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進化する世界

すでに限界と思われていたロックマン初代の最速TASの記録が塗り替えられたらしい。





あと最近のトイレはすごいらしい。



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関西

山形浩生大先輩が(べつに先輩ではないが)「ナニワ金融道は実際にあるような話なのだから気をつけよう」と言うので、読んでる。が、最後のエピソード難しすぎ。切れ者の灰原さんがハメられるような事態やさかい、僕にはわからん。しかし、だからと言うわけではないですが、というかナニワ金融道はあまり関係がないですが、気分は焚き付けられる、そう、気分とは気分によってコントロールされるのですよ。これが私の結論です。だからあらゆる気分は虚しい。私は快適に仕事ができればそれでいいのだ。

じりじり

執筆、じりじり進む。じりじり。
徹夜をしてないので、いつもと比べてペースは遅いが、コンスタントに進む。
現在、クライマックスの前らへんまで進んだ。

こっからこっから。

まるで腐葉土のような

まだやはり調子はすこし上下して、あまり安定しない。今日というかけがえのない日を空費してしまった。
長編を書いている時期というのは、どこか試されている感覚がある。無理矢理例えると、入試に近い。
書いてる時は楽しいのだが、やはり負担になっているのだろう。

憂さ晴らしにウィスキーを飲みに行く。
ラフロイグを初めて飲んだ。正露丸のような香りがする。マスターは「値段も丁度いいし味もいいのでみんなもっと飲めばいいのに」と言ってたが、日本人には難しいんじゃないかな。もともとスピリッツに比較的遠い文化だし。

家に帰ったら、ブラックニッカがまずく感じられた。これでは憂さを晴らす意味がない。

継続しないは力衰えなり

一週間以上粗食生活をしてて、今日は週末だし、ちょっといい物食おう、と思って、七輪で野菜や肉を焼いてるところ。
しかし私は七輪を薫製での応用にしか使わないので、本来の炭火焼はまったく要領をえないという本末転倒ぶりである。火加減が全く分からず、びびりながら加熱してたら全然適温になってくれない。今いっしょうけんめい炭が燃えてくるのを待ってる。
年に2、3回は最低繰り返さないと、こういう手際はどんどん忘れてしまう。得たものは保存したいと思って生きてるが、あれもこれもと言っているうちに手は回らなくなり、復習も、新たな吸収も余裕がなくなる。有限なリソースをどう活用するか。でもそろそろ火が焚けたのでおわり。

調べてみれば

なんだかんだ言いながら脚本は書いている。わりと調子がいい。

お話作りの背景に必要な資料を探すのは面白い。
今回は古代ギリシャが舞台で、しかし話自体は史実には遠いからあまり綿密に調べてはいないが、それでも「ああ、この話書かなかったらこういうこと一生知らなかったろうな」という細かい情報に出会える。
(逆に、中世暗黒時代を場面として使った時は、ネット上にはほとんどまともな史料が存在せず、本当に暗黒であることが分かったりした)


 あと、今日多摩川を自転車で走っていたら、高校生のマラソン集団に遭遇した。人数が非常に多かったので、全校でやってたのだと思う。それをすれ違いながら、先頭から最後尾までの走者を観察してみた。
 トップ集団は一様に高身長、やせ形の締まった体、短い髪、無言、無表情と共通しており、マラソンに最適な要素がきちんと分類された感があった。
 しかし後ろに行くにつれ、体型や雰囲気、姿勢などにばらつきが出ていた。色々なやつがいて、言ってみれば先頭に比べて個性豊かである。マラソンそのものとの向かい合い方も、まじめにやってばててる奴、やる気のない奴、ふざけてる奴などさまざまだった。
 先行と後行で明確に別れたのは平均身長で、それだけが確実に下がっていくのだが、あとは明確に分類されたものは特に見当たらない。そうしてみると、マラソンはそれに適合した要素を揃えた個体は先頭に分布できるが、適合しない群は整理する事ができないと分かる。
 
