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H/A/G

昨日。
冷蔵庫の中が寂しい。まるで僕の心のようだ!
辛うじて残った野菜や冷凍室の豚肉でポトフでも仕込もうかと予定したが、昼寝してしまった。なし崩し的に崩壊するルール。崩壊する精神。崩壊する世界。カスティーリャ!!

午後、ポンギロに行く。
国立新美術館で五美大展があるので見に行ったのだった。昔から知り合いの美大生は今年全員卒業となる。
大学別に見比べてみると、多摩美はやはり、インスタレーションなどを含めた表現の幅、構成、手段などに広さを感じた。ムジュビシノッサ大学は並ぶとどうしてもくすんで見える。よく言えばトーンを追いかけているのだが、悪く言うと圧が足りない。絵は展示の空間に合うからまあいいんだけど。
しかし、もし去年のこの時期公演がなかったら、私はここで「からだのふしぎ」を演らなければならなかったのだなと思うと、こわいものを感じる。
他の大学では、女子美におもしろいものが数点あった。造形大もまずまず。
旧知の人と遭遇し、作品を見て論じたりする。彼女はテンペラを使っていた。支持体はキャンバスに白亜だという(これはうちの大学では推奨されていないものだった。よく話を聞くと、やはり大学ごとに手段のこだわりの違いというのはあるようだ)。
膠で目止めして刷毛で塗布しているようだが、どうしてもピンホールができると言って困っていた。これは塗った後で細かい穴がぶつぶつ空いてしまうものだ。白亜ちゃんは気難しい子なので、機嫌が悪いとぶつぶつ言ってばかりなのだ。これはプラスチックか金属のへらを使って、一層目を布の編み目に押し込むように塗ると消失する。
地塗りは現代では軽視されている技術だが、絵画材料の本質的な理解と駆使のためにぜひ習得したいものだ。今後もがんばってほしい。

しかし、長い時間が流れたものだ。
寿命もきっとあっという間に来るな。

今日。
仙台よりphysきたる。一年ぶりの再会だったがスカイプでたまに話していたので実感なし。
そしてさきほど、彼との会話の中で、ありえない出来事が起こったのだった。

ベーコンを薫製したので、夜はカルボナーラになる予定。昨日今日のさまざまな出来事が私に感傷をもたらす中、薫製だけはもう何の新しさもなく、単にスーパーでバラ肉塊が安かったから買っただけで、何の日でもないのに自家製薫製を食べることにも感慨はなかったのだった。

紙のように生きていく。


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アニヴァー猿・グランデ廻転・ラットのしっぽ・そして一杯のエビアン

朝食を作ることから一日は始まった。正確にはそれ以前に呼吸したりまばたきしたり心拍したり神の存在証明を改めて行い確信を深めたり俺の存在証明を改めて行い、なかったことにしたり、あったことにしたりしたが、にしてもそれらは書くほどの事ではないし、かりに書いたとしてもそれで24時間が終わってしまう。つまりこれらのことは、私の今日の24時間を記述し切っていると言える。朝食は目玉焼きに納豆だった。みそ汁があればいいと思ったが割愛してしまった。もし十分に割愛するとすれば、私の24時間のことはすべて割愛できる。昼はカレー、夜はデニーズであった。やや内臓にやさしくない日といえる。ちなみに花粉は私にも届いたようだ。鼻炎アレルギー用の薬を飲む。心の花粉症。心のカレー。心のデニーズ。カレーの花粉症。デニーズのカレー。納豆の目玉焼き。夜のみそ汁。24時間飲。内臓の心。内臓のカレー症。目玉焼きの呼吸がアレルギー記述し切って豆の存在証明を心して汁。うるるるるるる。

横山操

古本屋で、旧い美術展のカタログを買ったりする。

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「ウォール街」


油絵からはじめ、かなり早い時期に日本画へ転向している。
この人は25歳のとき中国戦線で終戦を迎え、シベリアに5年間抑留された。
また晩年は脳卒中で右半身不随となり、最期の1年半ほどは左手で制作した。


加山又造とライバル同士だったらしい。


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嵐山のアレ。

当時が実際どうであったかは不勉強で知らないけど、現在はやや加山のほうが評価され記憶に留められている印象を受ける。こう言うとちょっと身もふたもないが、グーグルでの横山のヒット数は31800件、加山は144000件である。これは加山の画風の方がキャッチーで華やかだったこともあるかもしれないが、死ぬタイミングも関わっている気がする。

絵描きの歴史的な評価はわりといいかげんなところもあって、作品そのものだけでなく巡り合わせとタイミングで知名度はかなり変化する。(たとえば黒田清輝は日本美術史にあって重要な人だが、現代の人間が作品に参照するべきことはあまりない)
もし横山があと20年生きていたらさらによい絵を描いていただろうし、出世もしていただろう。
だから文化勲章がもらえるまで粘った加山は、後世に貢献できるポジションを取れたというところが偉いと言える。あるいは青木繁のように、20代にして枯れ果てて死ぬくらいすれば「夭折の天才」と呼ばれることもあろう。
享年53歳というのは、早すぎると言うには若干生きすぎだが、一方でもっと生きていてもよかったという気にもなり、どうにも捉え難い。50前後の死は信長を思い出すばかりだったりもする。

愛のかたちに飛び膝蹴りは無いのか! では俺に死ねと? NO WIFE NO LIFE!!!

