生の時に読めたのはよかった。知らなかったことばをいっぱい憶えた。木多康昭さんはファイターだよ。よくやったよ。これからもがんばってください。懐かしさばかり募る。ラッキーマンとか。あの、くだらないながらも感情移入したら相当にくる鬱展開は好きだったな。世直しマンの過去とか。さっちゃん編のラストも好きだった。黄桜いい奴だった。勝利マンもほんとはいい奴。あと、ラッキーマンや、ジョジョ三部もそうなのだけど、ラスボス手前でやたら強い腹心みたいなのが出てくるが(ラッキーマンでは越谷太郎、ジョジョはヴァニラ・アイス)、あのポジションはいいな。人の記憶に残るな。夢で会えるかもな。まあ今日はそんな気分だ。明日は一年で最大の祭典、中国人でいえば旧正月のようなものなので、もう寝ましょう、そうしましょう。





しゅるるるるるる

ポエム朗読、「私はもうだめだ、私には分かるんだ、私はもうだめだということが。だめなんだ、もう、だめなんだ! だめだ! 私はだめだ! だめだ私は、だめだめだ! めだめもう私だめだ! だめ私はだめだもう、私だ!」というフレーズに「こんなの憶えられるか!」とキレるポエム君。小平は平和だ。ああ、ぬちゃぬちゃする。きっと平和だからだ。畢竟するところ、へし折れてる自転車は根気がいるのかしら。ところで、明日は逆クリスマスですね。逆クリスマスというのは、六月二十四日には盛大に動画を貼って祝おうという個人的な祭日です。お題はボーカロイド。へいへい。一次と二次まで。へいへい。MAD可、歌ってみた可、そんな感じで。あとスピッツも可。

イタリア人は最強なのか?

水道橋。都心の真心。都の心。美学校の屋上で、炭火の匂い、肉の匂い、そう、バーベキューです。アイランドラピュタ。しかし私はジャモさんづてで呼ばれてきたので、知り合いもいず、るるるるしてる。やがてジャモさん来て、朗読パフォーマンスをぶつ。給水タンクのある高いところに登った。足を踏み外したら死ねる高さ。るるー。しかし、やはり舞台に高さがあると演者がすごく有利になるね、陸軍部隊に航空支援があるかないかくらい違う。朗読自体はまだ修行が必要だが、空気はこっちが握れました。そして特攻隊にいたというおじいさん画家の昔話を聞く。予科練とか、はだしのゲンの世界。おじいさんの話は基本面白い。今の多摩美の前身の学校に入ったというが、入試のとき、家族に反対されるのが分かってたから黙って願書を出し、試験直前に表明したという。「矢は放たれた!」つって。この熱さ。そんでジャモさんと一緒に中央線に乗って帰ってたら、偶然同じ車両に後輩であるところのトム、じん含む集団、なにやら外国人と英語で喋っている。二人が気付くと、お連れさんであるところのイタリア人のおねーちゃんが突然こちらに走り寄ってくる、手にされた携帯にはワンセグでどうやらサッカーの中継がされている。そして英語で「お前らこれを見ろ! 今イタリアが闘っているんだ! イタリアがんばれ! 今こそ黙示録の時!」みたいなことを喋りだし、なんなんだこのおねーちゃんは、ときょどってると、じんが「彼女は今サッカーを見てて、大変興奮している」と説明してくれた、そーなのかー。しかしジャモさんが渡した名刺を胸に差し込んで収めるなど無駄にセクシーなパフォーマンスをしたり、感情表現のための意味不明なダンスを踊りはじめたり、半分発狂してたので、なにも中央線でそんなことやらなくてもいいだろうに、と思った。そしてふと、外人は日本人と違って自己表現が強い、とよく言われていますが、外人は日本人相手ならあのノリ通ると思ってるふしもある気がしたよ。でもあのねーちゃんは本当におかしい人な気もするしよく分からんな。じんの言う通り、たまたま今日は興奮していただけかもしれない。素かもしれない。私には分からない。肉食ってるとちがうなー、といったところか。そういうわけで、コンビニでニューコンミートを買ってみた。コンミート買うとちょっと贅沢した気分。普段は食はけちっている。表現も食生活も緩急だよ。ちなみに試合の結果はしらない。今日はコンミート食って寝る。起きたら毒虫になってるか、ちょっとかわいくなってる。昨日より、ちょっとかわいい私。

豚か、少女を選ばせてやろう!!