 こう書くとわりと平凡でおもしろくないが、実際目で見るとかなり興味深かった。遅れてる奴らのほうが人間味があって共感しやすいのだが、マラソンにおける美しさはやはり闘ってる奴にあるのだろうなあ、と思ったりした。

ギリシャ式



ギリシャ、そんなことしてる余裕あるのか。

てんとう虫が産婆

代替療法的に、生活を矯正する。一日三食カロリーと栄養バランスを計算してとり、酒は第三ビールをやめて薄めのハイボールにし、夜12時には寝る。数日これをした結果、かなりリズムがついてきて壮快である。朝は自然に目覚め、おなかが減ってるので自然に朝食をとる。食欲の回復はかなり大きい。また、カロリー計算していたら自然と自炊するようになる。夜も寝つきがよくなり、飲酒量が減った。

禁煙の成功も併せて考えると、以前と比べて非常に健康的な生活になってきているので嬉しい。しかし惜しむらくは、この生活習慣は本公演が近づくと忙しくて崩壊してしまうのね。ちなみに本公演は来年三月になりました。前回から一年以上空いてしまった。

幻想的お別れ

ブログペットが終了するらしい。2004年からのサービスで、老舗と言われていた。
2004年というと、はてなが流行りはじめたくらいの頃で、それ以前のブログはまだニュースを扱う存在だった。
さらにそれ以前は、文章をwebで発信したい人はHTMLで書いていた。

ゼロ年代と一緒くたに言うと、90年代に比べてネットが飛躍的に進歩したイメージがあるが、今振り返ってみると前半はまだアルカイックなところが多分にあったように思える。

ブログの流行とほぼ同時に興り、その爛熟とツィッターの登場によって姿を消すという趨勢を見るに、ブログと運命を共にしてきたブログパーツだったのか、とやや情緒的になってしまう。

うちのネズミのゲルハルト・リヒターとのお別れが近づく中、現実のリヒターもそろそろ死ぬんじゃないかな、とすこし不安になった。

今日の夢

ある中年の男と、野外ステージで楽器のセッションをしている。回りに客はおらず、スタッフと中年男と私だけである。雨が降っていて、塗れるし嫌だな、早く帰りたいなと思っていたが男はノリノリで、エレキギターでリフを弾きながら「早く乗ってこいよ」と誘う。私はしかたなくドラムの前に座ってビートをとり始めるが、ドラムはなぜか中年男の至近距離に設置されていて、男が足を絡めてくる。ハイハットのペダルがすごく踏みづらいし、男は勝手にドラムスティックを奪って、ギターを弾きながら叩き始める。すごく嫌だったので立ち上がって離れたら「どこに行くんだよ」と中年男が嬉しそうに言って追いかけてくる。私はしばらく逃げていたが、そのうちPAっぽいスタッフが「機材が雨に濡れてしまうから、もう撤収します」と言った。助かった、と私は思ったが、中年男はとたんに不機嫌になってわなわなと震え出し、当たり散らしはじめた。
そのあたりから、中年男は高校教師、私は生徒という設定になった。同級生が大勢おり、みな教師の勝手さに不満を抱いていたが、言えずにいた。
そのセッションの授業で考えた事などをまとめるレポートを書かねばならなかったが、それは教師全員に読まれるものらしかった。私はここぞとばかりに、そこに中年男の教師を告発する内容の文を書いた。ステージから校舎への帰り道、その内容が告発文らしいということは教師たちに察知される物となった。正式に教員会議にかかれば中年男は処分されてしまうので、教師たちはもめ事を内輪で処理しようと思っていた。つまり、私に告発を取りやめるよう動いたのである。