平穏な日。平穏な人生。平穏な話し合い。春野菜が食べられるのを待っている。しかし私は納豆を買う。裏切り。黙殺。黙殺ダンス。黙殺ワルツ。黙殺キッス。黙殺フォックストロット。黙殺ストロベリーフラペチーノ。黙殺裏切りの納豆フラペチーノ。スタバから怒号が聞こえる。キレる客。泣くバイト。叫ぶ店長。失禁を必死に隠すためエスプレッソマシーンの中に逃げ込もうとするバリスタ。そして納豆たちはダンスを始める。我々のことなどまるで知らないとでもいうように。バリスタは小さなカップに収まり、店長は涙の跡をなめて、バイトは黙り込み、いつしか客は消え去っていた。だからバリスタは今日も人知れず客を待っている。カップの中で。黙殺された運命の中で。しかしもはや納豆のダンスだけが彼を取り巻いており、彼が納豆エスプレッソに変わり果てるのにもう長い時間は必要ではあるまい。そのとき、私は彼を買ってやろうと思う。

物質


画材の博物誌画材の博物誌
(1994/05)
森田 恒之

商品詳細を見る





芸術論争と関係なく、絵具とその使い方には確実に発達がある。それは絵具が物質だからである。色をつける材料として最適な顔料と展色剤の組み合わせが数多くの思考の末に発見され、さらにその絵具のさまざまな使い方を試みる中で、特色をよく生かした使い方の技術、絵画記法が確立してくる。新しい材料が発明され、新しい組み合わせが一つ生まれれば、新しい技術が発達する可能性ができる。要は画家がそれを採用するか否かだ。しかし、何かの折りに大変便利な絵具の製法や技術が考案されると、それまで延々と失敗を重ねてやっと作り上げた知識の集積であっても一つの便利さにひかれて、その他の多数の事を忘れてしまう事がある。何も絵具に限ったことではないのだが発達と退化は同時進行するものらしい。今日、我々の知っている絵具の知識の中にも、かつては常識だったものを忘れてしまって、再び無益な失敗と試みをやり直していることもけっこうあるようだ。




画材の文脈において、考案された「大変便利な絵具の製法や技術」はアクリル(アルキドもこれに準ずると言える)を指し、そのせいで「やっと作り上げた知識の集積」を「忘れてしまう」というのは油絵具のことだ。これは事実であり、たとえば佐藤一郎さんの話によると、野見山暁治にスタンド油を薦めたところ、使い方がまったく分かってなかったという。つまり溶剤で割らずに「こんな油使いにくいよ」と言ったのである。

もっとも油絵具の技術・技法の断絶というのは過去に数度起こっており、そのたびに失われた伝統も多いという。最も致命的なものは新古典からロマン派、印象派に至る過程で、新古典派が苦労して復活させた英知を印象派がおじゃんにしたという側面はあった。印象派は既成の油彩技法を必ずしも必要とせず、またそこから出発した近代絵画は、古典技法と表現は結びついていなかった。
 また顔料などの技術も、ギルドのシステムが崩れたせいで断絶し、品質が落ちたという。初期ルネサンスまではウルトラマリンは非常に鮮やかであったが、フェルメールの頃(たとえば真珠の耳飾りの少女のかぶりものとか)には彩度がかなり低くなっていた。

(しかし、油絵の技術も題材も広がりをもったこの時代には、ウルトラマリンはかつてほど特別な存在ではなくなった。金箔と朱を用いる宗教画では、これらの補色としてもウルトラマリンが重宝された。顔料そのものの希少性だけでなく、色彩として構図に大きな影響を与えていたのである。だから、マリア様がかならずウルトラマリンの衣をまとっているのは非常に合理的なことだ)


 油絵具の完成者はファン・アイクであり、これはテンペラでは不可能なグラデーション、透層、ぼかしの画法の実現のために要請されたものである。
 しかしそのはるか以前から乾性油と絵画の関わりについては史料に残っており、最古のものは五世紀から六世紀に生きたアエティウスという医者の書いたもので、くるみ油がロウ画などの完成ニスとして使用できると述べている。その後、八世紀の「ルッカ手稿本」ではリンシード油と軟質樹脂の混合物について書かれており、乾燥促進についての記述となっている。一二世紀には単に混合するだけでなく、ランニング処理(硬質樹脂と乾性油の化合)によるハーレムシッカチフの製法が記されるようになる。