魂の故郷小金井、高架線トンネル疾走中に僕は豚になるんだって思ったりしたのだよ! より具体的に言えば、芝居が一本頭の中でまとまった。ポエム君が駅前のそば屋にいるっていうから、そこにかけつけて「駅そばのそば屋でそばを食ってる君のそばでソバージュしていいかい? So bar!!」っていうとっておきの台詞、人生でそんな台詞いう機会があったことを神に感謝したいですむしろ台詞をとっておいたのに、彼のいたそば屋は国分寺であり、私がかけつけたのは武蔵小金井でした。メールもろくに読めない男たち!! ポエム君は助かったんだな、まあ神はよく選んでるよ。しかしせっかく武蔵小金井なので、クィーンオブザストリーキングに登場した市役所を見たり、御手洗のバーのモデルになった店で茶を飲んだりした。じつは私も入った事はなくて中は初めて見たのだが、年季の入った内装のおちついたいい感じの喫茶店でした。「ぜんぜんならず者のたまり場ではないじゃないか」とつっこみを入れられたが、いいじゃないですか! 夢を見たいじゃないですか! 俺は夢を作ってるんだよ! あなたの夢に登場したいんだよ! 男でもいい、いや、むしろ男でもいい!! あなたの夢という舞台で!! 俺を!! と叫びながら今日もカップラーメンを食うんだけどカップラーメンを最初に発想した奴は天才なんじゃなかろうか! うまい! はやい! 便利! しびれるー。そして今思い出したんだけど、今日食ったのはカップラーメンじゃなくて吉野家の豚丼でした。終わってるなすべてが!! そして豚になろうって思ったのです。しみじみ。俺だってしみじみするし、涙をながすし、女の子の肩を抱くとどきどきするし、だって男の子だもん。そう昨日新宿梁山泊の、花園神社でのテント公演「ベンガルの虎」見たんですけど、ラストで泣きましたね。両目の涙が顎の下まで流れて、そこでつながりましたよ。それがなんか面白くてちょっと気がちっちゃったです。みんなも見に行くといい。あと登場人物の「俗物博士」を見てて思ったんだけど、これは野田秀樹の「贋作・桜の森の満開の下」に影響を与えているのかしらん? 「桜」も生で見たら泣いていたな。そう私は涙もろい。最近の草食系男子は涙もろいんだ。だからそう、そんな俺にできるのはインナーマッスルを鍛える事だけだ! 今日ジャモさんを背中に乗せて肘立てしたら、ジャモさん浮き上がった。「私、成長してる……」そう思った。「私のインナーマッスル、成長してる!」この台詞美しいな。だれか言ってみてよ。わかるから。よさが。ただリズムは悪いね。アクセントがくどい。そう、だから音のよさと内容のいかんが最近悩みの種なんですよ。それは少女の心を持っていながら、男の肉体に産まれてしまった自分自身への葛藤と言い換える事も不可能ではないでしょう。だからインナーマッスルで肉体改造してるわけですよ。最近知り合ったおーかわら君というダンサーというか舞踏の人がいるんだが、彼はすばらしいです。鍛え抜かれた肉体でしなやかに踊ります。しかし後半上を脱ぐのはなんだろう? セクシーでいいけど。舞踏中の、あの仏のような顔が恍惚とした表情をするとき、神秘を感じますね。背徳感すら感じますね。その顔でその表情は卑怯だろう、女の子しびれるーだろ。でも大駱駝艦系はカテゴライズされきってしまってるので、これから独自の表現にするのはかなり難しそうですね、はたから見てて。あの完成された仕分けは超え難いですよ。ここで話は変わるのだけど、そうだな、何の話がいいかな。くそっ、崩壊するしかないのか!! 気付きたくない!! このインナーマッスルは気付きたくなくなってる!! だから家出をしました、インナーマッスルは。そして激情にまかせて走り出してしまったけれど、これからいったいどこへ行けばいいのだろう? どうすればいいのだろう? そこに現れる肘立ての達人。「お前は大切なものを忘れたまま、どこに行こうと言うのかね? 三年間待ってやる!」そして僕のインナーマッスルはこの達人のもとで三年間修行した。