私たち生徒は、ビルに囲まれた円形の広場のような場所に整列して座らされていた。そして中年男と、別な教師が皆の前に立った。別な教師が「このたび中年男教師が不手際を起こしたようだが、処分をうけるべきだと思うほど、皆は憎んでいるのか?」と演説した。すると、サクラらしき生徒が立ち上がり「確かに先生には嫌な思いをさせられたりしました。でも、先生なりの思惑があって、教育のためにしたのだと思います!」と言い出す。そういうサクラが何人か続いた後、関係ないはずの学年が違う後輩が一人割り込んできて、「俺、先輩たちがこんな事件起こしたって聞いて、悲しいっす。でも、俺たちほんとはみんな一つのはずです!」と言って、着ていた学ランをばっと脱ぐと、下には彼がデザインしたらしいオリジナル学校Tシャツがあるのだった。そしてビルの二階から後輩たちが何人もわーって出てきて、「先輩おめでとう!」とかいう垂れ幕を下ろしたり、紙吹雪を投げたりしている。それで全体的にすっかり打ち解けた空気になってしまった。この一体感は壊しづらいものに思えたが、私は頑として譲らなかった。私は挙手をし、皆は黙って私を見た。
「確かに先生も人間だ、間違いは犯すし、完璧である事を望むわけにもいかない。後輩たちの気遣いにも感謝したいと言いたいところだ。しかし、あえて言おう! こんなのは茶番だ! 茶番じゃないか!」そして、こう続ける。「中年男は生徒の人間性を故意に無視した教育を私に行った! 私たちは虫じゃない! 同じ人間なのだ! そして二度とこのようなことを起こさないためにも、私は告発を断行する!」
それで、場は完全にしらけてしまった。私は教師陣だけでなく、生徒をも敵に回してしまったようだった。

レポートの課題は、いつのまにか「レポートと、それを表す木版画」という課題になっていた。私は木版にも告発文を彫ったが、まだ気が収まらなくて、この情動を表現する抽象画も別に作ろうと思った。私は美術室で合板を選び、三角刀で彫りはじめた。モチーフは「ホメ春香」だった。
しかし、すでに教師や生徒の嫌がらせは始まっていた。時期はセンター試験の頃だったが、この学校は試験会場に教室を貸していた。それが、突然美術室が使われる事になってしまったのだ。このままでは版画を彫る事はできない、と焦った。

しばし考えて、教室の後ろの方なら、邪魔にならずに作業が出来るのではないか、と思い、後ろのドアから入ってみた。すると、机と椅子が普段とは逆向きに設置されており、すでにセンター試験は始まっていた。前方には学級委員らしき奴がいる。「かかったな! センター試験では後ろ前が逆であることを忘れていたようだな」と勝ち誇ったように言い、カーテンを引っ張り出して私に巻き付ける。「何をするんだ!」と言うと、「お前の服には英語がプリントされている! カンニング防止だ!」と返される。よく見ると私の学ランにはおしゃれな英字が全体的にプリントされていた。私はカーテンを引きちぎると、地面に這いつくばった。逃がさないとばかりに学級委員は覆いかぶさってきた。そのままの状態で、英語の試験が終わるまで耐えた。

休憩時間になり、私はトイレに行った。学校はこぎれいなものだったが、トイレだけはボロく、昔の、壁にする形式だった。隣に老人の教師が立った。少し話したが、中年の教師は職員会議で順当な処分を受けたとのことで、教師たちはもうそのことをあまり気にしてないとのことだった。しかし口ではそう言っていても、敵意は残っていた。私は美術室に帰ろうとした。しかし入り口の扉に「強い先輩に注意」と書いてある。ドアを開けると、学級委員が強い先輩を連れて来ていた。私は対抗するためにサイボーグの友人を呼んだが、サイボーグは全然関係ないセンター試験を受けにきた人と闘いはじめ、しかも負けた。私は版画を彫るのを諦めて再び廊下に出た。