 実際の油彩技法としての使用は、十四世紀前半あたりにに見られるようになる。たとえばジョットが「ときどき油を用いて描いていた」という証言があるようだ。また同時代人にもそのような記録が見られる。ファン・アイクに五十年以上先立つことになる。


 もっとも、このような黎明期のいきさつや失われる知識というのは、市井のひとびとにとってあまり意味はない。美術を学ぶのにチェンニーノ・チェンニー二から始める奴などいないし、忘れられる知識の中には、打ち捨ててしまったほうがかえって整理がつくような代物の方が圧倒的に多いだろう。逆に言うと、油を忘れ去らせるほどに合成樹脂は優れているのである。
 だから相対的に、油彩技法について自然に学べる機会は減っているということなのだろう。特別に興味があってその技法を選ぶなら、きちんと勉強しなければならないという、あたりまえの話に落ちるという。

 そんな油絵具がいま(今後も)アクリルに対抗できる強みというのは、メディウムが自然物であるというところだ。自然に得られるものは合成物に比べて、暖かみというか、「揺れ」というか、表現し難いが、我流で解釈すると「感情移入の余地が大きい」のである。使い比べると、アクリルの描き応えや画肌は、いってみればサイボーグのような触感がある。

 しかしそれは「人工だから」というより、「自然にあまりないものだから」という気がする。
 というのも、コーパルとか漆とか、天然物のくせにきわめてドライで強烈な印象を与えるものも存在するから。コーパルは半化石で「普通溶けない」し、漆は塗料として成立させる条件が厳しすぎる上に性質としてもありえないもので、ワニスになってる状態はかなり奇妙だ。やっぱり人間は見慣れないものは恐いんだな。(うるしは日本では見慣れるけどね)





浮き沈み

曇りの日が多くなった印象。風も強くなる。湿度高まり、春の予感。

宅建の勉強を二日ほどさぼってしまった。習慣を切らすのがなにより駄目なので、坦々とこなしていきたい。

バッハのオルガン曲を生で聴きたい、ピカソの画集を買いたい、と、漠然と思う。

どうも、紙のゴミが溜まる。他のゴミは出せているのに、紙の日に限って何週間もすっぽかしてしまう。神よ。

最近オーディオインターフェイスが出力にも貢献するようになり、ちょっといい感じに。録音のたびに配線をいじらなくてもよくなった。これは小さな前進。

そして煙草はやめられていない。本数は減らしたが、無理にやめると致命的リスクが生じることが分かってきたので、幸せに生きられる程度に節制していこうと思う。仏教もアリストテレスもほどほどがいいよって言っているし。

ボウシット!

フランクファートが「一番大切なのは愛です」と言っている。
以下、山形先生の解説。



何かを大切だと思うのは、必ずしも理由があるわけではない(あってもかまわないが)。そしてそれ自体はコントロールできない。何かを大切に思うなら、それを保存繁栄させるためには自分がどういう欲望を抱かなくてはならないかは自然に決まってきてしまう。つまり愛にこそ、実用的な規範性の源泉があるのだ、とフランクファートは論じている。まちがったものを愛してしまうことはある(たとえば放火大好きとか幼女性愛大好きとか)。その場合、そうした愛と他の愛(たとえば社会的な受容への愛)とが争うことになるが、それもまた内発的な理由同士でどう白黒つけるかという話になるのであり、外部の規範があるからそういう欲望はまちがっている、ということにはならない。
 そしてそれを認めたとき、人はもう、なぜ自分はこうすべきなのかとか、ああすることは正しいのか、といったことを考える必要がなくなる。別に外部に何か規範や原則があるから何かをすべきなのではない。好きになったらしょうがないではないか。何かが大切だと思うのは止められないではないか。それを外部の理由づけであれこれ左右しようとするから哲学は迷い、不毛に陥ってしまうのではないか。全ては自分の中から発するのだ、ということを認めようではないか! たとえば放火魔に対し、放火はXX原理から演繹してよろしくないことになるのだ、と説いても仕方ない。XX原理なんざ知らねえよと言われればそれっきりだ。でも、放火魔にも、社会的に受容されたいという願いがある。放火魔のやるべきことは、放火への愛と、それとはたぶん相容れない社会受容への愛とを比べて、どっちが自分にとって重要なのか、自分はどっちをとるのか、と考えることなのである!
 もちろん……これの有効性は疑問である。その放火魔がそうした考察のあげくに、おれは放火のほうが好きだぁと決めてしまったら? 哲学的にはそれで結構なのかもしれないが、社会的にはいい迷惑である。またこの議論自体について、それがどうした、という疑問は当然抱かれるべきであろう。フランクファートのような考え方はあるだろうし、それはそれで結構。でも一方で、それはフランクファートがそう思っているだけであって、別に証明も何もしようがない。さらに、それが仮に証明されたとしても、それになんの意味があるのか? そんなことは哲学者があれこれ言うまでもなくみんな自然にやっていることではないのか。それもまさにその通り。だが一部の人はこうした発想に救いを見いだすかもしれない。自分の行動の根拠を外部の何か基準に求めようとし、整合を取ろうとする無駄な努力から解放され、迷いを抜け出して真に意味のある内省に向かえることになるかもしれない。この評価については、読者諸賢それぞれの手にゆだねるしかあるまい。



