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パンがないならお米食べろ

久々に料理を作ったのですよ。ジェノベーゼを。以前乾燥バジルを100g入りの大袋で買ってしまったせいで、どんなにバジルを食ってもなくならない恵まれた人生を生きてきました。そして最近、賞味期限が切れました。これではいかんと思い、今日は練習も早めに終わったし、久しぶりにがっつり飯を作ろう、となり、なによりもバジルを使う料理を作ったわけです。

そして駅前にできたイトーヨーカドーを侮ってました。なかなか売り場面積の広い外国調味料店が入っており、オイルの揃いなら国分寺マルイを超える勢いです。今が熱い。小金井。夢の町小金井。

しかし肝心のバジルが残念なので、あまり意味はなかったです。料理のできは、他人が作ったものだったら褒めてる、という程度のものでした。まず乾燥バジルでは、ジェノベーゼにするのに限界があります。ハーブは生と乾燥ものとでは別物だ、というのは知識として知っていて、経験もそれなりにありましたが、「越えられない壁」を明確に感じられました。それはまあ収穫です。また、開封した上に賞味期限が切れたハーブが、おいしい料理に化ける事はきわめてむずかしいです。

そもそも「賞味期限切れの大量の調味料を処理」できるうえ「おいしい」料理を作ろう、という発想自体が世の中をなめた思考だといってさしつかえないでしょう。今日はちょっとつかれてたんです、それで気が迷ったんです、反省してる。あと腕がけっこうなまった気がしました。まあ当然でしょう。最近は魚を焼くくらいしかしてないのだから。


「料理の腕」というのは、包丁の入れ方やら、火の通りの見極めやらという、有形の技術をさす事が多いですが、また別の側面もあります。それは「この食材をこの量で使っても、これこれこういう配慮をすれば、おいしくなるだろう」という判断であり、「やったことないが、やって間違うことはないだろう」という確信である、いわば無形の技術です。これが欠落した場合、料理はおいしくなりません。そして、ブランクがあった場合、まっさきににぶるのがこの無形の技術なのです。
多くの人は、こういうのを感性と呼んでますが、これは技術なのです。

ちょっと話がそれますが、美術畑のひとたちは「技術」の対義語としての「感性」という言葉に多くのことを求め過ぎなのではないか、と私はつねづね思っています。彼らが言う感性とは、実際にはきわめて技術的な操作あるいは思考なのです(無形の技術)。美術においては、「あたかも」生まれ持ったかのような能力が大きく影響する、それは事実ではありますが、それはいわゆる感性という言葉には当たらないものだと思います。
では真に感性と言えるのは何か、という話は、長いしうさんくさいので、割愛。

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No title

>>無形の技術
それはいわゆる経験ではないだろうか、という遅レス。

No title

いや、経験すらしてないことが分かることもある。
書き方が雑だったね、いつもだけど。
本当はかっつり書きたいけどねえ。時間とか心の余裕とか。

俺の解釈だけど。

例えば、「魚をすばらしい火加減で焼く」とか、「包丁でオニオンスライスを作る(やるとわかるけどこれが結構難しいんだ)」、とかの「有形の技術」に対して、「包丁は刃に垂直な方向に切るより、奥に押し切るか手前に引き切る方が切れ味がいいから、にんじんの皮むきをするときも包丁をのこぎりのように動かしながらにんじんの方を包丁におしつけるようにすればいいんじゃないのか?」などと考えられる「無形の技術」ということだと思う。

言い換えると、過去に学んだ経験を別の状況に応用することができる技術ということだと思う。

この能力を「技術」と呼ぶべきか「感性」と呼ぶべきかという話があるけど、「訓練によって多くの人が身に付けることができる」という意味で、俺は「技術」と呼ぶべきだと思う。
しかし、技術として身に付けるための練習の仕方を「他人にはっきりと説明することが難しい」ので、感性と呼ぶことに逃げてしまうんじゃないだろうか。

ちなみに包丁をのこぎりのように云々というのは応用と言うより基本的な技術だと思うんだけど、他に良い例を思いつかなかったので。
魚の方の例で言うと、「魚焼きグリルで焼くときはこれくらいの感じで焼くとうまくいくから、七輪で炭火で焼くときは火力の違いを考慮してこんな感じでやればうまくいくんじゃないの?」という判断ができるということになるかな。

No title

応用の技術というのは、まあ当たってる。けど、それは一側面で、本質は別にある。

というか、まず私が「感性」「技術」をどういうものとするかをはっきり言わないと話にならないといった感じなのだけど。
乱暴に言うと、「感性」は、幽霊が見えるとか、人がいないのに妙な声が聞こえるとか、その種の適性(病理的な脆弱性も含めて)がない人にはありえない知覚のうち、生産的なものをいう、と私は思ってるのだ。シックスセンスね。
幽霊とかの例は極端だが、もっとぜんぜんマイルドな、健常者の範囲といえる変な感覚もある。

それを受けるのが感性。
技術は、感じたものを含めた、「能力的な資源の運用」の動作、つまり手や頭を意識的に動かすこと。

だからこの論でいえば、知識やら経験やら何かを動員して行われることはすべて技術として扱われる。
その際目に見えるもの以外の動きを「無形の技術」と言い表した。


こう考えるようになったきっかけは、個人的な感覚が根拠で、論考もまだ足らないし、まだ完全に説明できないのですよ。でもやはり、「感」と「技」は、それぞれ使ってる脳味噌の場所が違う気がする。料理や芸術において内的資源を「動かす」というのは技術の次元なのではないか。
そういう意味においては、美術の人たちが感性と呼んでいるものも、すべて技術的な操作、目に見えない意識的動員であると呼べるということ。

プロフィール

金城孝祐

Author:金城孝祐
劇団無敵の作・演出家。油絵も描いてる。

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