ここから先しばらくの内容は忘れてしまったが、気がつくと、私と一人の仲間は逃亡中で、そのために必要な物を物々交換で手に入れなければならなかった。

私は焼きおにぎりを作ろうと思った。石ころだらけの地面を掘ると、すぐ下の方は地熱で赤くなるほど熱されている。おにぎりを入れ、石をかぶせると、しばらくしたらそれは焼きおにぎりになった。四つの焼きおにぎりができると、近くを通りかかったカニたちに言った。「ここに焼きおにぎりと、砂金がある。これを味噌と交換してほしい。おにぎりと砂金は私たちには必要ないが、きみたちには必要で、味噌はわたしたちに必要なのだ」
カニは「砂金なんていらない」と、そっけなく言った。私たちは落胆した。交渉は失敗かと思われたからだ。しかしカニはこう続けた。「焼きおにぎりで十分だ。すきなだけ味噌をわけてあげよう」

(ここでBGMに『PrincessBride!』が流れ始める)




私たちは歓声を上げて喜んだ。その瞬間からカニは、今出会った仲でなく、昔からの友達になった。「余った金で、お菓子をたっぷり買おうぜ」とカニが言い出し、私のソウルブラザーがやっているお菓子の店に皆で行った。店は大にぎわい、お菓子(サーターアンダギー)を焼いたそばからカニたちが我先にと食べてしまうので、店主(ソウルブラザー)は困りながらもちょっと嬉しそう。「生まれた孫にあげる分がなくなってしまう」と言う。私が「その孫はどこに?」 と聞くと、息子夫婦がつれて、あんたの家に挨拶に行っている、という。おりしも私も子供を持ったばかりだ。私の子とソウルブラザーの孫が初対面していると思うと嬉しくなり、お菓子を一袋買って、緑のリボンを巻き、それを持って家に帰った。
(ここらへんでBGMがサビに)
家に帰ると、ソウルブラザーの息子夫婦と私の妻がおり、そして二人の赤ん坊がいた。新しい命が目の前にあり、輝かしいとすら思えた。私はソウルブラザーの孫にお菓子を持たせた。私とソウルブラザーの絆とも言えるお菓子が、子や孫の世代に託されていくのだった。


そこで「おしまい」と思ったら、目覚めた。
ホメ春香は伏線だったのか。

僥倖

体調を壊滅的なほど損ねていたが、ここ3日くらいでだいぶ回復してきた。

今日は、小学生を対象としたインプロゲームのワークショップに行った。私は小学生ではないので講師としてである。これは学芸大学の木村君という人が主宰している子供向けのワークショップ団体で、その第一回目の活動であった。

場所が公民館の一室で、小さな舞台や、緞帳まで一応ある部屋だった。ウォームアップのゲームが一段落して休憩時間になると、子供たちは舞台や裏を駆け回って遊んだ。そのうち自然に「演劇をやろう」という話をしだした。気のきく子がプロットをメモし、自然に年長の子がディレクターの役割をし、出たがりは役者になり、全体を見れる子が年少の子を『子役』としてキャスティングし、演技だけでは分からない筋書きを説明するためのナレーターにも人が回る。
これらのすべてが、大人の一切の指示なくおこり、たどたどしいながらも10分ほどの演劇が上演された。(保護者さまがたが客席にいた)
私は舞台上の隅の死角で緞帳を操ってたが、そこで演劇が行われていることに感動していた。

ワークショップで生徒が勝手気ままに動く事は、本来はワークショップの崩壊を意味する。しかし今回はインプロのワークショップであり、子供たちのやった暴走と、その先の秩序はまさしくインプロゲームの根本理念だった。
彼らはその場で「芝居をやろう」と思い、全員が合意し、それぞれがディレクターやナレーターや役者を「演じた」。
究極の「即興劇」である。彼らはリアルを劇的空間にしてしまった。


お母さんたちには「あんなにはしゃいでる所は初めて見た」などと言っていただけて、大変評判はよかった。中学年の女の子は、友達と遊ぶ時も家の中で過ごし、マニキュアを塗ってみたりとか、そういう大人しい感じらしい。だから今回、はしゃぎまわって(しかも普段遊んでない子たちと)いる姿は新鮮だったそうな。

