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即興劇の思想

木村君のインプロワークショップ団体SAL-MANEの練習に行った。
キース系のインプロ。これはやっていて非常に楽しい。
昨年末もコメディストアのワークショップに出てたので、最近かなりキース分を浴びている。

在学中にやってたインプロ研究室ペンシルジラフは、即興としてはかなり異端な思想に基づいていて、私はその中で即興を学んだので、キースをやるといつも不思議な気分になる。
失敗を笑えるのは、楽しい。
キースのインプロは、プレイヤーの人間性を認めている。

ペンシルジラフ的な発想だと、例えれば「失敗をも笑いに変えなければならない」みたいな、結果が同じ方向に向いているとしても解釈が全然違っている。
キースが、プレイヤーに生身としての人間を前提としているのに対し、ペンシルジラフは舞台上に発現してる表現体しか問題にしてなかった。「即興ゆえに困っているプレイヤーの姿が、客にとってはおかしくて面白い」というのが次元上存在しない。
だからステージでうまくいかなかった役者は、沈んだりキレたり泣いたりしていた。失敗は屈辱を意味していたのである。あれは人間の否定から始まっている気がする。
母性と父性のような違いか。
報われるのは拍手喝采を浴びるときのみ。

そんななかで、佐野画伯の超絶ストイックな姿を見ていると、心にくるものを感じたりもしていた。私も必死だった。
あんな辛いことの方が多いインプロを、よくみんな本気でやっていたと思う。

だから、人間を認める理論は、私にとってはびっくりの世界ではある。シチュエーションとしては、幼少時に生き別れになった母が突然現れ「私があなたのママよ!」と抱擁してくるような。甘えていいのかどうなのか分からん感じ。「僕を見捨てたくせに、いまさら母親づらするな!」とドラマティックな台詞を言うこともできる。
だから、育ちのアレで、私にとってキースは「特殊例」になってしまっている。そういう逆転があるんです。

そういうふうにキースを、あくまで「非常に有効な即興劇解釈の一つ」として捉えているのは、上記のように全くキース理論に関わらない方法論で即興劇を考えて、またしばしば特殊な結果を得られた体験があるからだ。キースの即興は人を自由にするが、こういういきさつがあって、私には「自由になるための一種の矯正」のように一ひねりして感じられてしまったりする。
因果なことだ。

しかし、キースに基づく団体の中でも、私はいい仕事ができますぜ。木村君。期待してくれ。でも、俺は本番で失敗をするのは嫌なのね。理解してほしい。一人はこんな奴がいてもいいんじゃないかな。

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No title

むう、役者は人間じゃない??
普段の生活とか、全部出るよ。。。でちゃうよ。

こわ!!

No title

「舞台」て、とんでもない概念なんですよ

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Re: No title

実はそこらへんの事で話そうと思ってたんですよ。
まあ近いうちに。

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金城孝祐

Author:金城孝祐
劇団無敵の作・演出家。油絵も描いてる。

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