あの頃よりずっと強くなった気がする。それはもう、肉体のみならず、精神も鍛えられた。でも足りない。決定的な何かが足りない、そう、あのとき忘れたまま、それが何だったかすら忘れてしまった、あれが足りないんだ……そして目の前に現れる身も心も少女と化した俺。「インナーマッスル、もう、無理しないで……もう、十分頑張ったよ。誰も責めないよ。これ以上あなたが傷ついていくのを、私見てられない!」そういって俺のインナーマッスルの胸に飛び込む少女と化した俺。インナーマッスルは緊張する筋肉。俺(少女)はインナーマッスルを強く抱きしめ、心臓の鼓動がお互いに伝わる。しかしふと気付くインナーマッスル。「胸が2ペア以上ある……!?」三年間の修行で全身に神経を張り巡らせていたインナーマッスルは精神を集中する、すると自分の体に押し当てられている胸は5ペアはあった。「貴様人間ではないな!」インナーマッスルは心眼を使って正体を見抜く、彼が抱いていたのは少女ではなく豚だった。「おのれ妖怪、人の心の闇に巣食うあやかしの者め! マッスル必殺!」インナーマッスルが豚の体を貫き通したとき、豚の変装はとれて達人の姿になった。「よくぞ見破った……お前は、やっと見つけたようだ……」「師匠……!」「強くなったな……インナーマッスル」「………しッ……! ……ししょおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」気がつくとインナーマッスルは、一人のみすぼらしい男になっていた。そう、彼はずっと失っていた「現実」をふたたび見つけたのである。とっぴんぱらりのぷう。ああ、どうしたらいいんでしょうねえ俺は。決まってるさ! インナーマッスルを鍛えるのさ! そうなの? そうだよ? そうなの? といった感じで、人に与えられし無限回廊を抽象的に表現してはみたものの、割と適当に言ってる自分自身に気付きはじめてきた。くそっ、誰か俺をやさしく怒ってくれよ! 在学中、助手さんには恐怖していたけれど、今思うとかわいいお姉さんに本気で怒られるのは幸せな事だったと思っているよ! 彼女は一度「次遅刻したらやる気がないとみなす!」と言って、私がまた遅刻したら、もっかい同じ事を言いました。彼女はその気になれば、「留年したいんでしょ? もう知らん。辞めちまえくそやろう。お前は私が破壊する」と言う事だってできたんです。しかし言わなかった! ああ、なんという! っていう。でも修了制作発表期間に別の科の助手(男性)をマジ切れさせてしまった時はふるえあがったね。ジャモさんに「今度……お菓子を持って…………お詫びに行った方が……………」って5回くらい言われた。そういう現実を鑑みるに、俺は駄目な奴なのかもしれない。何の話だっけ。いや、ゴドーを待つんだよ。ああ、そうか。しかし人生は夢という題の芝居もありますからねえ。夢ですよ。お話です。お話と言えばね、白雪姫ですよ。寝てたら勝手に唇を奪っていくという王子。しかしちがうんだよ。あれは運命の寓話なんだよ。どういうたとえなのかを今考えています。はい、整いました。七人の小人というのは、人間の欲望です。人はだれしも七つの欲望に囚われているのです。そこに迷い込んだ、汚れを知らない少女!! 小人に囲まれてたのしく暮らす。しかし王女様、鏡(真実を映し出す)でそれを見ていた。この何も知らずに我が世を謳歌しているあわれな娘が、せめて汚れる前に、大人としてきれいに終わらせてやろう……そして毒リンゴというね、これはまあ睡眠薬でしょう。致死量のベゲタミンとかで苦しまずに死ねるよう、それなりに配慮したんです。はからいは上手くいき、死んだように眠る白雪姫。そこに通りかかった王子、医学の教養のある彼は一瞥して急性中毒だと見抜き、とっさに覚醒剤を注射して白雪姫は目覚めた。白雪姫しびれるー。うう、よかったねえ、いい夢みてねえ、というお話。我ながら酷いな! 今日はもう何を書いてもひどいぞ。どうした。いや、いつもか。ちくしょう、戯曲でも書くべえ。