小学生には毎回教わるところが多い。あと、この話は養老孟司先生の愚痴にからめることができるが、また改めて書く事にする。

神田に出没するらしい

CET10 セントラルイースト東京というイベントに出ることになった。
http://www.centraleasttokyo.com/10/

デザインやアートのイベントなのだが、後輩の内茸君が縁あって参加し、パフォーマンス企画をやるというので、ポエムを読みに出張る次第でありんす。
企画「ラウンジの屋上」のサイト http://gekimusa.web.fc2.com/lounge/

道路を挟んで並立する二つのビルの屋上の片一方が客席、片一方が舞台という、あまり見ない形の場になってる。
11月5~7日、東神田ビル屋上。私が出るのは五日と七日の午後一時から。
最寄り駅は馬喰町。

具体的に何をやるかは未定。まあ、ラウンジの屋上以外にもイベント参加作品はたくさんあるようだから、ぶらりと回ってみるのも楽しいのではないのでしょうか。

尖閣ビデオ流出から始めて、平和憲法を考える

このエントリは、前半はわるふざけだけど、後半はわりとまじめに言っている。

まず尖閣の漁船衝突の映像流出について。空想の域を出ないけど、私にはこれはどうも当局が意図的に流出させたとしか思えない。個人が勝手に行ったという説では、義憤や愉快犯的な動機だと言われているが、それにしては外交的にあまりに出来過ぎている。

まずタイミング。映像の内容自体はそれほどショッキングではなく、衝突の事実があったかどうか程度のものでしかない。
船長逮捕から解放まで、ビデオの内容は機密とされていた。これは検察の証拠であるとしてのことだ。解放以降は、その理由を説明しきれない日本側にとって不利な内容なのだと思われていた。(つまり、明らかに有罪なのに圧力に負けたと思われた)

なぜ、逮捕当時などのもっと早い時期に公開しなかったかというと、このビデオは中国のメンツをそこねるものだからだ。
中国はメンツを大変重んじる文化であり、外交はそういう異文化の要素込みで行わなければならない。逆鱗にふれて態度を硬化されるよりは、「船長逮捕はちょっとした牽制」という風にして、この場を抑えたかったのが、解放時の日本政府の思惑だったのだろう。

基本的に領土問題は、戦争を避けたい場合であっても、絶対に譲ってはいけない政治問題である。なぜかというと、それはヒトラーという前例があるから。
(英仏の首脳は、『戦争に発展するくらいなら、一歩譲って収めようじゃないか』とズデーテンラントの割譲などを認めたが、その後ドイツに一気に力をつられてしまい、二次大戦で瞬殺された。以降、相手が強硬な姿勢を示しても屈してはいけないというのは定石的な対応となっている。らしい)

日本にとって尖閣諸島は、どちらの領土か白黒つけないまま、うやむやに事を運び続けられるのが理想である。喧嘩はしない方がお互いに得であるのは自明だから。しかし、船長開放後の中国の姿勢が意外だった。
日本には、経済的・政治的に安定する手よりも有用なものがあるとする政治・外交を想像できなかった。

この時点で衝突の映像は、強硬に出た中国に対する反撃になりえたが、それも控えられた。
動きを読む時期があったのかどうか、わからないが、映像をいかに公開するかが練られたように思う。

そしてこの数日、証拠映像がいかに決定的かということがマスコミで騒がれ、首相や議員などに限定的に、ひどくもったいぶって公開されていった。
その映像への感心が高まったのを見計らったかのように、流出される。

流出について「よりによってこんな時期に」とコメントする人もいるが、むしろ、最も騒がれる時期と見れば最適であろう。


また、もう一つの要素は、流出に至る形である。
誰だか特定できてない人間が、ネットを使って一気に広めてしまった。
現代でこそ起こりうる、予想できなかった「事故」である。
しかしここで重要なのは、国交の主体である日本政府は「何もしてない」という事だ。

日本政府がこの映像を公表したという形をとったら、中国政府は反撃することができる。それこそ「捏造」「事実の湾曲」など、何を言っても構わない。そういういちゃもんは、政治的な手法として「あり」だ。