やはり愛には暴力的な効用を感じますねえ。私の最も好きな言葉は「愛」だけど、それは「我にぶん殴る用意あり」と言ってるようなものじゃないかと悩んだりするとしごろの少女。


明日食うステーキの当てもない

すこし広げてみたら壊れた。

第六回MMD杯が始まっていた。今のところBBエボリューションのやつとルービックキューブのやつ、そして松岡修造のが面白かったな。

それにしても雪がよく降るな。

ヴァレンシュタインデー(爆煉腫退淫泥)

今の子は三十年戦争なんて知らないと思うけど、今日はヴァレンシュタインが暗殺された日です。彼は200kgのチョコによって糖殺されたので、2月14日は彼を偲んで殺意のチョコを贈る日とされました。ちなみにホワイトデーはグスタフ・アドルフを偲ぶ日です。また、ネオ癒し派はこれらは祭日としていない。慈悲と友愛にしか興味がない神聖ネオ癒し敬虔派は血(ョコ)塗られた過去を振り返らず前向きに生きている。しかし神聖ネオ敬虔派というのは私の回りにはまだ存在せず、したがってまだ歴史上登場していない。まだ救世主は登場していない! ネオ(アンダーソン君)の到来はまだなんです! だからそう、ネオ癒し派というのは歴史的にはまだ、アブラハムの宗教でいえば旧約の段階で、私は言ってみればエリヤあたりの立ち位置なのだな。でもニセ預言者だな。現実に照らし合わせれば。誰か俺を処刑してはくれないか! できることならそう、チョコで! すると闇の中からデーモンの化身、殺意と嗜虐にしか興味がない悪魔崇拝ネオ癒し派(最も一般的な信仰形態)が現れ、「この石ころをパンに変えてみせろ」と言うから僕はこまった顔で恥ずかしそうに笑う。一方その頃僕の実家があるフィレンツェでは盆と正月にしか興味がないネオ・巨大メカ癒し派が発明され、ローマの街を踏みつぶしながら光線を吐く。操縦してるサヴォナローラも大はしゃぎ。正義のヒーローアンパンマンが立ち向かうが、弱点の胴体を光線で焼かれて死亡。「アンパンマン!」カバや兎がアンパンマンの顔を抱いて泣く。でもそれは本質じゃないんだよ。アンパンマンはアンパンがなくても生きていけるけど、胴体がないと死ぬんだよ。魂は胴体にあるんだよ。本質は胴体にあるんだよ。お前ら夢見てるんだよ。と、セックスとエッチにしか興味がないネオ・俺はお前を癒さない派が吐き捨てる。そんな夕刻にふさわしい冷たい雨が降り、カバと兎は空を仰いで涙を隠す。それはあるいはソドムを焼いた火の雨のように痛烈で、ヴァレンシュタインを死に追いやったチョコレートのように哀切であったのかもしれない。僕は決してパンにはなれなかった石ころを抱いてチョコの涙を流した。悪魔崇拝主義者と一緒に。神はどこにいるんだろう、とか話しながら。

