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尖閣ビデオ流出から始めて、平和憲法を考える

このエントリは、前半はわるふざけだけど、後半はわりとまじめに言っている。

まず尖閣の漁船衝突の映像流出について。空想の域を出ないけど、私にはこれはどうも当局が意図的に流出させたとしか思えない。個人が勝手に行ったという説では、義憤や愉快犯的な動機だと言われているが、それにしては外交的にあまりに出来過ぎている。

まずタイミング。映像の内容自体はそれほどショッキングではなく、衝突の事実があったかどうか程度のものでしかない。
船長逮捕から解放まで、ビデオの内容は機密とされていた。これは検察の証拠であるとしてのことだ。解放以降は、その理由を説明しきれない日本側にとって不利な内容なのだと思われていた。(つまり、明らかに有罪なのに圧力に負けたと思われた)

なぜ、逮捕当時などのもっと早い時期に公開しなかったかというと、このビデオは中国のメンツをそこねるものだからだ。
中国はメンツを大変重んじる文化であり、外交はそういう異文化の要素込みで行わなければならない。逆鱗にふれて態度を硬化されるよりは、「船長逮捕はちょっとした牽制」という風にして、この場を抑えたかったのが、解放時の日本政府の思惑だったのだろう。

基本的に領土問題は、戦争を避けたい場合であっても、絶対に譲ってはいけない政治問題である。なぜかというと、それはヒトラーという前例があるから。
(英仏の首脳は、『戦争に発展するくらいなら、一歩譲って収めようじゃないか』とズデーテンラントの割譲などを認めたが、その後ドイツに一気に力をつられてしまい、二次大戦で瞬殺された。以降、相手が強硬な姿勢を示しても屈してはいけないというのは定石的な対応となっている。らしい)

日本にとって尖閣諸島は、どちらの領土か白黒つけないまま、うやむやに事を運び続けられるのが理想である。喧嘩はしない方がお互いに得であるのは自明だから。しかし、船長開放後の中国の姿勢が意外だった。
日本には、経済的・政治的に安定する手よりも有用なものがあるとする政治・外交を想像できなかった。

この時点で衝突の映像は、強硬に出た中国に対する反撃になりえたが、それも控えられた。
動きを読む時期があったのかどうか、わからないが、映像をいかに公開するかが練られたように思う。

そしてこの数日、証拠映像がいかに決定的かということがマスコミで騒がれ、首相や議員などに限定的に、ひどくもったいぶって公開されていった。
その映像への感心が高まったのを見計らったかのように、流出される。

流出について「よりによってこんな時期に」とコメントする人もいるが、むしろ、最も騒がれる時期と見れば最適であろう。


また、もう一つの要素は、流出に至る形である。
誰だか特定できてない人間が、ネットを使って一気に広めてしまった。
現代でこそ起こりうる、予想できなかった「事故」である。
しかしここで重要なのは、国交の主体である日本政府は「何もしてない」という事だ。

日本政府がこの映像を公表したという形をとったら、中国政府は反撃することができる。それこそ「捏造」「事実の湾曲」など、何を言っても構わない。そういういちゃもんは、政治的な手法として「あり」だ。

しかし、日本政府が意図しない形で、漏れてしまった。
どう考えても日本に有利な証拠が、誰かに暴かれたという形になる。
この件に日本政府は、中国へ「いや、色々事情もあるものですので、おもんぱからっていたのですが……」と、言う事が出来る。
しかし中国は、反論を誰にすればいいのだろう。
こうして、「神様は見てた」攻撃がなされたのだった。

つまりこの映像は、日本政府にとって最高の、また中国政府にとって最悪の形で公開されたのである。
この顛末にいたる過程はすべて偶然だろうか。

そもそもこのスキャンダル、日本にとってマイナスなこと何もないだろう。

管さんや検察にとっては情報管理能力を問われることになったけど、尖閣問題を「痛み分け」で落とすための、肉を切らせて骨を断つ戦法だったのではないかな。恐らく外務省の官僚あたりが思いついて、色々な人を説得したのだろうか。

たとえこの先犯人が見つかっても、ケネディを狙撃したオズワルドみたいなものだと思う。


と、ここまで空想なのだが。
今回の問題のキモは「日本は戦争ができない」という事にあると思う。

領土問題というのは、それを主張する両国のどちらかが完全に正しいというのはありえない。そもそも領土は流動的だからだ。だから問題となる領土は、どちらかの物になるとしたら、それは口で勝ったか、殴り合いで勝ったかした国の方のだ。

ところで日本には、戦争を禁じる憲法が存在している。

船長逮捕で日中の緊張が一気に高まったとき、「あわや戦争か」と思った日本人はほとんどいなかったと思うけど、日本が「公式な軍」を持っていたら、その可能性を考えさせられただろうとも思う。
どちらかが望めば、いいがかりをつけて開戦できる。

しかし日本は公式の軍隊を持たず、自衛以外の交戦を禁じているので、日本への攻撃は国際的な意見が同意しないという防御がある。
もう一つは、アメリカの後ろ盾。
この二つが、日本を戦争の危機から遠ざけている。

日本は自衛隊という、ないはずの軍隊を持っているし、ありえないはずの「軍事同盟」をアメリカと結んでいる。
そしてこれは、非常に奇妙な立場を作らせている。

侵攻が不可能で、常にアメリカの顔色をうかがわなくてはならない日本には、「自分で決められる事があまりない」のである。というか、そういうふうに見える。
殴ってやりたくても、勝手に戦争を始めたり、受けたりしてはいけない。
つまりアメリカの軍事力さえ前提にすれば、憲法は現状に矛盾しながらも効力を発揮しており、また矛盾があるからこそ強く意識される。
(あなたは憲法の9条以外に何が記されているか憶えているだろうか?)

日本の軍事ポジションは、よく分からない。
憲法やアメリカが封じ込めているが、なまじあいまいな部分がある分(しかも最近は右傾化しているという)、極端に刺激するのもためらわれる。
(そもそも自衛隊は、米軍と組んでの『侵攻作戦』訓練もしてはいる)
日本が「アメリカの飼い犬」であることは、日米、ならびにアジア諸国の関係を安定づけている。だから、どの国にとっても、日本の軍事的自立というのは危機であるわけだ。
しかしそれは、日本にとっても決して好ましい状況ではないだろう。

だから、これらの国は、奇妙な共犯関係のなかで、このあやうい均衡をとっている。
これのどこが崩れても、時が動く。
その中で、日本の軍の「よくわからなさ」は、自衛牽制として有効に機能しているのである。

つまり私は、憲法九条や自衛隊の問題については、矛盾があってもべつにいいと思っている。
むしろその矛盾が、均衡を担保するのではないか。
だから九条は、なんだかんだ言って変えなくていいし、防衛庁が防衛省になってもかまわない。そのどちらとも、日本が戦争に向かわない動きとなっている。

「よろしい、ならば戦争だ」と、自分も相手も言えない外交というのは、人類史上希有な物であろう。だからこそ、政治家はせめて口がうまくあってほしいと思うものだが。


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金城孝祐

Author:金城孝祐
劇団無敵の作・演出家。油絵も描いてる。

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