こくちするとか

本日19日、シャトー2Fでポエム朗読やります。

http://chateau2f.exblog.jp/

イベント自体は五時から、出演枠時間帯不明。出るのは俺、ジャモ、ポエム君。



あと20日にも、islandラピュタ というところで朗読をやる。

http://islandjapan.com/info/ 神保町だけど、分かりづらいところにあるらしい。美学校の屋上をオープンスペースにする企画で、そのイベントらしきものです。こっちは七時から。

ポエム聞きたい人はぜひどうぞ。

遅すぎる朝、早すぎる老い

ジャモさんをおぶってスクワットし、ポエム君を背中に乗せて肘立てす。肉体を追いつめる。筋肉がぷちぷちちぎれる。腱が痛む。ごはんをちゃんと食べただけで無限の力が沸く。激しい詩も読み切れる。喉は潰れる。嗄れた声のニュアンスを楽しんでみる。調子にのって後ろ回し蹴りとかやってたら転んで腰を打った。いてえ。
村ゲーの僕らのサーガは最近すっかりやる気がなくなった。あれも言ってみれば殴り合いのゲームだけど、数字がちょこちょこ動くより、やはりリアルファイトがいいですね。男って野蛮ね。いやね。はやく解脱したいですよ。煩悩から解き放たれたいですよ。
練習中に身体表現の話からそれて、格闘技の話題になる。ポエム君がボクシング、私が空手の経験があるので、あと最近私は「飢狼伝」をちょいちょい意識してマイク・タイソンの動画とか見たりしていて、なんかそういう感じなんだよ。喧嘩は嫌いなんだけど、久しぶりに体を動かしたいです。舞台も試合場も胸は高まるけど、脳で分泌されるものは微妙に違っていて、舞台上のテンションもまあかなり原始的なものだけど、人と闘うときの感覚は多分マンモスを狩ってた頃と変わらないんじゃないかな。そういうある意味人間が進化してないというか、感情システムの限界に直面する感じがいいですね。最近そういう感じなんだよ。もうね、男は進化したいなら去勢するしかないと私は思うんですよ。でもちょっと恐いから、ジャモさんを実験台にネットで見つけた必殺技を試したりしているわけで。つまり進化を諦めているのではないでしょうか!? 進化を諦めてるけど葛藤はあってもがき苦しんでいる自分がちょっと好きなそういう感じなんでしょうか!? オーメン!! しかし道は残されている! 悟りだ! 悟り教育を受けて脳が分泌する神経伝達物質のバランスを意図的に調整するのだ! だが煩悩はつのるばかりだ!! そんなあなたに耳寄りな情報ですが、最近温泉が煩悩に効く事が科学的に照明されました。照明された、スポットが当てられたのです。また那須高原の温泉に行きたいものだ、うわああああああああああっ!! 恐ろしい事に、たいへん恐ろしいですよ!? くはっ。うわっ。温泉はいいや、まあ、そのうち行けるだろう。そんなことよりちょっと前にフランスの美術館からピカソとかの絵が数点盗まれましたね、あれはどうなったんだろう。この時代にマジなルパンが存在することはすこし勇気づけられますね。セザンヌの絵に遊びでスプレーかけてたチンピラとはわけがちがいますよ。でも宗教的信念にもとづいて聖母像にペンキかけたおじいさんは少し好きだった。そういう人がいたりするんですよ、世の中って広い!! すてき!! 美しい!! 君は美しい!! 聖母だ!! 世界だ!! 話は変わるけど、ヤン・クーネン監督の短編映画のひとつに、不死身の男を銃殺しようとした小隊が逆襲され、最後の一人が聖歌を歌いながら恐怖に耐えるシーンがあって、あれはわりと好きだったりした。ヤン・クーネンはもうまじめに映画とらなくてもいいよ、もっとああいう夢をみせておくれよ。ってハタから言われたらすごく不愉快でしょうがねえ、人間そういうふうにできてますからねえ、いたしかたないのですかねえ。俺だって「まじめに舞台やった作品より、半裸で踊ってる方がおもしろいじゃん」って言われて複雑な気分になったりしますよ。そりゃ俺が半裸で踊るのは面白いよ。でも世界はそれだけでは表現できない!! 複雑にできているんです、そう、人の気分のようにね!! 