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遅すぎる朝、早すぎる老い

ジャモさんをおぶってスクワットし、ポエム君を背中に乗せて肘立てす。肉体を追いつめる。筋肉がぷちぷちちぎれる。腱が痛む。ごはんをちゃんと食べただけで無限の力が沸く。激しい詩も読み切れる。喉は潰れる。嗄れた声のニュアンスを楽しんでみる。調子にのって後ろ回し蹴りとかやってたら転んで腰を打った。いてえ。
村ゲーの僕らのサーガは最近すっかりやる気がなくなった。あれも言ってみれば殴り合いのゲームだけど、数字がちょこちょこ動くより、やはりリアルファイトがいいですね。男って野蛮ね。いやね。はやく解脱したいですよ。煩悩から解き放たれたいですよ。
練習中に身体表現の話からそれて、格闘技の話題になる。ポエム君がボクシング、私が空手の経験があるので、あと最近私は「飢狼伝」をちょいちょい意識してマイク・タイソンの動画とか見たりしていて、なんかそういう感じなんだよ。喧嘩は嫌いなんだけど、久しぶりに体を動かしたいです。舞台も試合場も胸は高まるけど、脳で分泌されるものは微妙に違っていて、舞台上のテンションもまあかなり原始的なものだけど、人と闘うときの感覚は多分マンモスを狩ってた頃と変わらないんじゃないかな。そういうある意味人間が進化してないというか、感情システムの限界に直面する感じがいいですね。最近そういう感じなんだよ。もうね、男は進化したいなら去勢するしかないと私は思うんですよ。でもちょっと恐いから、ジャモさんを実験台にネットで見つけた必殺技を試したりしているわけで。つまり進化を諦めているのではないでしょうか!? 進化を諦めてるけど葛藤はあってもがき苦しんでいる自分がちょっと好きなそういう感じなんでしょうか!? オーメン!! しかし道は残されている! 悟りだ! 悟り教育を受けて脳が分泌する神経伝達物質のバランスを意図的に調整するのだ! だが煩悩はつのるばかりだ!! そんなあなたに耳寄りな情報ですが、最近温泉が煩悩に効く事が科学的に照明されました。照明された、スポットが当てられたのです。また那須高原の温泉に行きたいものだ、うわああああああああああっ!! 恐ろしい事に、たいへん恐ろしいですよ!? くはっ。うわっ。温泉はいいや、まあ、そのうち行けるだろう。そんなことよりちょっと前にフランスの美術館からピカソとかの絵が数点盗まれましたね、あれはどうなったんだろう。この時代にマジなルパンが存在することはすこし勇気づけられますね。セザンヌの絵に遊びでスプレーかけてたチンピラとはわけがちがいますよ。でも宗教的信念にもとづいて聖母像にペンキかけたおじいさんは少し好きだった。そういう人がいたりするんですよ、世の中って広い!! すてき!! 美しい!! 君は美しい!! 聖母だ!! 世界だ!! 話は変わるけど、ヤン・クーネン監督の短編映画のひとつに、不死身の男を銃殺しようとした小隊が逆襲され、最後の一人が聖歌を歌いながら恐怖に耐えるシーンがあって、あれはわりと好きだったりした。ヤン・クーネンはもうまじめに映画とらなくてもいいよ、もっとああいう夢をみせておくれよ。ってハタから言われたらすごく不愉快でしょうがねえ、人間そういうふうにできてますからねえ、いたしかたないのですかねえ。俺だって「まじめに舞台やった作品より、半裸で踊ってる方がおもしろいじゃん」って言われて複雑な気分になったりしますよ。そりゃ俺が半裸で踊るのは面白いよ。でも世界はそれだけでは表現できない!! 複雑にできているんです、そう、人の気分のようにね!! 前言撤回します、クーネン監督はもう信念に従って作品を作ってください、だれも責めまい。村主さんだって、全盛期は過ぎてるのに一向に引退しない。鑑ですよ、彼女は。ゴールの場所を自分で決めないからなー。ああいう風にありたい。すぐりたい。その第一歩として、俺はマイク・タイソンになる! 見てからのジャブ回避余裕でしたって言う! 道は長く、しかも直線ではないのだから、そう、ではまずウメハラになります。