しかし、日本政府が意図しない形で、漏れてしまった。
どう考えても日本に有利な証拠が、誰かに暴かれたという形になる。
この件に日本政府は、中国へ「いや、色々事情もあるものですので、おもんぱからっていたのですが……」と、言う事が出来る。
しかし中国は、反論を誰にすればいいのだろう。
こうして、「神様は見てた」攻撃がなされたのだった。

つまりこの映像は、日本政府にとって最高の、また中国政府にとって最悪の形で公開されたのである。
この顛末にいたる過程はすべて偶然だろうか。

そもそもこのスキャンダル、日本にとってマイナスなこと何もないだろう。

管さんや検察にとっては情報管理能力を問われることになったけど、尖閣問題を「痛み分け」で落とすための、肉を切らせて骨を断つ戦法だったのではないかな。恐らく外務省の官僚あたりが思いついて、色々な人を説得したのだろうか。

たとえこの先犯人が見つかっても、ケネディを狙撃したオズワルドみたいなものだと思う。


と、ここまで空想なのだが。
今回の問題のキモは「日本は戦争ができない」という事にあると思う。

領土問題というのは、それを主張する両国のどちらかが完全に正しいというのはありえない。そもそも領土は流動的だからだ。だから問題となる領土は、どちらかの物になるとしたら、それは口で勝ったか、殴り合いで勝ったかした国の方のだ。

ところで日本には、戦争を禁じる憲法が存在している。

船長逮捕で日中の緊張が一気に高まったとき、「あわや戦争か」と思った日本人はほとんどいなかったと思うけど、日本が「公式な軍」を持っていたら、その可能性を考えさせられただろうとも思う。
どちらかが望めば、いいがかりをつけて開戦できる。

しかし日本は公式の軍隊を持たず、自衛以外の交戦を禁じているので、日本への攻撃は国際的な意見が同意しないという防御がある。
もう一つは、アメリカの後ろ盾。
この二つが、日本を戦争の危機から遠ざけている。

日本は自衛隊という、ないはずの軍隊を持っているし、ありえないはずの「軍事同盟」をアメリカと結んでいる。
そしてこれは、非常に奇妙な立場を作らせている。

侵攻が不可能で、常にアメリカの顔色をうかがわなくてはならない日本には、「自分で決められる事があまりない」のである。というか、そういうふうに見える。
殴ってやりたくても、勝手に戦争を始めたり、受けたりしてはいけない。
つまりアメリカの軍事力さえ前提にすれば、憲法は現状に矛盾しながらも効力を発揮しており、また矛盾があるからこそ強く意識される。
(あなたは憲法の9条以外に何が記されているか憶えているだろうか?)

日本の軍事ポジションは、よく分からない。
憲法やアメリカが封じ込めているが、なまじあいまいな部分がある分(しかも最近は右傾化しているという)、極端に刺激するのもためらわれる。
(そもそも自衛隊は、米軍と組んでの『侵攻作戦』訓練もしてはいる)
日本が「アメリカの飼い犬」であることは、日米、ならびにアジア諸国の関係を安定づけている。だから、どの国にとっても、日本の軍事的自立というのは危機であるわけだ。
しかしそれは、日本にとっても決して好ましい状況ではないだろう。

だから、これらの国は、奇妙な共犯関係のなかで、このあやうい均衡をとっている。
これのどこが崩れても、時が動く。
その中で、日本の軍の「よくわからなさ」は、自衛牽制として有効に機能しているのである。

つまり私は、憲法九条や自衛隊の問題については、矛盾があってもべつにいいと思っている。
むしろその矛盾が、均衡を担保するのではないか。
だから九条は、なんだかんだ言って変えなくていいし、防衛庁が防衛省になってもかまわない。そのどちらとも、日本が戦争に向かわない動きとなっている。

「よろしい、ならば戦争だ」と、自分も相手も言えない外交というのは、人類史上希有な物であろう。だからこそ、政治家はせめて口がうまくあってほしいと思うものだが。


うぬぬ

尖閣の映像が流出されたという。タイミング的に、人権擁護法成立をかすめるためのリークだという説もある。でもそれにしてはカードがでかすぎるよね。

恐らく、領土問題で世論を煽って、敏感な状態を作りたいのだと思う。ロシアも中国も経済が冷え込むほどの関係悪化は望んでないので、こちらが今非常に神経質になっていることのアピールはしておきたいのだろうか。

