肉体的な可能性について
体力がついたはいいが、動いた次の日はヘロヘロになってしまうあたりが、年齢を感じさせる気がする。
朗読というと、穏やかでカルチャー臭ただよう優雅な印象だが、我々がやってるのは跳ね回ったり、踊り回ったりというモーションを含むものだ。また、読み終えるのに三十分はかかるテキストもあるので、汗は滝のように流れるのである。
スポーツ選手は一般的には二十代前半に最盛期が訪れ、後半にさしかかると円熟期と言われることが多い。鍛錬を続けるなら身体的な地力は20を超えても伸びていき、やがて経験が強固に補うようになるということだろう。まあスポーツと一口に言っても様々なのだが、どちらかというと速筋の先天的才能への依存度が相対的に低い種目に、よい円熟というか、経験を生かせる選手が多い気がする。
運動量の大きいスポーツは大きく分けて、
1、スプリントや卓球のように才能でだいたい決まってしまう、神の造形物を思わせる「神々の遊び」的なもの
2、士気の影響がより強い「代理戦争」的なもの
3、ボディビルなど「哲学」的なもの
4、武道など、突き詰めると超能力の境地になる「悟り」的なもの
のようになると思う。下にいくほど、年齢がハンデにならない。
パンツレスリングは「動機」という点において非常に哲学的だが、それは登山でジョージ・マロニーが「そこに山があるから」と言ったのと同じで、スポーツは目的を純化していく作用が見受けられる。
合気道、剣道などは高齢の達人が存在しており、彼らによると身体的な筋肉量、体力量は技術に対してウェイトが低いという。
剣道家の中山博道によると
だそうだ。
身体の運用は精神状態と密接にリンクしており、相互がたいへんな影響を及ぼしあってる。シャーマンが踊って神を降ろすのも一種のランナーズハイで、これは多くの人が体験するものではあるが、非常に特殊な精神状態になる。
陸上をやっていた時は数年のトレーニングで強烈なランナーズハイを体験するに至り、その脳に与える影響の大きさを考えると、達人の長年に渡る修行が悟りともいえる感覚をも脳に与え、それが技術にフィードバックされることも十分にありえることだと思う。
合気道の創始者、植芝盛平さんは、銃弾を見てから避けることができたという。
キング・クリムゾンですね。
武道はもともと、こういうスタンド能力開発の技術だったのだが、歴史的ないきさつもあり、最近は戦闘能力ばかりに注目されている。しかしもともとは、上のようなありえない霊的感覚を、身体の運用から引き出すための体系的な方法だった。
身体から出発し、身体へ還っていくこのような技術は、武道以外には寡聞にして知らないが、多くのジャンルにわって、名人には経験によってある程度の霊性を得た人もわりと居たのではないか、と思う。西部のガンマンとか、雀士とかにもいそうだ。
なので、演劇でもそのような霊的所為による表現が、存在しうると思っている。ただ、演劇はわりと集団心理に依存したトランスを持っているので、個体がそれと折り合いを付けるのは難しそうではあるが。
演劇分野でこのような風に技術を捉える人はあまりいないだろうが、私は個人的には、役者の勝村政信さんは、ちょっと普通じゃない魅力を持ってると勝手に思っている。
朗読というと、穏やかでカルチャー臭ただよう優雅な印象だが、我々がやってるのは跳ね回ったり、踊り回ったりというモーションを含むものだ。また、読み終えるのに三十分はかかるテキストもあるので、汗は滝のように流れるのである。
スポーツ選手は一般的には二十代前半に最盛期が訪れ、後半にさしかかると円熟期と言われることが多い。鍛錬を続けるなら身体的な地力は20を超えても伸びていき、やがて経験が強固に補うようになるということだろう。まあスポーツと一口に言っても様々なのだが、どちらかというと速筋の先天的才能への依存度が相対的に低い種目に、よい円熟というか、経験を生かせる選手が多い気がする。
運動量の大きいスポーツは大きく分けて、
1、スプリントや卓球のように才能でだいたい決まってしまう、神の造形物を思わせる「神々の遊び」的なもの
2、士気の影響がより強い「代理戦争」的なもの
3、ボディビルなど「哲学」的なもの
4、武道など、突き詰めると超能力の境地になる「悟り」的なもの
のようになると思う。下にいくほど、年齢がハンデにならない。
パンツレスリングは「動機」という点において非常に哲学的だが、それは登山でジョージ・マロニーが「そこに山があるから」と言ったのと同じで、スポーツは目的を純化していく作用が見受けられる。
合気道、剣道などは高齢の達人が存在しており、彼らによると身体的な筋肉量、体力量は技術に対してウェイトが低いという。
剣道家の中山博道によると
「剣道は正しく修行した者にとっては80歳までは完全に相手と対抗できるものと確信している。故に80歳をもって限界点だとするならば、ほとんど人間の年齢から見て不易であろう。即ち九分九厘、若い者には絶対に破れることはないと断言してもいい。年を取って体にこたえる、若い者に追いついていけないなど、60や70で言うのは竹刀に悟りを得なかった修行者の弁解である」
だそうだ。
身体の運用は精神状態と密接にリンクしており、相互がたいへんな影響を及ぼしあってる。シャーマンが踊って神を降ろすのも一種のランナーズハイで、これは多くの人が体験するものではあるが、非常に特殊な精神状態になる。
陸上をやっていた時は数年のトレーニングで強烈なランナーズハイを体験するに至り、その脳に与える影響の大きさを考えると、達人の長年に渡る修行が悟りともいえる感覚をも脳に与え、それが技術にフィードバックされることも十分にありえることだと思う。
合気道の創始者、植芝盛平さんは、銃弾を見てから避けることができたという。
植芝自信の説明では「敵の銃弾より先に赤い光が飛んでくるので、それを避けると後から銃弾が飛んでくる」のだという。また剣を相手にしたとき、まず白いモノが振り下ろされ、それを避けると必ずそのあとに本物の剣が振り下ろされたという。
ウィキペディアより
キング・クリムゾンですね。
武道はもともと、こういうスタンド能力開発の技術だったのだが、歴史的ないきさつもあり、最近は戦闘能力ばかりに注目されている。しかしもともとは、上のようなありえない霊的感覚を、身体の運用から引き出すための体系的な方法だった。
身体から出発し、身体へ還っていくこのような技術は、武道以外には寡聞にして知らないが、多くのジャンルにわって、名人には経験によってある程度の霊性を得た人もわりと居たのではないか、と思う。西部のガンマンとか、雀士とかにもいそうだ。
なので、演劇でもそのような霊的所為による表現が、存在しうると思っている。ただ、演劇はわりと集団心理に依存したトランスを持っているので、個体がそれと折り合いを付けるのは難しそうではあるが。
演劇分野でこのような風に技術を捉える人はあまりいないだろうが、私は個人的には、役者の勝村政信さんは、ちょっと普通じゃない魅力を持ってると勝手に思っている。
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