雪とワイン

渋谷でモネを見てきた。
心が揺れる。

やるべきことに順位をつける。
宅建の勉強は楽しいが、調子に乗っていると現実から逃げるようにのめり込んでいく気がするので、コンスタントに冷静にこなしていこう。

眠る者は保護されないと民法は言っている。覚醒あるのみ。

ジャクリーの乱れブリテン音頭

こんな私にもまだ恥ずかしいという感情は残っていて、そういう気持ちに気づくとき、私は、すこし嬉しくなったりするのだよ。なぜそんな事を考えたかというと、味の素スタジアムというネーミングや、アミノバイタルコートというネーミングを見て、ではポカリスエットはどう対抗するんだろうと考えて、ポカリスエット畑というのはどうだろう、と考えて、それはいったいどういうことなの、と考えて、ポカリで育てたポカリスエット、でもこれでは駄目だ、生産している気があまりしない、ではスエットつながりで「男の汗で育てたポカリスエット」というのはどうだろう、と考えて、労働の臭いやマッチョな感じや薔薇のフレーバーやらでいいんでないの、と考えたが、むしろポカリの恩恵を感じさせるように「ポカリスエットで育てる男(汗)」としようか。(汗)というのは(笑)と同じで、ちょっとあせってる。なぜあせっているのか。恥ずかしいんだよ。ポカリスエットに依存している事が。だからまず感情を明確にするために「ポカリスエットで育てる男『恥ずかしいよ!(汗)』」にし、より視覚伝達性を高めるために絵文字を使い「恥ずかしいよ!」にする。こうすることで、発展の余地は飛躍的に広がる。「男」のイメージとのギャップを生みたいのなら「恥ずかしいよ!」などというかわいいものもよいし、「恥ずかしいよ!」と、ちょっと主張し過ぎて「男の汗」という原点に立ち帰らせようとするものもできる。
以上のことから、さらに「育てる」の要素を追究する。これは西松屋の看板であるが、「育て」られる者は、その性質からして、発育の余地がなければならない。よってここでの「男」は、「男の子」であることが導かれる。まずはここまでを整理してみる。
男の子「恥ずかしいよ!
これを「男の子第一定理」と名付ける。(明らかに証明されている)
さて、この男の子はポカリスエットに依存していることを恥としていることは前述の通りであるが、ポカリスエットに依存しているというのは、具体的にどういった状態なのか。
絵文字はこう言っている。このとおり、小さくてよく見えないが、ペットボトル入りのポカリが検索によりヒットした。さて、ここでのポカリはペットボトルの外見であるが、ペットボトルはポカリスエットにとって本質ではない。そのフォルムやデザインはすべて外的なものであり、ポカリスエットという液体を内容してはじめて意味される。つまりペットボトルは液体としてのポカリスエットに依存した存在なのである。このことからペットボトル≒男の子である。
ここで導かれる概念は次のものである。「ペットボトル系男子」。
ペットボトル系となるための条件はさほど厳しくない。自身がペットボトル系であるためには、ポカリスエット系他者を希求し、受け入れ、内部を満たされ、それにより意味付けが完成されながら、その事自体がとっても恥ずかしいと感じればいいだけのことである。私はまだ男の子だからよく分からないけれど、結局のところ、内容を伴わない「ペットボトル系」やら、名だけで概念に内容がない「ポカリスエット畑」などというのは、やはりもともとナンセンスだったということであろう。そして私はお鷹の道真姿の池を見ながら一首詠んだ。

なんかもう どうでもいいよ そんなこと
どうでもいい どうでもいい

撲滅世界体験

歯医者に行き、詰め物を一度取り、消毒し、再び詰め物をし、その日のうちに詰め物が欠損し今に至る。今日練習でダブルアクセル転倒をした衝撃で吹き飛んでしまったのだった。るるるるーる。電話をしようと思ったが水曜日は午前で終わっている。明日は定休日。終わっている。終わっていた。最初から終わっていた。歯が。終わ歯。いいの知っていたの。俺のTシャツの下から大暴れするエイリアンがホームランボールを欲していることくらい。そしてベーブルースの投げつけたボールが僕の胸に刺さる。「これがほしかったんでしょ! くれてやるわよ!」ベーブルースはそう言って、夜の町に消えていった。次に再会したのは野球場だった。「なぜあなたが……」ベーブルースはバッターボックスの上でみるみる箱になる。「お前に子供は救わせない。決して!!」僕は胸筋に気合いを入れ、あの日からずっと刺さっていたボールを発射した。箱となったベーブルースがくしゃってなるのがスローモーションで見えた。でも僕は、胸に空いた穴に冷たい風が通って、さびしくなってしまってた。よかったのかこれで。ほんとに。そう悩む俺の前に球マニアが現れる。「あのボールを売ってほしい……」マニアは右目が目玉なので、左目にはぜひホームランボールを入れたいらしかった。僕は目を伏せて、彼の差し出した契約書をろくに読まないままおざなりにサインした。ホームランボールを持ってマニアが帰った後、僕は胸に空いた穴を何かで埋めたくなった。夜の町を歩くと、めざとい商売人どもが声をかけてくる。左官屋は言う。「セメントが一番安心ですよ!」そして僕の穴の半分はセメントで埋まった。八百屋は言う。「そこに畑を作ろう」そしてもう半分に土が盛られ、種が植えられた。さらにマッドサイエンティストがエイリアンの胚を埋め込んだ。終わっている。見るからに終わっている。こんなことなら部屋でじっとしていればよかった。エイリアンはすくすくと成長し、せっかく育った野菜の芽をぜんぶ食べてしまった。僕は、エイリアンが僕の胸から飛び出して人に迷惑をかけないように抱きかかえた。そしてそのままエイリアンを包み込むように、箱になっていった。長い時間をかけて箱になっていった。くしゃん。

収束

学芸大の美術科の卒業・修了制作展を見てきた。
思ってたよりも、みなさんお上手だった。ただ、平面系は構図があからさまに写真を参考にしたものが多く、本質的な造形力が気になりました。あと抽象が皆無だったのは何故。(日本画・彫刻含めて、一人しか抽象をやってなかった)



蝶のように舞い、虫のように死ぬ

サルメーヌの公演というか、半ワークショップのようななにか。今日は負の気のようなものがあって、自分も含めて思ったように動けていないと感じた。メニューを進行具合より優先するのは問題かもね。コンセプトが展開を超えてしまうと人はとまどう。それはゲームも人生も同じ。リセットリセット人生リセット。