前言撤回します、クーネン監督はもう信念に従って作品を作ってください、だれも責めまい。村主さんだって、全盛期は過ぎてるのに一向に引退しない。鑑ですよ、彼女は。ゴールの場所を自分で決めないからなー。ああいう風にありたい。すぐりたい。その第一歩として、俺はマイク・タイソンになる! 見てからのジャブ回避余裕でしたって言う! 道は長く、しかも直線ではないのだから、そう、ではまずウメハラになります。まず百列脚を全ガードすることを目標にします。でも小金井の誓いがあるから、ゲームはあまりできないや。そうやって己にかけた呪いのなかで虫みたいになっていく俺様。しかし虫は飛べる! 一寸の虫にも村主の魂、マイクタイソンのフックを持っている。そんな虫。いたらこわいねー。Gが出て、殺虫剤をかけようとしたらパンチを繰り出してきて脳しんとうを起こす。そのGはTで汚染されているのか。あるいは可能なのか。ならば俺はあえてバイオハザードしますよ。バイオは2だけやったことがあり、いや、ちょっとまえに1のリメイクをやったかしら、まあでも俺の中でバイオといえば2なんだよ。あれは最初はとても恐いんだけど、段々武器が強力になり弾数も余裕がでてきたらちょっとアクションゲームになってきて、あれですね。これですよ。Gも(このGはGのことではなく、Gのことね)変身し過ぎてもうむしろおかしい感じだし。まあバイオに登場するエピソードで一番心にきたのは、1のリメイクで登場したリサですけどね。生活してるゾンビというのが琴線に触れた。なんでバイオの話になったんだ。まあいいや、話を戻すと、個別のできごとを集積したデータだけでは本質にせまれないということですよ。うーん困った、少し疲れてきたぞ。俺は何をしているんだ。一体どうすればいいんだ。そう、今熱いのは味噌ですよ! ツイッターにはおしょうゆの事ばっかり書いててなんですが、今私は味噌の可能性を追求しています。具体的には、味噌と米の食事をいています。でも今日はめんどくさくて、スーパーで値引きされてた手巻き寿司買っちゃった。この言行不一致!! 言行不一致体!! 明治時代の賢人たちが血のにじむ思いで作り上げた文法を破壊する背徳!! 業!! 死んだら地獄とか、天国とか、あまり考えてませんが、そもそも思うのは、「本当に命はひとつなのか」という事ですよ。ここからハイパーネオ癒しタイムなのですが、我々が命と呼んでいるものは、本当に一生物につき一つなのでしょうか? 実は、人間とは意識や生命システムを統合して考える力がとても発達しているせいでそう風に感じられるだけで、本当は命はいくつかあるということもあるのではないのでしょうか? それは細胞一つ一つが生命と言える、とかいう話ではなく、まあ漠然と実は肉体の内に命がいくつかあると思いねえ。何を言ってるのかよく分からないでしょうが、今はネオ癒しタイムなので問題ではない。だからもうちょっと精神的な統合力のゆるい生き物、じゃあ例えばGなんかは、命がいくつかあるのを意識しているとしよう。それってまあ、素敵ですよね。ほんとだったら。でも我々は「私は生まれ変わったんだ」なんてクリシェを持っていたりする。それがじつは、体の中にあるいくつかの命の一つが本当に死んでたらどうだろう。そして新しく産まれいずる命もあるとしたらどうだろう。意識することは決してないが、人の命はいくつもの命が産まれては死にながら流動的につらなっていっている。そう考えると素敵ですよね。というネオ癒し談話でした。はい。なんかそういう、人間の観察力、洞察力では絶対に到達できない領域というのは僕は好きなんですよ。だから「ぼのぼの」とかはまさに神の啓示によって描かれたんだなあ、と思ったりするわけですが、なんかもう、さっきから俺は何が言いたいのか俺自身わからなくなってしまって、ここまで読んでくれた人にはもうしわけないが、俺は何が言いたいのか分からんです。そしてこの文章もうしばらく続きます。そうだよ、そんなことより「きのこの山、タケノコの里論争」ってのがあるのですが、あの不毛さに私は歴史を見るわけです。なにが不毛かというと、論争自体ではなく、それをハタから見ている私自身がですね。