まず百列脚を全ガードすることを目標にします。でも小金井の誓いがあるから、ゲームはあまりできないや。そうやって己にかけた呪いのなかで虫みたいになっていく俺様。しかし虫は飛べる! 一寸の虫にも村主の魂、マイクタイソンのフックを持っている。そんな虫。いたらこわいねー。Gが出て、殺虫剤をかけようとしたらパンチを繰り出してきて脳しんとうを起こす。そのGはTで汚染されているのか。あるいは可能なのか。ならば俺はあえてバイオハザードしますよ。バイオは2だけやったことがあり、いや、ちょっとまえに1のリメイクをやったかしら、まあでも俺の中でバイオといえば2なんだよ。あれは最初はとても恐いんだけど、段々武器が強力になり弾数も余裕がでてきたらちょっとアクションゲームになってきて、あれですね。これですよ。Gも(このGはGのことではなく、Gのことね)変身し過ぎてもうむしろおかしい感じだし。まあバイオに登場するエピソードで一番心にきたのは、1のリメイクで登場したリサですけどね。生活してるゾンビというのが琴線に触れた。なんでバイオの話になったんだ。まあいいや、話を戻すと、個別のできごとを集積したデータだけでは本質にせまれないということですよ。うーん困った、少し疲れてきたぞ。俺は何をしているんだ。一体どうすればいいんだ。そう、今熱いのは味噌ですよ! ツイッターにはおしょうゆの事ばっかり書いててなんですが、今私は味噌の可能性を追求しています。具体的には、味噌と米の食事をいています。でも今日はめんどくさくて、スーパーで値引きされてた手巻き寿司買っちゃった。この言行不一致!! 言行不一致体!! 明治時代の賢人たちが血のにじむ思いで作り上げた文法を破壊する背徳!! 業!! 死んだら地獄とか、天国とか、あまり考えてませんが、そもそも思うのは、「本当に命はひとつなのか」という事ですよ。ここからハイパーネオ癒しタイムなのですが、我々が命と呼んでいるものは、本当に一生物につき一つなのでしょうか? 実は、人間とは意識や生命システムを統合して考える力がとても発達しているせいでそう風に感じられるだけで、本当は命はいくつかあるということもあるのではないのでしょうか? それは細胞一つ一つが生命と言える、とかいう話ではなく、まあ漠然と実は肉体の内に命がいくつかあると思いねえ。何を言ってるのかよく分からないでしょうが、今はネオ癒しタイムなので問題ではない。だからもうちょっと精神的な統合力のゆるい生き物、じゃあ例えばGなんかは、命がいくつかあるのを意識しているとしよう。それってまあ、素敵ですよね。ほんとだったら。でも我々は「私は生まれ変わったんだ」なんてクリシェを持っていたりする。それがじつは、体の中にあるいくつかの命の一つが本当に死んでたらどうだろう。そして新しく産まれいずる命もあるとしたらどうだろう。意識することは決してないが、人の命はいくつもの命が産まれては死にながら流動的につらなっていっている。そう考えると素敵ですよね。というネオ癒し談話でした。はい。なんかそういう、人間の観察力、洞察力では絶対に到達できない領域というのは僕は好きなんですよ。だから「ぼのぼの」とかはまさに神の啓示によって描かれたんだなあ、と思ったりするわけですが、なんかもう、さっきから俺は何が言いたいのか俺自身わからなくなってしまって、ここまで読んでくれた人にはもうしわけないが、俺は何が言いたいのか分からんです。そしてこの文章もうしばらく続きます。そうだよ、そんなことより「きのこの山、タケノコの里論争」ってのがあるのですが、あの不毛さに私は歴史を見るわけです。なにが不毛かというと、論争自体ではなく、それをハタから見ている私自身がですね。歴史は物語と言われますが、物語化するためには人間を殺さなければならないわけです。というのは、当事者が時間が経つなりして死ぬという意味ですね。まあ実際に死ぬというよりは、人間味が抜けないと歴史にならないということです。これは一般論にはならない私の勝手な見方ですが、歴史はその時代、瞬間としては死ぬか、眠るような状態にまでならないと扱えないと思うんです。