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映画および病棟での出来事

アマデウス ディレクターズカット [Blu-ray]アマデウス ディレクターズカット [Blu-ray]
(2009/03/11)
エリザベス・ベリッジトム・ハルス

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とばしとばしで観た事あるが、ちゃんと通して観てみた。モーツァルトの半生を描いた作品。前に観た時は私は作曲をまだしていなかったので、今観るとやはり印象はちがう。

ところで映画では精神病院はわりとポップに描かれる事が多い。アマデウスしかり、「カッコーの巣の上で」や「パッチ・アダムス」みたいなのが定型となっている。
どこがポップかというと、狂気の恐ろしさが前に出るシーンですら、狂気を描く事を目的としてないあたりが。
物語を優先させるためには、真にリアルにはできない。リアルな狂気は物語にならない。

そう思ったのは、今日のお昼にちょっとしたことがあったのだった。私は病院の野外の喫煙所で煙草を吸っていた。今までそこに喫煙所があると知らなかったので、その場所へ行くのは初めてだった。すぐ側には精神科の病棟があった。その向かいにすぐまた建物があったので、喫煙所はそれらに挟まれた、狭い中庭みたいな所にあった。夏の昼なので、光はさしていて明るくはあった。病棟には一定の間隔で窓があり、それぞれ病室のようだった。明かりはついてないようでどれも薄暗い。

ふと自分のいる位置から一番近い窓を見ると、いつのまにか30歳くらいの男が立っていて、窓の向こうからこちらをじっと見ていた。

びびったが、シチュエーションや精神病の患者さんが恐いというわけではなかった。その人が、一目見ただけで「正常とは違う」と分かる存在感を持っていたのが、というより、そういう形の存在感が目の前にあるのにひるんだのだった。

その人は顔色も悪く、目つきも妙だったが、外見よりももっと根本的なところに奇妙さがある。

一言で言うと、彼の存在は「自然だ」、と感じた。

仮定として、ある場に自分が立っているとする。自分はその「場」を空間的に感じ取るが、その感じ方を「自然」としよう。周りにあるビルや木や地面は自然な感じがする。
そして我々は多分、その場に自分以外の人がいると、その人のいるあたりを「不自然」だと感じると思う。その感じは「気配」と言い換えると分かりやすいかもしれない。気配だと消す事も可能なので、もっと言うと「その人が持っているオーラ」とでも言おうか。

人は、その存在の仕方の「型」を場に対して強く「不自然」にすることで、「自然な場」というネガから浮き出し、お互いを認識することを容易にさせている。
ように思う。

この人間が持っている「場に対する不自然さ」が、この場合病によって変質しているように感じた。

私が目を向けたときには彼はこちらを見ていたのだから、私はしばらく彼に気づいていなかった。それどころか、見る直前の、目の端に移っていた段階では、彼の姿は風景か何かかと思ってた。

さっきも少し書いたが、気配がない、というのとは違った感じだ。実際彼は微動だにしておらず気配はないのだが、そうというよりも、すごく「場の自然さ」になじんでいたのだ。だから気がつかなかった。

彼は、普通の人間より世界に対して調和している。
そう感じたのが恐かったのだ。

人間は多くの物語的なものによって形作られているので、それらのどこかが損傷した場合、自然に戻りうるのかもしれない。

だからこれをもし物語の形式で表現しようとしても、本質はつかめないだろうな、と思ったのである。

この患者さんはおそらく統合失調症の荒廃がやや進んだものだと思うが、ドーパミンの量が存在までも変えてしまうとすると、唯脳論的な「脳と身体」の闘争も見え方は変わってくるのではないのでしょうか。(最後の方は適当)



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金城孝祐

Author:金城孝祐
劇団無敵の作・演出家。油絵も描いてる。

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