歴史は物語と言われますが、物語化するためには人間を殺さなければならないわけです。というのは、当事者が時間が経つなりして死ぬという意味ですね。まあ実際に死ぬというよりは、人間味が抜けないと歴史にならないということです。これは一般論にはならない私の勝手な見方ですが、歴史はその時代、瞬間としては死ぬか、眠るような状態にまでならないと扱えないと思うんです。定義的に書かれたものじゃなきゃいけない、言えちゃいけない、てのはこじつけ臭いですが。「死ぬ」だとちょっと強すぎるので「眠る」としましょう。で、そう思うのはなんでかというと、私は舞台に立っててよく思うのですが、演技によるイメージの空間は無から作られるのではなく、もともとその空間に眠ってる何かが呼び覚まされていることで発現していると感じるのですよ。人間が無から何か作れるかというのも考えによっては答えが異なりますが、私は作れないという立場です。ミケランジェロだって石に内在する形しか彫れなかったんだし、ミケランジェロに無理なものは人類には無理です。ダヴィンチはちょっと神に近い気がするけど、それでもおちゃめな失敗したりしていたし、彼らは神ではなく少女ですよ。そんでまあ、劇的空間は、役者が作るものではなく、きっかけにすぎず、空間そのものがめざめるものです。だから即興劇などやっていると、あらかじめあるその空間の何が目覚めたがってるのか、わかる瞬間もあるわけです。イベントなど劇場以外の環境でもやっているとそういう違いも感じるし、おそらく風水的な影響も受けるだろうし、あるいは地縛霊なんていたらまたおもしろくなるかもしれない。だからそう、我々は、眠っているものを起こすことしかできない。で、新約聖書の記述なんかは、脚色も多く含まれてると思うけど、死んだものを生き返らせるっていうのはもしかしたらあったのかもしれない。心停止から復活することはあるからね。だからイエスの立ち会ってるときになんかうまくいっちゃって、うーんこりゃマジかもしんないってみんな思ったかもしれない。でも皮膚病が治るのはどうなんだろう。治ったのかもね。そう考えると素敵ですよね。で話を戻すと、我々は眠りをさますことはできるが、起きるものを選ぶ事はできないのですよ。だからもし、自分の周りでは変なものばかり起きているのなら、というか私の周りで変なものが起きることが多いので、それは微妙ですね、きのこの山たけのこの里状態ですよ。まあ、お菓子です。俺が呼び覚ませるのはお菓子なんです。きのこの山は好きだけどね。ふう。せいぜい甘い夢を見させてやるぜ。なんつってね。うわああああああああああああああ!! 叫べば許される! 声が大きければ神は聞く!! 俺はキリスト教じゃないがな。でもまあ、どうなんだろう。気分によっては、お寺や教会にふらっと立ち寄ってお祈りの一つでもするからな。何年か前、鎌倉を友達とふらふらしていて、なんとなく教会に入ったら女性がパイプオルガン弾いていて、それをしばらく聴いたことがあったが、あれはちょっとした癒しだった。この無節操はなんなんだろうね。個人的な予想としては、イデオロギーに執着がなく、興味深ければ右も左もおっけーという世代的なものが影響している気がする。基本が虚無なのよね、だからもう、保証がないのが保証されてる感じです。だからネオ癒しとは何かと聞かれたら、絶句するしかないんですよ。どうしても答えが聞きたいのなら、「ネオ癒しとは、きのこの山である」って言いますよ! しかしそれでいいのか! あなたも俺も!! 最近悩みがあるとしたらそんなところですねー、あと「死んだ子の年を数える」のって、強烈な呪力があるからやめたほうがいいです。私は内田樹と白川静から呪いについて少し学んだのですが、まあ呪いと言うとオカルトの臭いがしますが、人間の持つ技術の中にありますよ、こういうのは。そして「存在の耐えられない軽さ」をみんな読んでくれよ。わりとしつこく言ってるけど。まあ、なんかいいですよ。いろいろと。呪いを解くってこういうことですよ。あなたと永劫回帰したい! 一億年と二千年前にはうーまーれーてーなーい! そして軽やかに流れを切断し動画を貼って今日の日記終わり!



