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死に至らない病。だが油断するな! この時限爆弾が起爆したらお前はこのビルごとオダブツだ!!

なんだか管理画面に入れなかったんですよ、この間。最近は携帯電話を買い替えたり、わりと平和に暮らしてます。体力も戻りつつある。

魔法陣グルグル (1) (ガンガンコミックス)魔法陣グルグル (1) (ガンガンコミックス)
(1993/08)
衛藤 ヒロユキ

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アイバと漫画の話をしていたら「魔法陣グルグル」が話題に上った。
これは昔とても好きで読んでいたもので、ガンガン系では最も有名な漫画の一つだと思う。何の能力もない主人公と、半人前の魔法使いが魔王を倒す旅をする、という話。
いわゆるドラクエ系世界観の漫画なのだが、「漫画はバーリ・トゥード」という理念に基づいた滅茶苦茶なギャグが連発され、結果的に独自の世界観を作り上げている。

グルグルは途中で長期休載が入ったりしたので、コミックスの途中で読むのを諦めて、そのまま忘れてしまっていた。が、こうして思い出したし、いい機会なので全巻古本屋で買って読み直してみた。

ストーリーというのが何のためにあるのか、というのを考えさせられますね。

グルグルは全16巻のうち、10巻で既に最も重要で、核心にふれる話と、その解決すら描いてしまっている。
この作品の面白い所は「本質的には、魔王はどうでもいい存在」という点にあるが、魔王に到達する以前に本質を描きすぎてしまったため、最後の戦いが本当にどうでもいいものになってしまった。

10巻のラストに「彼らの旅は続く……」と添えて終わっていれば、まああんまりな終わり方だが、それはそれで名作だったと思う。

恐らく作者自身もその点については自覚していただろうし、少なくともその後の失速の一因にはなっているだろう。


長期連載などの非常に長い話になると、後半は前半に対して負わなければならない責任が大きくなる。
それは「設定」「伏線」という単純な要素もあれば、「この物語はいかにあるか」という位置づけの役割までさまざまある。

先日、ドラマとアイデアの関係について考えたことがある。アイデアは「テーマ」にも置き換えられると思う。すなわち、作品にとってアイデアのためにドラマがあるのか、ドラマのためにアイデアがあるのかで、その質は大きく変わっていく。
初期の「魔法陣グルグル」は、衛藤のギャグセンスを披露する場としてストーリーや設定がある、という構図だった。が、やがて核心となる伏線が暴かれ、ドラマが主体となった。

衛藤ヒロユキは細かい設定を考えてから描くのではなく、アイデア待ちが多いと自身で語っており、ドラマの前景化も、構成的に考えたのではなくアイデアの連鎖から自然に発生したものだろうと思われる。
自然発生したドラマは、作者自身の制御が効かないという点で非常に危険だ。この手のアイデアは、むしろ作者が制御を解いた時に生まれうる性質のものだ。

そしてテーマが暴走し、ストーリーを追い越してしまった。

だから11巻以降は、回収しきれなかった伏線の落ち穂拾いの感があるのだ。「魔王を倒す」ことすらも。


総合して言うと、「魔法陣グルグル」は賞賛に値する漫画ではある。しかし、その全話を通じて評すると疑問は残る、といったものだろう。


(もう一つ言うと、グルグルは最初は、何も知らない少年少女が旅をし、今まで知らなかった人や文化、団体や強敵に出会い、世界を広めていくという通過儀礼的な要素があった。が、途中から『思春期』というテーマが強く押し出されることによって、主人公たちは己の感情を絶対化しはじめる。世界は閉ざされる。思春期を『内的には最大の通過儀礼』と捉えず、その礼賛に終わったのがグルグルの失敗と言えるだろう。
このようなことは、リアルタイムで読んでた子供のころは思わなかった。主人公のニケやククリはお兄さんお姉さんだったのに、今や私は彼らより10歳以上年上になってしまった。因果なことだ)

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金城孝祐

Author:金城孝祐
劇団無敵の作・演出家。油絵も描いてる。

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