また今回、小学六年生の子も初めて交えたが、五年生までとは全く違った印象。五年生はまだグレーゾーンだが、六年生女子は断絶があると言っていいほど精神年齢が高い(実際、彼女らはあと二ヶ月で中学生になる)。
この微妙な精神にインプロをどう投げかけるか、というのは、非常に難易度が高いと感じた。

あと、母校が入試だというので、試験帰りの受験生に公演告知のビラを配った。ジャモさんの仮面かぶって。こうして受験生らの反応を見てみると、イライラしてる奴や笑う奴や目をそらす奴やらけっこう多彩で、色々な奴がいるなあ、と思う一方、その時の周囲の空気に大きく影響されもしていて、まったく人間は自由なのか不自由なのか分からんねと砂浜に枝で書いた。そして穏やかな波が全てを洗い流してくれる。

言語乱射

今日は色々なことを書こうと思ったが、結局時間も体力もなくなったから書けない。しかし書けなくなったらどうでもいいこどだったかもと思い直す。とりあえずジャンクギターを安く買って直して転売する商売を考えたが、それが成立するのなら誰かがきっとやっているだろうと思いやめる。ウォール街の道に落ちてる株券は偽物理論だよ。しょせんやり尽くされているのだ世界。

ネコキャスター(残機6)

こんばんは猫です。貴重な二匹目が即死しました。疼痛さんはツンデレでさびしがりだけど最後の方はもう無視していました。俺はにゃーにゃー言うので忙しかったんだよ! 猫だって大変なんだよ! あと最近はボールペンでドローイングしているが、やっぱりボールペンって向いてないね。字を書く筆だよ、これは。見すぎる声を分かり合える気がしろ、世界。

生きる資格4級

今年の目標を立てていなかった。
最近、作品の本数を目標に設定することが多かったが、制作にうちこむ機会が状況に動かされ過ぎて、あまり意味のないことが段々と分かった。
ので、もっとデューティなものにしようと思う。