定義的に書かれたものじゃなきゃいけない、言えちゃいけない、てのはこじつけ臭いですが。「死ぬ」だとちょっと強すぎるので「眠る」としましょう。で、そう思うのはなんでかというと、私は舞台に立っててよく思うのですが、演技によるイメージの空間は無から作られるのではなく、もともとその空間に眠ってる何かが呼び覚まされていることで発現していると感じるのですよ。人間が無から何か作れるかというのも考えによっては答えが異なりますが、私は作れないという立場です。ミケランジェロだって石に内在する形しか彫れなかったんだし、ミケランジェロに無理なものは人類には無理です。ダヴィンチはちょっと神に近い気がするけど、それでもおちゃめな失敗したりしていたし、彼らは神ではなく少女ですよ。そんでまあ、劇的空間は、役者が作るものではなく、きっかけにすぎず、空間そのものがめざめるものです。だから即興劇などやっていると、あらかじめあるその空間の何が目覚めたがってるのか、わかる瞬間もあるわけです。イベントなど劇場以外の環境でもやっているとそういう違いも感じるし、おそらく風水的な影響も受けるだろうし、あるいは地縛霊なんていたらまたおもしろくなるかもしれない。だからそう、我々は、眠っているものを起こすことしかできない。で、新約聖書の記述なんかは、脚色も多く含まれてると思うけど、死んだものを生き返らせるっていうのはもしかしたらあったのかもしれない。心停止から復活することはあるからね。だからイエスの立ち会ってるときになんかうまくいっちゃって、うーんこりゃマジかもしんないってみんな思ったかもしれない。でも皮膚病が治るのはどうなんだろう。治ったのかもね。そう考えると素敵ですよね。で話を戻すと、我々は眠りをさますことはできるが、起きるものを選ぶ事はできないのですよ。だからもし、自分の周りでは変なものばかり起きているのなら、というか私の周りで変なものが起きることが多いので、それは微妙ですね、きのこの山たけのこの里状態ですよ。まあ、お菓子です。俺が呼び覚ませるのはお菓子なんです。きのこの山は好きだけどね。ふう。せいぜい甘い夢を見させてやるぜ。なんつってね。うわああああああああああああああ!! 叫べば許される! 声が大きければ神は聞く!! 俺はキリスト教じゃないがな。でもまあ、どうなんだろう。気分によっては、お寺や教会にふらっと立ち寄ってお祈りの一つでもするからな。何年か前、鎌倉を友達とふらふらしていて、なんとなく教会に入ったら女性がパイプオルガン弾いていて、それをしばらく聴いたことがあったが、あれはちょっとした癒しだった。この無節操はなんなんだろうね。個人的な予想としては、イデオロギーに執着がなく、興味深ければ右も左もおっけーという世代的なものが影響している気がする。基本が虚無なのよね、だからもう、保証がないのが保証されてる感じです。だからネオ癒しとは何かと聞かれたら、絶句するしかないんですよ。どうしても答えが聞きたいのなら、「ネオ癒しとは、きのこの山である」って言いますよ! しかしそれでいいのか! あなたも俺も!! 最近悩みがあるとしたらそんなところですねー、あと「死んだ子の年を数える」のって、強烈な呪力があるからやめたほうがいいです。私は内田樹と白川静から呪いについて少し学んだのですが、まあ呪いと言うとオカルトの臭いがしますが、人間の持つ技術の中にありますよ、こういうのは。そして「存在の耐えられない軽さ」をみんな読んでくれよ。わりとしつこく言ってるけど。まあ、なんかいいですよ。いろいろと。呪いを解くってこういうことですよ。あなたと永劫回帰したい! 一億年と二千年前にはうーまーれーてーなーい! そして軽やかに流れを切断し動画を貼って今日の日記終わり!



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金城孝祐

Author:金城孝祐
劇団無敵の作・演出家。油絵も描いてる。

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