叫べ、愛の言葉

古典の「芥川」なんかに出てくる叫び声「あなや」は、「あれえ」なんて訳されてるけど、私は現代風に表記すると「あにゃああああーーーー!!」みたいな感じに言ってたと思うよ。

酒召して眠らば

体力が尽き気味。つかれた。おなかもげりっぴーになっちゃった。

ちょっと気が早いけど、クリスマスプレゼントに画像を貼るよ。

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メリークリスマス!!

ああ

横浜に行って、帰ってきたら、部屋のエアコンがつきっぱだった。
ちくしょう、湿度が低いぜ。

トモチャンが衣裳をやってるノアノオモチャバコ公演「ノア板 桜の園」を見てきたぜ。
桜の園はいつ見てもやるせないぜ。チェーホフは働き過ぎでおかしくなってた説を唱えるのぜ。

最近自粛モードだからブログに書く事あまりないぜ。でも20日に神保町でなんかするらしいよぜ。シャトー小金井にも出るような気がするんぜ。

にゃー


ああああああああああああああああ!!

しばいみる

社畜と化した193、求職にあえぐトキオ君という鮮やかなメンツで芝居を見に行く。後輩が裏方やってた奴(名前ひかえ忘れた)と、今話題な快快。おもしろかったけどな。見た後かなり議論になった。

シャトー小金井はこれからどうなるんだろう。かなりの神立地だけに気になる。

当日だけど告知する

小金井で即興劇やりますよ。

http://chateau2f.exblog.jp/

なんか毎週のように宴が開かれるアートスポットが新しくできるようです。六月正式オープンらしい。

今日は五時から。出演時間帯は不明。出るのは私とジャモさん。お暇な人はおいでよ。

亀の甲より

学芸大で、インプロのワークショップがあったので行ってきた。講師はアレン・オーエンズさんというイギリスの方。パートナーのナオミ・グリーンさんが通訳しつつ、演じてみたり、即興シーンを作ってみたり、いろいろやる。参加者は40人はいて賑やかだった。
プレテキストのある形式で、今日は「浦島太郎」を使った。最も古いオリジナルに近い話で、亀はいじめられたところを助けられたのではなく、浦島太郎に釣り上げられ、気まぐれで放される。
次の日、浦島太郎がいつものように釣りをしていると、沖から一人の美女を乗せた小舟がやってくる。
その美女は、黙って浦島太郎に手を差し出す。

ここで、アレンさんは「あなたが浦島だったら、この手を取りますか?」と参加者に言い、取る人と取らない人を別れさせた。人数比は8:2くらいで、男女比はあまり差がなかった(これはすこし興味深かった。女性はイケメン補正してるのだろうか)。私は手を取るほうに回った。
アレンさんは、「なぜそう思いましたか?」と質問した。
「手を取る」の集団にいる若者が答えた。
「それは、男なら手をとってしまいますよ」
同じ集団の中年男性が言った。
「美しい女性にだまされてみたい」
「取らない」の方にいた男が、隣にいる老人を指して、言った。
「先人の知恵で……そういうときに手を取ったら失敗するって言ってます」
老人は追って言った。
「そういうとき、手を取ってはいけない」

なんか聖書にでも出てきそうなやりとりだなー、と思った。老師すごい。
アレンさんもいいこと沢山言ってたけど、この老師がいた事の方が感慨深かったです。

そう、若者に道を示すのはタフガイキャラだけじゃ駄目なんだよ。老師が必要だよ。
いや、違う。あれは少女だった。多分。そんな気がする。




人生の練習

今日の練習は、続仲良しポエムが「貨幣の価値とはなんなのか?」と突然問題提起しだしたせいで、吉本隆明の話になったり神の見えざる手の話になったり古代ローマの話になったり剣闘士の話になったり娯楽の話からゲームの話になり、結論としては「ゲームはそもそもプレイヤー同士が言葉を交わすところから始まっているので、オンゲが流行るのは当然というか、より正統なゲームの姿に戻っただけのことだ」という大変実りのある英知を獲得する事ができました。帰路も議論は続き、別れたときの話は「うすた京介はよくやった」というものだった。なんなんだよ……もう……なんなんなんだよ……

今日思いついた男らしいせりふ「いつかデレさせてやる」
候補としては「いつかチューさせてやる」というのもあったけど、あまり美しくないから没になった。それはつまり、「いつかデレさせてやる」という言葉は美しいんですよ。最近そんな風に生きてる。

ふう

鬼さんはかなり気に入ってる。

諸行無常

朗読で平家物語使いはじめたが、熱さにびびった。立ち回りまで入れたらもう違うのは言葉だけで、生きている人間のなまなましさがよく見えてくる。

きや

大野一雄さんも亡くなられた。

おじさんのロンド

今日は私とジャモさんしかいなかったので、ダンゲーキサムービの練習にまぜてもらった。今の部長(二年生)とディベート形式のインプロをすることになり、実力をみようと本気で攻撃してみたが、ちゃんと捌けてたので安心。
修辞学よみがえってるぜ。




やー



これは久々に馬鹿高いクォリティ。


学芸大では詩や朗読もやってるらしいですよ
プロフィール

金城孝祐

Author:金城孝祐
劇団無敵の作・演出家。油絵も描いてる。

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