脳が劣化する前に詰め込んでおきたい知識があるので、資格を今年取ってしまう。宅建。そしてホリエモンが薦めていた簿記三級。もし余力があったらFPも取ってみよう。

これ以外のことは、そのとき考える。という姿勢は「今年の目標立て」に際して破壊的な思考回路だけど。

るるるるるるるるるるるるるるるるる

東京都美術館、二年もかけて全面改修するのか。赤字なのに大丈夫なのか。

女を産めない躰の子供ーザ・男性・オブ・男子

私がテネシー州で薫製屋さんをやっていた頃の話だ。そろそろ夏になろうという時期に、一人の男が尋ねてきた。白人だったが、どうもアングロサクソンではなかった気がした。「スモークサーモンを依頼したいのだが」彼は言った。「そいつはちと季節外れだぜ」私は答えた。「冷薫は冬でなければ」
白人の男はややムッとした表情で、「そんなことは分かっている!」と、側にいた犬のダニーを蹴り飛ばした。「なんてことを!」私は叫んだ。男は憮然としながら「分かってるんだよ! 犬を蹴ることの非道さすら!」そして懐からスミス&ウェッソンの拳銃を抜き、自分の頭に突きつけた。「ここで死なれたくなければ、さっさとスモークサーモンを作るんだ! スモークサーモンが必要なんだ! 命よりも! 美しい世界よりも愛よりも、ほかの何よりもだ! だから言わせてくれ。最近の人に言えない恥ずかしい趣味を。最近、ウィンドウショッピングが楽しいんだ。ヘプバーンがティファニーの前で朝食を食べるように、俺はウェッジウッドの前で缶コーヒーを飲み、リヤドロの前でダルマを焼いたり、メガネドラッグの前でコンタクトレンズをはめたりしているんだ! だから捕まって当然だ! 裁判でびっくりしたよ、五年前に二度と会わないようにしようとお互いに約束したジョセフィーヌが証人台に立ったのだから! 『ジョセフィーヌ、お前……フッ、哀れな違法ブローカーの最期を見にきたってわけか?』俺は目を床に落としながら皮肉な笑いを抑えられなかった。しかし耳に聞こえた彼女の声は優しかった。『もう、そんな風に自分を追いつめないで……私たち、やりなおせるわ。努力すれば種の壁を越えて愛し合えるはずなのよ』裁判所は牛がしゃべったといって大騒ぎだったが、その混乱に乗じてジョセフィーヌは煙幕を張り、俺は彼女にまたがった。彼女は前肢を高々と挙げ、そして突進して壁を突き破り、南部の草原を走り抜けていった。私は彼女の背中の上で、今までの呪わしき禁断の恋について思い出していた。俺は十三歳のとき食肉流通をやっている会社で下働きをしていた。アル中の父親と宇宙人の母親の間に生まれ、小学校にも行けなかった俺を雇ってくれる会社ならどこでもよかった。生きるためにもがいていた。上司の主任は、俺がミスをするたびに罰と称してダンスを踊らせた。ショーウィンドウの中で。そして通りすがりの多くの人にウィンドウショッピングされた。『こんなことに何の意味があるんだ!』俺は何度も反抗した。しかし意味などとくにないんだと分かるのにさほど時間はかからなかった。それから、もう考えるのをやめて、死んだように生きていった。だが、ある日主任が死んだ。彼は俺とは別のショーウィンドウで踊っていたんだが、町は暴動で無政府状態になり、ガラスが破られて略奪されてしまったんだ。三日後に、頭が尻に突き刺さった姿で発見された。しかし俺は、あんなに望んでいた主任の死なのに、しかし俺はどうすればいい! これからどうしたらいいんだ! 会社は放火されて消滅、俺にはウィンドウショッピングのトラウマだけが残った。いったい人間は神から何を任せられたと言うのだろう! この愚かしき生き物の文明がなにを負えるというのだろう! 獣に戻れ! あるべき姿に戻れ! 我々は獣である! 我々は獣なのだ! イラン高原から伝わった宗教はそう叫ぶ。わらにもすがる思いで入信し、くじ引きを引かされたら『猫』が当たった。『あなたは猫として生きなさい』先生はそう言う。でもいきなりそんなこと言われてもわからないよ! もう愛され方も愛し方もはるか昔に忘れてしまった! いや、そもそも知らなかったのかもしれない! そして俺は泣いたが、どうも他人にはにゃーんにゃーんと聞こえるらしく、ねこ好きたちが「やだーかーわーいーいー!」とか言って触ってくる。なでてくる。最初は、だれでもよかった。俺の孤独を癒してくれるなら誰の手でどこをなでられてもいいと思っていた。でも、だめだった。孤独は孤独しか生まなかった。今日も、誰だか知れない人の膝の上で丸くなって寝ていたが、ふと、いっそあのショーウィンドウの中に戻りたい、好奇の目で見られても誰にも触られずにすむ場所に戻ってしまいたい、と思った。一度そう思うと、私の乗っている暖かく柔らかい腿も、なで付けられる優しい手も、刺のように魂に突き刺さるようになった。私は旧い歌を思い出していた。世界崩壊前、一世を風靡したと伝えられる『ロック』という電子音楽だ。エアロスミスというバンドの『soul in my hole』。ちがった『hole in my soul』だ。ソウルインマイホールだと『俺の穴の中の魂』になってしまう。俺はそう思って、苦笑いを噛み潰していた。でも、穴の中にも魂はあるのかしらね。そういえば主任も最期は穴に因縁があったな。そこで俺は気づいてしまった。『ま、まさか……』俺は膝の上から飛び降りた。『どこに行くの? 子猫ちゃん!』後ろから声が聞こえたが、振り返らずに走った。行き先は、俺が踊っていたショーウィンドウだ。そこも略奪の難を逃れず、ガラスは割られていた。中は空っぽだ。まるで穴ぐらのように。そうだ、ここが俺の穴だったんだ。そして、その中に、押しつぶされた小さな魂があったんだ。あの頃は。いや、今もきっとある。破られたガラスからどこにでもまだ行けるんだ。それが、あの罰の意味だったんだ。主任は、そのことを教えたかったんだ。『やっと気づいたか、BOY!!』振り返ると尻の穴に頭を突っ込んだ主任が天使の翼で空に羽ばたき、後光がギラギラと射していた。『どうやら私はこれまでのようだ、老兵は死なず、ただ消えるのみ。私の行けなかった場所へ、私の分も進んでおくれ。未来と言う場所へ!』そして主任は昇天していった。俺の目から涙が溢れ出た『し、主……』そこまで言って、私は堪えきれずに名前で呼んだ。『ジョセフィイイイーーーーーーヌ!!!』
そして、甘い思い出は終り、こうして南部の草原を走っているうちにジョセフィーヌは腹が空いてしまい、『どうしてもスモークサーモンを食べたい』というので、こうしてテネシー1と言われるあんたのところに来たと言うわけだよ! はやくスモークサーモンを食べさせないとジョセフィーヌが…………」
男はふと我に帰ると、異空間の中にいる自分を発見した。目の前に小さなショーウィンドウがあり、その向こうに一さくのスモークサーモンが吊るされていた。男は私の名前を呼び、辺りを見回したが、なんのてがかりもない。男は狼狽し、ガラスを叩いた。それはとても固く厚く、拳で破れる気配はない。スモークサーモンは無言で男を凝視していた。男の私やジョセフィーヌを呼ぶ声は段々と大きくなり、世界はどこまでも声を吸収していく。ガラスを叩く音も次第に大きく激しくなるが、その音と衝撃だけはいやに頭の中で鳴り響いているのである。