しかし、これがもし意図せぬ流出だったとしたら、あまりにお粗末すぎる。

日々の雑感

最近読んだ本


なぜ若者は保守化するのか-反転する現実と願望なぜ若者は保守化するのか-反転する現実と願望
(2009/11/20)
山田 昌弘

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「なにが若者をこんな風にしてしまったの」という論調なので、私としては胸がすく気分で読めたのですが、しかし、鬱屈とした気分は募るばかり。
現在社会人が希求する終身雇用や年功序列が、かつて批判されていた記憶は私にもある。ほんの十数年前まではそうだったのである。世情が変ると身を翻し、それを唱えていた人たちがどこへ行ったのかもわからない言論は、その時々に興り、また消えていく。みな昔のことは忘れっぽいし、未来のことを想像できない。
さも顕在したように言われる終身雇用も、本当に頭から尻まで終身雇用されたのは十年分程度しかなかったのである。


そこまで言うか!そこまで言うか!
(2010/09/02)
勝間 和代堀江 貴文

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ひろゆき、ホリエモン、勝間和代の鼎談。全体的には興味深いんだけど、実学志向の人たちとの認識の差というのが気になったりした。私は内田樹の影響を受けており、彼は今やすっかり売れっ子だが、昔から知識や技術についての学びに関しては「それがどのように役に立つのかは明示されてはいけない」という反実学の立場を取っている。実学志向と教養主義、どちらにも理はあることはお互いに分かるかもしれないが、真に相互が理解しあい尊重できるようになれるかは怪しいかもしれないと思ったりもする。
たとえばこの鼎談中、漢字の書き順に言及される場面があった。基礎教育がコンピューターでできる時代だから、漢字なんて書けなくていい。よって書き順も間違っていても書ければ支障はない。そのことに三者が同意している。
しかし漢字の書き順が間違っていてもいいというのは、間違った考え方か、もう少し歩み寄った言い方をすれば、それが間違いである世界を無視した考え方である。しかしまさしく実学においては、書き順に価値がある世界は無価値といってよく、無視しうる。

だがそもそも漢字というのは単なる情報保存ツールではなく、世界を開く方法でもある。書き順はそこに関わる要素でもあるので、書く以上は間違ってはならない。人間なので間違いはあるだろうけど、最初から間違っても何の問題もないというのは、漢字のそういう一側面をまるで理解してないと言明するのに等しい。

それを理解できればどうなるのか、ということを、教養そのものは説明できないので、喧嘩になる。

イデオロギーの右と左が相容れないのに似ているのかもしれない。




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(1995/04)
宮本 常一山本 周五郎

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歴史資料から掘り起こした、日本史のダークサイド。これはお薦め。読んでみるといい。



あと時事ネタで気になったのは、中国側からの蔑称「日本鬼子」を萌えキャラにするというあれですね。相手の攻撃を萌えに変換して敵勢力の腰の骨を砕くという戦法を、VIPPERはおそらく801板との戦争で学べたのだと思う。先のチリ募金の時も思ったが、VIPPERはネット上での仮想的な戦闘における戦術で、成熟を見せてきている。闘わないで勝つのは孫子の時代からよしとされている。
リアル外交では、中国の対応は日本の外交官の読みを逸し、何を考えているのか分からない不気味さがある。不気味である事は、外交上の主導権になりうるのである。「日本鬼子」の件においては、逆に日本のオタクの不気味さが強く作用していると言える。

このことは、国民国家という幻想に対して、加担しつつも皮肉を表せるという新しい姿勢すら見いだせる気が、個人的にはしたりするんです。




プロフィール

金城孝祐

Author:金城孝祐
劇団無敵の作・演出家。油絵も描いてる。

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