僧職系ネオ風おしゃれプレイ

一月もおわったことだし、これから三ヶ月間公演が終わるまで、節制してただただ動こうと思っていたのですが、初日にしていろいろあって天ぷらが食いたくなった。具体的には今日は多摩湖に走りにいったり電子タバコを吸ったり資格について調べていたり作る音楽を考えていたり核戦争を防止したり核爆発したり核分裂したり分裂したり融合したり核ったり核らなかったりノーベル核賞辞退したりしたが、まあ何一つ天ぷらに結びつかないな。なので、これから天ぷらを揚げます。もう許してくれよ! どうせ意味はないんだよ俺の人生は! でも天ぷらが食べたいんだ! 今まさに! という感じで今日が最後の贅沢。きゃべつをかじって生きていこう未来。

酔ひのあとなるやはらかき このかなしみのすずろなるかな

貴重な猫を空費することに怯えながら生きる精神的に貧しい自称芸術家の哀れな一日をつらつらと書こうと思います。今日は朝起きたら昼でした。ベッドの位置を変えてから、すぐ右手に窓が来て、カーテンを開けることから一日をはじめるようになりました。なので太陽の高さでまず時刻を知るようになってます。すぐ向かいが二階建てのアパートなので、七時ではまだ太陽は見えず、八時なら直射日光が入ります。普段七時半から八時に起きていますが、今日は太陽はやや高く昇ってました。どうやら寝酒をきこしめすぎてしまったようです。まずしたことは、歯医者に愛の電話をしたことです。ここ二三日、かねてより欠けていて気になっていた歯が痛み出したので、いよいよ見てもらわねばと思った次第でありまして。受付嬢いわく午後三時半に来いとのこと。それからわたくし、しばし考えました。実はこのところ体調がまだ不安定でして、がりがり仕事をしてしまうと春の公演までに失速してしまわないかという不安もあります。そういうときは極力脳を使わない牧歌的な日常がいいのですが、本くらいは読んでもさしつかえない気もしたので山形浩生大先生のご本を読んでました。私は知的な上昇志向は持ってはいるけれど、基本技芸の人であり、インテリにはなれなかった半端者なので、このポジションにこそ山形さんはコアヒットでありますな。山形さんのような人がいるのでわたくし勇気を失わずにすんでます。そして本を読んで人間の持つ『自由』の形態について考える一時間後くらいには歯医者の椅子で歯を削られていた。ぼくの身体の穴に器具をいろいろつっこまれてめちゃくちゃにされていた。でも、たぶんうまい人だったから、いたくなかった。うーん、えろい。誰か俺を殴り殺してくれよ。まあ一番近所の歯医者だということで選んだのだけど、よさげだったので、これからもお世話になろうと思う。虫歯をけずられ、神経を抜かれ、多分石膏で詰め物をされ(顔料はおそらく石膏だろうけど、ビヒクルはきっとハイテクな樹脂なんだろうね。そういうの気になる僕は脳内でだけ身悶えする)そう私は油フェチなのだけれど、おそらく世界は想像以上にアクリルの覇権のもとにあるのだろうなと再確認するばかりで、もう油なんて滅ぶよ、俺も滅んでもいい、とろとろに溶けて流れて排水溝に吸い込まれて消えていくアレでもいいし瓶の中で固まってしまってもいい、そう思っているうちに治療終了。子供の頃は歯医者ってもっと痛くて長い記憶があるけど、どういうことだろう。あの日々はなんだったんだろう。あと子供の時は終わったらおもちゃが一個サービスでもらえたんだけど今日のところはなかった。おもちゃほしかったな。年甲斐もなくシャボン玉とか吹いてみたかったよ。美しい記憶のために。はかない人生のために。志半ばで倒れていった強敵(とも)のために。なんて言ってるうちに(言ってないけどな)、夕方になったので学芸大に行ってぜみをうける。発表者がゼミのお父さん的存在H澤氏だったので、最後の方は猫になりそうだった。そのあと研究室でお酒をきこしめましたが、OBのヒロセ氏がおすしを差し入れてくれました。おいしゅうございました。あなたのような素敵な大人になりたい。僕は大人になろうと努力したが、少女になりたいという邪念があったせいで、猫になってしまった。世の中の多くの人間は十分な観察力も芸術の才能も持ってないので気づいてないが僕は猫なんだよ。にゃーん。そういうお遊戯。くそっ死ぬのか。啄木まであと二年しか猶予がないのに。話は変わるけど今ぼくは缶詰のコーンを食っている。これも使い忘れた食材の一つだ。でもそろそろそういう余剰もなくなりつつあるので、これから小腹がすいたときは何か買わなければならない。作らねばならない。だからそう、僕の口から余計なものが出たりはいったりしないように誰かがきちんと塞いでいてくれ。キスでなくてもいい。石膏を流し込むとかでもいい。死ぬがな。でもだから何だというのでしょう! 何でもないか。つまるところ何でもない一日だったんだよ。しかし私は虚しい世界を愛すると決めて生きているのです。
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金城孝祐

Author:金城孝祐
劇団無敵の作・演出家。油絵も描いてる。

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